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歴史に残らなかった機体(14)ノースロップYB-49全翼機はB-2の先祖

歴史に残らなかった機体(14)と呼ぶのがいいのかわかりませんが、制式採用もされていないので一応この分類にしておきます。コメントは下にもあります。




Meet the YB-49 Bomber: It Looks Like a Stealth B-2 (But Built in the 1940s) B-2そっくりのYB-49爆撃機は1940年代に生まれた機体

An amazing bomber ahead of its time. 時代の先に行き過ぎた驚異の爆撃機
March 27, 2019  Topic: Security  Blog Brand: The Buzz  Tags: YB-49MilitaryTechnologyWorldB-2Air Force


二次大戦に近づく米国には革新的な航空機製造会社が多数あり、潤沢な予算と言う贅沢さがあり、戦闘機、攻撃機、長距離爆撃機が生まれた。この内最後の分野から米航空産業で最も興味を引く失敗作が生まれた。ノースロップYB-49「全翼機」だ。
全翼機
 航空技術陣は「全翼機」の可能性に早い段階から注目していた。胴体を最小限にし尾翼を廃して通常機に見られる空力特性の妥協と無関係となる。ただし飛行安定性が犠牲になった。このため操縦が困難で当時はフライバイワイヤ技術も確立されていなかった。また機内に充分な空間を確保できず、ペイロードや武装を搭載すれば空力特性が犠牲になった。
 それでもドイツ、ソ連の技術陣は第二次大戦前に全翼機の製造を試み、輸送機あるいは軍用機への応用を目指した。ここから有益なデータが得られたが実用化されなかった。第二次大戦末期にドイツがジェット推進の全翼機を開発したが本格生産できなかった。
XB-35 から YB-49へ
 第二次大戦初期に米戦略部門は英国が陥落した場合、米本国から直接ドイツ爆撃をする事態を想定した。米陸軍航空隊の要求でボーイング=コンソリデーテッド共同事業(後のコンベア)とノースロップからそれぞれ提案が出た。前者はコンベアB-36ピースメイカーとなり、後者はXB-35だった。B-36は通常型設計の延長であり、多少の新規趣向はあったが当時の爆撃機の大型版といってよい。これに対しXB-35は軍用機として全く新設計の全翼機で、B-36より小型ながら性能諸元の多くは同程度であった。
 1944年までにXB-35はB-36に差をつけられていたが両機ともに問題を抱えていた。同時に大西洋横断爆撃の必要性も消えた。陸軍航空軍はB-36、XB-35は旧式化と判断したが後者を開発中止とした。それはB-36のほうが問題解決が容易と判断したためだった。だが空軍は全翼機構想への関心を捨てず、XB-35をジェット機に再設計する要望を出した。ノースロップは未完のXB-35機体にジェットエンジンを搭載しまず三機を改装した。
 ジェット化で最高速度は493マイルとピストン時代より2割伸びた。YB-49の名称がつき実用上昇限度も伸びソ連迎撃機の追撃を逃れる性能を期待された。ただし燃料消費が著しいエンジンのため戦闘行動半径は縮小し、長距離飛行性能を有するB-36より見劣りがした。YB-49はB-36に速度で勝っていたもののボーイングのB-47ストラトジェット中型爆撃機にかなわなかった。
妨害工作だったのか?
 YB-49試作機各機は悪運がついてまわった。一機は五名の搭乗員とともに1948年6月に空中分解で墜落した。もう一機はタキシー中に機首降着装置が折れ、火災全損した。この事故の直後、空軍はYB-49開発を1950年5月に取り消し、残る試作機は偵察型として1951年まで飛行したが1953年にスクラップ処分された。
 YB-49推進派は空軍が意図的に同機開発を妨害しB-36などを優遇したとの疑いを長く持っていた。ノースロップ社を設立したジャック・ノースロップはコンベアとの合併を拒んだためYB-49は空軍により採用されなかったと信じ込んでいた。YB-49試作機が相次いで事故喪失となって出回った暗い噂では事故ではなく妨害工作だとしていた。ただし今に至るまでこの裏付けとなる証拠は出ていない。
B-2
 その後数十年にわたりノースロップには全翼機が実現する日が来るとは思いもできなかった。B-2スピリットは投入技術こそ大幅に刷新したものの外観にYB-49との強い類似性が見える。実際に両機の翼幅は全く同じだ。ノースロップがB-2で全翼機形状を採用したのはレーダー断面積を小さくできるためだった。フライ・バイ・ワイヤ技術の進歩でB-2の操縦はYB-49,YB-35よりはるかに容易になった。ノースロップ・グラマンB-21レイダーも同様の機体形状といわれ、西安H-20戦略爆撃機やツポレフPAK DAも同様だ。
 YB-49は本格生産に移らなかったが、同機の知見から戦略爆撃機の設計を決定づけた構想の有効性が確立されたのである。■
Robert Farley, a frequent contributor to TNI, is a Visiting Professor at the United States Army War College. The views expressed are those of the author and do not necessarily reflect the official policy or position of the Department of the Army, Department of Defense, or the U.S. Government.

YB-49の映像は映画「宇宙戦争」(1953)で垣間見ることもできますが、その時点で実機はもう存在していなかったのですね。おもしろいことにリメイクといってもいい「インディペンデンスデー」(1996)にB-2が登場していたのはオマージュでしょうか。それよりも病床のジャック・ノースロップがB-2の模型を見て今まで余生をもらったのはこの日のためだったのかと神に感謝してその後逝去したエピソードのほうが感動を呼ぶのですが。あと、試作機で最初に死亡した機長の名前をからエドワーズ基地になったのでしたっけ

コメント

  1. ジャック・ノースロップとB-2のエピソードは聞いたことがあります。「YF-23ブラック・ウィドウII」がF-22に負けて採用されなかったことと言い、ノースロップ社は優れた航空機の設計思想を持ちながら、不運に付き纏われた会社というイメージを持っています。
    最近では、中国もYF-23を参考にしたと思われるステルス機を開発していると言う話もありますし、B-2ステルス爆撃機の件といい、ようやく時代がノースロップの考えに追いついてきたようにも思えます。

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