今週でミッドウェー海戦から80年だ。ミッドウェー海戦は、真珠湾で打撃を受けた米海軍の残存勢力が、想像力に富んだ諜報活動の支援を受け、日本海軍の誇り、空母機動部隊を中部太平洋で待ち伏せた海戦だ。米海軍の魚雷・急降下爆撃攻撃は、1942年6月4日の日没までに日本空母4隻を海の藻屑にした。
その後日本海軍の航空戦力が回復することはなかった。
しかし、ミッドウェー海戦の成果では、撃墜機や喪失艦船数だけが重要なわけではない。阻止できないと思われていた日本によるインド太平洋地域の制圧を停滞させ、戦略的に直接の影響を及ぼした。海上での勝利は、米海軍と海兵隊が同年8月にソロモン諸島で水陸両用反攻作戦を開始する道を開いた。南太平洋諸島作戦は、1944年末に米軍がフィリピンに帰還し頂点に達した。
ミッドウェー海戦は貴重な教訓に満ちており、だからこそ今日でも歴史家や軍人は同海戦を研究している。その中で、著者が特に気に入っている内容を2つ紹介しよう。1つは、常識的なリーダーシップを信頼することだ。元米国海軍兵学校・海軍大学校教授のクレイグ・シモンズは、空母エンタープライズ、ホーネット、ヨークタウンで構成の第16任務部隊を指揮した水上戦担当のレイモンド・A・スプルーアンス少将に言及している。
当時の慣例として、空母は全空中攻撃力を上空に集結させてから、集団を送り出していた。それ自体は賢明なことだ。航空戦闘力を集中させることは、的に勝つ戦略的論理に合致している。日本軍戦闘機から防御が難しい大型攻撃機も、集団なら戦闘機の支援が受けられる。これに対して、部隊を細分化すれば、戦力は希薄になる。だが部隊を分散させ、パイロット間の無線通信を制限して所在を隠せば危険性を軽減できた。
しかし、艦載機は上空を旋回中に燃料を浪費する。燃料が少なければ飛行距離が短くなる。スプルーアンスは、効果的な距離で攻撃したかった。そこで、危険は承知の上で、上空に上がったら直ちに機動部隊に向かい進むよう飛行隊に指示した。より速い戦闘機が、目標に向かう鈍足の魚雷爆撃機や急降下爆撃機に追いつく。うまくいけば、航空群は戦闘力を集中させることができる。6月4日、米軍飛行士すべてがうまくできなかったとしても、スプルーアンスの知恵がかすむことはない。
アリストテレスは、常識を哲学の最高の形とした。賢明だ。そして、リーダーシップの最高峰でもある。常識と教義がぶつかり合うときは常識を優先させるべきだ。
2つ目は、リスク管理だ。太平洋艦隊の最高司令官チェスター・W・ニミッツは、常識的なリスクマネジメントを試みた。戦闘の前夜、ニミッツはスプルーアンスと、ヨークタウンに乗艦していた少将フランク・ジャック・フレッチャーに、「計算リスクの原則」に従い敵と交戦するか、交戦を拒否するかを指示した。ニミッツは、この原則を「優勢な敵部隊の攻撃に自軍がさらされることは、敵に大きな損害を与える見込みがない限り避けること」と解釈するよう求めた。
ニミッツは、配下の指揮官が自らの判断で、自分たちに与えた以上の損害を敵が与える見込みがない限り、戦闘を控えるよう信じた。不釣り合いな利益を追求すれば、健全な戦術が生まれる。
真珠湾攻撃で太平洋艦隊が消耗していたにもかかわらず、ミッドウェイで冒険的な行動を取る余裕があったことが注目に値する。リスクは確率と結果の2変数の積と定義される。ニミッツはスプルーアンスとフレッチャーに、2変数を測定し、自分たちが受けた罰(結果)より悪い罰を与える可能性(確率)が高いか判断を求めた。
もし彼らが有利な結果をもたらす確率を見誤り、自分たちが与えた罰よりもひどい被害を受けたらどうするか?ニミッツは、1940年に制定の両洋海軍法により、本国で新しい艦隊が建造中であり、1943年半ばに太平洋戦域に到着し始めるのを知っていた。
ミッドウェイで第16任務部隊に最悪の事態が発生した場合、太平洋艦隊は新しい艦艇が来るまでやり過ごさなければなくなる。しかし、勝とうが負けようが代替艦艇は来る。つまり、敗北がもたらす影響には恐ろしいものがあったが、新造艦艇で長期的な影響を軽減できた。
新造艦艇は、計算をゆがめ、艦隊を危険にさらした。予備があれば、あるいは予備があるとわかっていれば、賭けるのは簡単になる。
太平洋戦争の緒戦には、現代人の心を揺さぶるものがある。フランスがナチス・ドイツに敗れ、議会とフランクリン・ルーズベルト政権は両洋海軍法を可決し、第二次世界大戦に参戦する前から海軍力増強に着手していた。しかし現在、中国の台頭、ウクライナの戦争などあっても、造船能力の急増を促す要素になっていない。バイデン政権が提出した2023年度予算案では、艦艇24隻を退役させる一方で、後継艦は9隻建造するだけで、単年度で15隻純減となる。このままでは、法律が求める355隻を大幅に下回る280隻に減少してしまう。
日本の重巡洋艦三隈。エンタープライズ(CV-6)とホーネット(CV-8)艦載機に攻撃された後、1942年6月6日午後にエンタープライズのダグラスSBD-3ドーントレスが撮影した。中央部構造物、左舷側後部管からぶら下がる魚雷、4番203mm砲塔上部の残骸に注目。
ミッドウェーの記憶から今を見る必要がある。将来のニミッツ提督が、スプルーアンス提督とフレッチャー提督と同じ自由度を任務部隊司令官に与えられるか疑問だ。同じような戦力、潜在的な戦闘力は、単にない、あるいは作ろうとしていない。このことがわかれば、指揮官たちは、海戦という最も重要な領域で、臆病かつ保守的でリスク回避の意思決定に偏る。
米政府関係者は、艦艇削減の前に、よく考えるべきだ。雲行きが怪しくなってきた今、2023年に「単洋海軍法」を可決することになりかねない。■
The Battle of Midway: Where Japan Lost World War II? - 19FortyFive
A 1945 Contributing Editor, Dr. James Holmes holds the J. C. Wylie Chair of Maritime Strategy at the Naval War College and served on the faculty of the University of Georgia School of Public and International Affairs. A former U.S. Navy surface warfare officer, he was the last gunnery officer in history to fire a battleship’s big guns in anger, during the first Gulf War in 1991. He earned the Naval War College Foundation Award in 1994, signifying the top graduate in his class. His books include Red Star over the Pacific, an Atlantic Monthly Best Book of 2010 and a fixture on the Navy Professional Reading List. General James Mattis deems him “troublesome.” The views voiced here are his alone. Holmes also blogs at the Naval Diplomat.
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