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戦闘作戦の失敗事例:ロシアによるウクライナ侵攻は軍事力の限界を露呈している

  

ドネツクの親ロシア民兵。March 7, 2022

Alexander Ermochenko / Reuters



ロシアによるウクライナ侵攻は軍事力の限界を露呈している。今後数年間は今回の作戦の失敗の分析が展開されるだろう

 

 

シアがウクライナに侵攻し数日後の2月27日、ロシア軍は黒海沿岸のケルソン近郊にあるチョルノバイフカ飛行場の奪取作戦を開始した。ケルソンはロシア軍が最初に占領したウクライナの都市で、ロシアのクリミア半島の拠点にも近いため、次の攻勢をかける上で重要な飛行場となるはずだった。しかし、事態は計画通りに進まなかった。ロシア軍が飛行場を占拠した同日、ウクライナ軍は武装ドローンで反撃を開始し、クリミアから物資をぶヘリコプターを攻撃したの。ウクライナ国防筋によると、3月上旬、ウクライナ兵は滑走路に夜間突入し、ロシア軍ヘリ30機を壊滅的に破壊したという。翌週、ウクライナ軍はさらに7機を破壊した。5月2日までにウクライナ軍は18回攻撃し、ヘリコプター数十機に加え、弾薬庫、ロシア軍将官2名、ロシア軍大隊ほぼ1個を破壊したという。しかし、ロシア軍はこの攻撃の間中、ヘリコプターで装備資材を運び続けていた。滑走路防衛の一貫した戦略も、代替基地もないまま、ロシア軍は当初の命令のまま忠実に実行していた。

 ウクライナのゼレンスキー大統領は、チョルノバイフカの戦いを「国民を虐殺に追いやるロシアの指揮官の無能さ」の象徴だと評した。実際、侵攻開始後の数週間で、同様の例は数多くあった。ウクライナ軍は常に劣勢であったが、ロシア軍が同じ過ちを繰り返し、戦術を変えなかったので、ウクライナ側は主導権を大いに利用できた。このように、戦争が始まった当初から、指揮のあり方に著しいコントラストが見られる。そして、このコントラストが、ロシア軍がここまで期待を裏切ってきたかを説明している。

 2月24日の侵攻開始までの数週間、欧米指導者やアナリスト、国際報道機関は当然ながら、プーチン大統領がウクライナ国境に集結させた圧倒的な戦力に注目していた。19万人ものロシア軍がウクライナに侵攻する態勢を整えていた。大隊戦術集団120個に装甲車両と野砲を備え、航空支援に支えられていた。ウクライナ軍がロシア軍を相手に長く持ちこたえられると想像する向きはほとんどなかった。ロシア作戦に対する主な疑問は、戦闘に勝利した後、ここまで大きな国を占領する十分な戦力があるかだった。しかし、軍事力の真の測定で必要な要素多数を予測は考慮に入れていなかった。

 軍事力とは、一国の軍備とその使用技術だけではない。敵の資源や、同盟国や友好国からの実質的な支援や直接的な介入を考慮すべきだ。軍事力は武器庫や陸軍、海軍、空軍の火力で測られることが多いが、装備の質、整備状況、隊員の訓練と動機付けに大きく依存する。どの戦争でも、戦力を維持する経済力と、必要物資を前線に確実に届ける物流システムの弾力性が、紛争が長引くにつれ重要性を増す。また、交戦国が国内外から自国の大義への支持をどれだけ集め、維持し、敵の大義をどこまで弱体化させられるかも重要で、そのため退却を合理化し、勝利を予測できる説得力ある物語を構築することが必要だ。しかし、なんといっても軍事力は効果的な指揮命令に依存する。

 プーチンのウクライナ侵攻で、最終的な軍事的成功を決定する指揮官の有する重要な役割が明らかになった。武力は国家に大きな力を与える。西側指導者がアフガニスタンとイラクで発見したように、優れた軍備と火力で領土を支配することはできても、領土をうまく管理する効果ははるかに低い。ウクライナでは、プーチンは領土支配にさえ苦労している。プーチン軍の戦争のやり方では、たとえ親ロシア派とされるウクライナ東部でも、統治しようとすれば反感と抵抗に遭う事態が発生している。プーチンは侵攻開始の際に、敵を過小評価し、その核心は弱いと仮定し、自軍の達成能力に過度の自信を持つという、破滅的なミスを犯した。

 

国家の運命

指揮統制は権威ある命令であり、疑問の余地なく従わなければならない。軍事組織は、規律正しく目的意識のまま暴力を行うため、強力な指揮系統を必要とする。戦時下の指揮官は、部下が生存本能に反して行動し、ヒトを殺すことへの抑制を克服するよう説得する特別な課題に直面する。賭け金は非常に高くなる可能性がある。指揮官は自国の運命を握ることもあり、失敗すれば国の恥になりかねないし、成功すれば国の栄誉になると深く認識しなければならない。

 軍事指揮はリーダーシップの一形態とされ、指揮に関する専門書が概説しているように、軍事リーダーに求められる資質は、ほとんどあらゆる場面で称賛に値することが多い。すなわち、深い専門知識、資源を効率的に利用する能力、優れたコミュニケーション能力、他人とうまくやっていく能力、道徳的目的意識と責任、部下への気遣いだ。しかし、戦争という大きな賭けと戦闘のストレスは、相当の要求を突きつけてくる。ここでは、主導権を維持する本能、複雑な状況を明確に把握する能力、信頼を構築する能力、変化する状況や予期せぬ状況に機敏に対応する能力などが必要な資質として挙げられる。歴史家バーバラ・タックマンは、決断力(「勝ち抜く決意」)と判断力(「経験を生かした状況判断力」)の必要性を指摘した。決断力と鋭い戦略的知性を兼ね備えた指揮官は素晴らしい成果を上げるが、決断力と愚かさを兼ね備えた指揮官は破滅に導くこととなる。

