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クラシック機体シリーズ 米海軍初の実用ジェット戦闘機の朝鮮戦争での実績



Air War: How the Navy’s 1st Fighter Jet Battled MiGs over North Korea 米海軍初のジェット戦闘機はMiGと北朝鮮上空でどう戦ったのか


二次大戦後の米海軍はジェット戦闘機の実用化を急いでいた。ただし高速飛行可能な機体を空母の限られた飛行甲板で運用するのは難易度が高い課題だった。海軍初の実用型ジェット機FHファントムは出力不足でわずか二年間しか供用されなかった。
海軍機メーカーのグラマンに1946年にターボジェットG-75試作機四機をピストン機F7Fタイガーキャットを原型で制作する契約が入った。しかし、構想は挫折し、同社は契約資金で単発機G-79製造に切り替えた。これがXF9F試作機となり1947年11月に初飛行した。
米空軍初の実用ジェット戦闘機P-80シューティングスター同様にグラマンは直線翼を採用したため音速近くになると性能に限界があった。グラマンは海軍機には空母着艦の激しい環境に耐える頑丈さが重要と考えた。パンサーには折り畳み翼がつき、飛行甲板を有効に使用する機構となり、パイロットにもうれしい射出座席や与圧式コックピットがついた。
グラマンはF9F-2にロールスロイス製ニーンターボジェットエンジンを搭載し、F9F-3にはアリソンJ33を採用し、英国製エンジンが不調になった場合に備えた。ただしライセンス生産のJ42ニーンは性能が優秀とわかりF-3も適宜改造された。パンサーは取扱と操縦取り回しが楽で時速575マイル、航続距離1,300マイルを翼端燃料タンク2個により実現した。ただし、尾部テイルフックの強度不足を着艦時に露呈した。
パンサーは海軍、海兵隊に1949年から配備され、ブルーエンジェルスも同機を初のジェット機材として導入した。
朝鮮戦闘で初の空戦撃墜
1950年6月25日、北朝鮮人民空軍は100機あまりのソ連供与Yak-9戦闘機、Il-10強襲機編隊で韓国「空軍」の10機弱の訓練機、連絡機を地上で撃破した。
トルーマン大統領が米軍の介入を决定するや、まず航空優勢の確保が課題とアンった。7月3日早朝、海軍はピストンエンジンのスカイレイダー、コルセア編隊を空母ヴァレイフォージから発進っせ平壌の北朝鮮空軍基地を襲撃させた。ここにVF-51所属F9F-3も初の実戦に出動し、攻撃隊の前に北朝鮮戦闘機を排除した。
パンサー編隊が航空基地上空に到着すると北朝鮮Yak-9数機が迎撃に離陸してきた。エルドン・ブラウン少尉、レナード・プロッグ中尉が各一機を撃墜したのが朝鮮戦争初の空中戦成果となった。プロッグはYakの一機は「完全にこちらを狙える位置についたが、これだけ高速に飛ぶ相手をしたことがないのはあきらかだった」という。
北朝鮮空軍は数日にして排除されたが四ヶ月後にソ連パイロットがMiG-15を鴨緑江の反対側の中国から出撃し国連軍を脅かし始めた。MiG-15は軽量で後退翼でこれもニーンターボジェットが原型の発動機をソ連で生産し搭載していた。MiGは高高度性能がパンサーやP-80より優れ、速度も100マイル早かった。
パンサーが性能で劣るのは明らかだったが、特定高度では操縦性が優れ、武装も20見るM3イスパノ機関砲4門と強力だった。射速が早いため毎秒16ポンドの高性能火薬銃弾を打ち込み、合計13秒分の銃弾を搭載していた。MiG-15は射撃時に安定性が欠け23ミリ機関砲二門、37ミリ機関砲一門を搭載したが、後者は命中させるのが難しい上に射速が遅く精度が低かった。
11月9日に、パンサー編隊が中国国境近くの新義州で橋梁攻撃の上空援護を行っているとMiG-15編隊が向かってきた。ミハイル・グラチェフ大尉が率いる第139護衛戦闘連隊の機体だった。VF-111「サンダウナーズ」編隊長ウィリアム・エイメン少佐がグラチェフ乗機が後部に接近し旋回するのをみつけた。ソ連機はパンサー編隊の位置を見失ったようでエイメンはウィングマンのジョージ・ホローマンとMiG機の後方にまわり機関砲を斉射した。
ジグザク飛行で回避しようとグラチェフは急速降下で追撃機を振り切ろうとしたがエイメンの技量はそれをものともせず銃撃を続け、飛行速度は限界に近づいた。エイメンはついに機首を引き起こしたが高度はわずか200フィートだった。グラチェフ機は山の側面に激突した。
これがパンサーによる初のジェット機撃墜事例になった。だがジェット機による撃墜は前日にP-80がMiG-15とのジェット機同士の初の空戦で記録していた。ただし、ソ連米国双方の戦史記録はともに撃墜の事実を確認しておらず、11月9日についても同様だ。
パンサーは11月18日にMiG2機を撃墜している。だが次の空中対決は二年待ってやっと実現した。海軍海兵隊は使用機材がMiGに見劣りすることを認識し沿岸地区での運用に集中させ、空軍の新型F-86セイバーが中国国境近くの「ミグ横丁」で対応した。
ハリウッド映画トコリの橋への登場
だがパンサー搭乗員が安全になったわけではない。朝鮮戦争ではパンサーが87千回の出撃をし、対地攻撃ミッションで橋梁や兵站拠点を攻撃した。F9F-2は千ポンド爆弾2発と127ミリロケット弾6発を搭載可能に改装されていた。
攻撃任務には強烈な対空射撃がつきもので、パンサーは例外的なまでの強靭性を証明し、同機がなければ米人パイロット多数が犠牲になっていただろう。
