Why the F/A-18C Hornet Was Truly One of a KindF/A-18Cが比類ない機体になった理由とは
November 10, 2018 Topic: Security Region: Americas Blog Brand: The Buzz Tags: F-18F-18CU.S. Air ForceHornetF-35
As the U.S. increasingly places its faith in a fewer range of platforms, it can only hope the F-35 will prove itself at least half as adaptable, reliable, and versatile as the Hornet was.米国で今後の供用機種が減る中、F-35でもせめてホーネットの半分程度は適合性、信頼性、多芸ぶりを示してもらいたいところだ。
by Edward Chang
April 12, 2018
マクダネル・ダグラスF/A-18Cホーネットが米海軍での供用を2018年4月に終了した。攻撃戦闘機第34飛行隊 (VFA-34)の「ブルーブラスターズ」が「レガシー」ホーネットの海軍における最後の運用部隊となった。USSカール・ヴィンソン(CVN-70)が同機を運用した最後の空母となった。海兵隊は同機をしばらく供用するが、海軍はF/A-18E/Fスーパーホーネットとロッキード・マーティンF-35CライトニングIIを将来の航空隊機種と位置づけている。
ホーネットの設計は実証ずみだが、実際は何度も改修を受けている。今年初めに退役したF/A-18C型は三十年前に初登場した機体と大幅に異なる。
ホーネットは1983年にF/A-18AおよびB型として供用を開始した。単座のA型は海軍・海兵隊の第一線飛行隊に導入され、B型は主に訓練に投入された。精密攻撃能力で名を上げたとはいえ、最初から成功したわけではない。A/B型でAGM-62ウォールアイTV誘導爆弾の利用はAN/AWW-9データリンクポッドと併用が前提だった。そうでないとホーネットは汎用爆弾やクラスター爆弾を運用するだけの平凡な爆撃機になった。
その後の改修でAGM-65マーヴェリック赤外線誘導ミサイル、AGM-84ハープーン対艦ミサイル、AGM-88HARM対レーダーミサイルの運用が可能となった。改修対象はロット10、11機体でF/A-18C、D型として1987年に登場した。D型は複座で海兵隊が使用し、後席に兵装システム士官(WSO)が攻撃任務あるいは前線航空統制(FAC)任務にあたった。
だがなんと言っても大幅な能力向上は「戦闘攻撃機」として「攻撃」能力の獲得だった。1989年11月にロット12のF/A-18C/Dに「夜間攻撃」型ホーネットの呼称がつき、暗視ゴーブル運用型コックピット、夜間低空飛行能力が実現し、ヒューズAN/AAR-50熱画像航法装備 (TINS)を格納したポッド、デジタル地図表示、カラー多用途ディスプレイ(MFDs)も搭載され、これまでの緑色ディスプレイと交代しヘッドアップディスプレイ(HUD)も導入した。新型機はその後F/A-18C(N)の制式名称がついた。
翌年にホーネットで新型AGM-84Eスタンドオフ対地攻撃ミサイル(SLAM)の運用が可能となった。これは1991年の砂漠の嵐作戦で初めて実戦投入された。その後の改修でAN/APG-65 AN/ARC-210 HAVE QUICK/SINCGARS VHF/FM通信装置が導入され、エンジンも効率が良いF404-GE-402に換装された。最後に1993年のロット16からAN/APG-65 レーダーが大幅改修され、APG-73の名称となり「情報量、メモリー容量を増大」させ信頼性を上げ整備が容易になった。並行して新型ミサイルAIM-120AMRAAMの運用が始まり、視界外距離(BVR)での交戦能力が実現した。APG-73はF/A-18E/Fにも当初搭載されていた。
ただしホーネットは精密攻撃の実現に苦労した。マーヴェリックやウォールアイの運用は初期型から実現していたものの、レーザー誘導爆弾(LGB)の利用に制限がついていた。このためホーネット導入後も冷戦終結後の海軍航空部隊で全天候で完全武装の攻撃機として供用されていたのはグラマンA-6Eイントルーダーだった。
AN/AAS-38NITEホーク用の前方監視赤外線(FLIR) ポッドはF/A-18専用に開発されホーネットとほぼ同時に艦隊に導入された。だが初期生産モデルにはレーザーが装着されなかった。そのため別機(例 TRAMを装備したA-6E)や地上FACに標的を識別してもらう必要があった。またAN/ASQ-173レーザースポット追尾装置で標的情報を受信するポッドでハードポイントがひとつ占領され、その分兵装あるいは燃料搭載量が減る。このためF/A-18ではGBUシリーズのレーザー誘導爆弾運用に厳しい制約がつき通常爆弾を運用するのが普通だった。
だが1989年登場した「夜間攻撃型」ホーネットではレーザー照準捕捉測距装置 (LTD/R)がつき、自機で標的捕捉追尾ができるようになった。ただし依然としてASQ-173で二次的情報の利用が必要だった。その後四年間でAAS-38AがC/D型に完全導入された。ただし海軍の第一線ホーネット部隊がF/A-18C(N)に完全移行しLGB運用能力を実現するまで時間がかかった。1990年代中頃にAAS-38Bがロット17機材に搭載されレーザー照準装置が導入された。これでF/A-18単独で標的を捕捉しつつレーザーを活用できるようになった。
NITEホークでは低解像度画像と信頼性が難関だった。新型標的捕捉ポッドの模索が始まり、AN/ASQ-228ターミネーターII高性能標的捕捉FLIR(ATFLIR)が登場した。これで画像の解像度が上がり、高高度かつ長距離での対応が可能となり2000年代に導入が始まった。その後NITEホークにかわりスーパーホーネットの標的捕捉ポッドが供用開始された。ATFLIRは2010年代に入ってもAN/AAQ-28(V)4ライトニングで機能が補完され1K画像で最高水準が実現し、接続性が向上してデジタル処理も高度化している。このポッドは海兵隊機で今後も使われる予定だ。
F/A-18の運用・進化の経緯をみると 米航空戦力を振り返って興味深い事実が見えてくる。精密攻撃能力の性能は触れ込みこそ高かったが、実用化は1991年の湾岸戦争まで待たねばならなかった。海軍、海兵隊がここに加わったのは比較的遅く90年代中頃でとくにLGB投下が航空隊全般で可能となったのは遅い。ただ米空軍でも精密攻撃能力を「軽戦闘機」扱いのジェネラル・ダイナミクスF-16ファイティング・ファルコンでも相当の時間が必要だった。世紀が変わる頃になってもPGM能力はF-15Eストライクイーグル、F-117Aナイトホーク、F-111アードヴァークに限定されていた。対照的に現時点の米戦闘機材すべてで精密攻撃能力が実現しており、B-1BやB-52Hといった重爆撃機でも同様だ。
ホーネットは最重要なテスト証明の機会にもなっている。当初の構想と異なる環境やシナリオに人員、機材ともに投入されると適合、改良、課題解決が都度試され、結果として真のシステムの実力が実現するものだ。F/A-18の場合では米海軍海兵隊に加え世界数カ国の空軍部隊が運用しつつ改良が進んだ。米国で今後の供用機種が減る中、F-35でもせめてホーネットの半分程度の適合性、信頼性、多芸ぶりは示してもらいたいところだ。■
Edward Chang is a freelance defense, military, and foreign policy writer. His writing has appeared in The National Interest, The American Conservative, and War Is Boring.
Image: Wikimedia
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