その後宇宙飛行士になったニール・アームストロングもF9Fで78回のミッションをUSSエセックスから行った。このうちマジョンリの兵站基地への強襲で低空飛行した乗機は山間のケーブル線を引っ掛けた。衝撃で主翼を6フィート失ったが機体をなんとか友軍の戦線まで飛ばし射出脱出した。
その後同僚となったジョン・グレンもパンサーを海兵隊飛行隊VMF-311で1953年に飛ばし、「マグネットアス」のあだ名を頂戴したのは多数の対空砲火を後部に浴びたためだった。そのうち85ミリ砲弾が主翼に3フィートの大穴をあけたが、グレンは基地まで乗機を飛ばした。その一週間後、37ミリ対空火砲弾が命中したがなんとか着陸させた。グレンはその後F-86に乗り換えMiGを3機撃墜した。
グレンのVM-311での戦友にレッドソックスの打者テッド・ウィリアムズがいた。この野球選手は海兵隊予備役として召集され朝鮮で39回の戦闘ミッションをこなした。平壌の訓練基地を襲撃した際に対空砲で乗機F9Fの油圧系統、電子装備が使えなくなり、射出脱出で膝を痛めたくなかったウィリアムズは燃えるパンサーをなだめつつ基地まで帰った。乗機は不時着で損傷したが本人は一年足らずで野球界に復帰した。
2機のパンサーが尾翼と胴体それぞれ破損して帰還した。整備陣破損性のない青色尾翼と銀色の胴体でフランケン・パンサーをこしらえ12回のミッションに活用された。
そこまで運に恵まれなかったものもある。リチャード・ハリオン著The Naval Air War in Korea,によれば空母航空隊は平均10%の搭乗員は朝鮮で失っている。海軍の記録では67機のパンサーを喪失しているが、敵砲火より恐ろしいのが着艦時だと判明した。
ある飛行隊では最初の二ヶ月で受けた損害は敵火砲による穴ひとつだけだったのに35回もの非戦闘事故が発生している。パンサーは着艦時に誤って甲板上の機体に衝突することがあった。だが逆に着艦を誤り艦に激突することもあった。
発艦に失敗し海面に激突する事例も多く発生した。射出脱出で着水しても日本海の冷たい海中では救難ヘリが間に合わないとパイロットが凍死する危険があった。
これとは別の危険は北朝鮮国内の橋梁攻撃でジェイムズ・ミッチナーがマジョンリ事例を中編小説「トコリの橋」にし、1954年に映画化されたが空母運用の複雑な様子を描くとともに米国内で関心の低い戦役に動員された隊員の悲劇をとりあげた。原作はF2Hバンシーだったが、ハリウッドはVF-192「ゴールデンドラゴン」飛行隊のパンサーを使った。実機に加えモデル機を使った撮影を交えた戦闘シーンは60年たった今でも息を飲むものがある。
パンサーからクーガーへ
パンサーの速力不足を痛感したグラマンはパンサー改良型を二形式試した。まずF9F-4がアリソンJ-33を搭載し、F-5はロールスロイスのテイ(7千ポンド推力)を積んだ。ここでも英国設計のエンジンが優秀と判明し、パンサーの最高速度は625マイルになり最大離陸重量も75%増えた。F-4は大半がF-5仕様に改装された。
F9F-5にはレーダー照準射撃性能もつき、機体を延長し燃料搭載量を増やしたほか、尾翼を延長し低速域の操縦性を改良した。グラマンはベアメタル仕上げの機体も試したが耐腐食性能が劣ることがわかった。
この改良型パンサーが朝鮮に姿を表したのは1952年末で海軍の大規模航空戦の最後に間に合った。ソ連崩壊まで極秘扱いだったがF9F-5を操縦するロイス・ウィリアムズがMiG-15の7機編隊とウラジオストック付近で交戦する事案が11月18日に発生した。ソ連機で無事帰還したのは3機だけだった。ウィリアムズも昇降舵のみでやっと着陸したが機体には263個の穴があいていた。ウィリアムズはアイゼンハワーとウィスキーを楽しむ特権を与えられたが、ソ連軍とのドッグファイトの事実は秘密扱いと言い聞かされた。
海軍はパンサーの可能性を認識し、グラマンは後退翼型をF9F-6クーガーとして製造した。クーガーはさらに高速で高高度飛行が可能となったものの航続距離が機体重量増加で短くなった。朝鮮戦争には投入されなかったがパンサーと交替して供用された。クーガーでサイドワインダー空対空ミサイルや戦術核弾頭の搭載が可能となったが、実戦に参加したのはヴィエトナム戦争で前方航空統制官が使用した海兵隊TF-9J練習機のみだった。
ただパンサーにはこれ以外に奇妙な実戦投入事例がある。28機がアルゼンチン海軍に移管されたのは1958年のことで1963年4月2日に海軍内の強硬はが政権転覆を図った。陸軍が戦車連隊を送り、海軍の本拠地プンタインディオの占拠に接近すると同基地に配備されていたパンサーが戦車攻撃に出撃しシャーマン戦車数両を破壊したがパンサーも一機を50口径機関銃で喪失した。プントインディオ基地は翌日陥落した。
パンサーは当時でも最高性能を誇る機材ではなかったが搭乗員の技量と勇気に機体の信頼性と残存性が加わり航空史で特筆すべき実績を残したのである。■
Sébastien Roblin holds a Master’s Degree in Conflict Resolution from Georgetown University and served as a university instructor for the Peace Corps in China. He has also worked in education, editing, and refugee resettlement in France and the United States. He currently writes on security and military history for War Is Boring.

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