 部下が全員自動的に命令に従う保証はない。命令が不適切なこともある。古い情報や不完全な情報に基づいた命令では、最も勤勉な現場将校でさえ無視することがある。また、同じ目的の達成にもっと良い方法があり、実行は可能だが賢明でない場合もある。部下は、嫌いな命令や不信な命令に直面したとき、全面的な不服従に代わる方法を模索することができます。命令を先延ばしにしたり、中途半端に従ったり、目の前の状況に合うよう解釈することもある。

 しかし、このような緊張を避けるため、欧米の近代的な指揮思想では、率先して事態に対処することを部下へ奨励し、指揮官は現場に近い者の判断を信頼しつつ、事態がおかしくなった際に介入する傾向が強まっている。ウクライナ軍はこのアプローチをとっている。だがロシアの指揮思想は階層的のままだ。指揮系統は、部下が命令に背くことを許さない。柔軟性に欠ける指揮系統は、過剰な警戒心を生み、不適切な戦術に固執し、「現場の真実」を欠き、部下は問題を意図的に報告せず、「すべて順調だ」と言い張ることになる。

 ロシアのウクライナにおける指揮の問題は、軍事哲学というよりも、政治的リーダーシップの問題である。ロシアのような独裁体制では、官僚や将校は上司に楯突くことをためらう。指導者の意向を疑わずに行動するのが一番楽なのだ。独裁者は大胆な決定を下せるが、自らの思い込みに基づく可能性がはるかに高く、意思決定プロセスで異議を唱えられることはまずない。独裁者は、同じ考えを持つ助言者に囲まれ、上級軍事指揮官には能力より忠誠心を重んじる傾向がある。

 

成功が膠着へ変わる

プーチンがウクライナで自らの判断を信じようとしたのは、過去の武力行使で判断がうまくいっていたことを反映している。プーチンが政権を取る前の1990年代のロシア軍の状況は、エリツィン大統領が1994年から96年に行ったチェチェン紛争に見られるよう悲惨なものだった。1994年末、ロシアのグラチェフ国防相は、チェチェンの首都グロズヌイにロシア軍を迅速に投入すれば、ロシア連邦から分離独立しようとするチェチェンを終わらせることができるとエリツィンを安心させた。クレムリンは、チェチェンを人為的でギャングがはびこる国家と見ないし、ロシアの軍事力の全開に直面すれば、命を犠牲にしても抵抗する国民は皆無のはずと考えていた。この誤った推測は、現在のウクライナ侵攻のものと似ている。ロシア軍部隊には、ほとんど訓練を受けていない徴募兵が多く含まれ、クレムリンはチェチェン防衛軍が都市部地形をどこまで利用できるかを理解していなかった。結果は悲惨なものであった。攻撃初日、ロシア軍は戦車を含む100両以上の装甲車両を失い、ロシア兵は1日100人の割合で戦死した。エリツィンは回顧録で、この戦争を、ロシアが「わが軍の力について、その不屈の精神について、極めて疑わしいが好意的な幻想と決別した瞬間」だったと述べている。

 第一次チェチェン紛争は、1996年に不満足な形で終結した。1999年9月にエリツィンの後任として首相に就任したウラジーミル・プーチンは、再びこの戦争を行うと決意し、今度はロシア軍が準備を整えるよう確認した。プーチンは、KGBの後継組織である連邦保安庁(FSB)の長官としてキャリアをスタートさせていた。1999年9月、モスクワなどでアパートが爆破されたとき、プーチンはチェチェンのテロリストを非難し(FSBが新たな戦争の口実を作ったと疑う根拠はあった)、ロシア軍に「あらゆる手段でチェチェンを制圧せよ」と命じたのである。この第二次チェチェン戦争で、ロシアはグロズヌイ占領に成功するまで、慎重かつ冷酷に進めた。戦争は長期化したが、プーチンはチェチェン反乱を終わらせる明確な意志を示し、2000年春の大統領選挙で決定的勝利を収めた。プーチンは選挙戦の最中、記者から「最も興味深い政治家は誰か」と聞かれ、ナポレオンを挙げた後、ドゴールを挙げた。協力な中央集権で国家の力を回復しようとする者にとっては、当然の選択だったかもしれない。

 クリミアの占領は、辣腕指揮官としてプーチンの地位を確かにした。

 2013年、プーチンは目的を達成するために、ある道を歩み始めた。商品価格の高水準により、プーチンは強い経済を手に入れた。また、野党を排除し、政権を強固にした。しかし、ロシアと西側諸国との関係は、特にウクライナ問題で悪化していた。2004年のオレンジ革命以来、プーチンはキーウの親欧米政権がNATO加盟を目指すのを懸念していた。2008年のNATOブカレスト首脳会議でこの問題が取り上げられると、懸念はさらに強まった。しかし、危機が訪れたのは2013年、親ロシア派のヤヌコビッチ大統領がEUとの連合協定に調印しようとしていた時だった。プーチンはヤヌコビッチに強い圧力をかけ、調印を見送らせることに成功した。しかし、ヤヌコビッチ大統領の反転は、プーチンが恐れていた通り、マイダン運動という民衆蜂起を引き起こし、最終的にヤヌコビッチ政権は倒れ、ウクライナは完全に親欧米の指導者の手に委ねられた。そこでプーチンはクリミア併合を決意する。

 プーチンは、セヴァストポリにロシア海軍の基地があり、地元住民のロシアへの支持も高い利点を生かし、計画を実行に移した。しかし、慎重に事を進めた。プーチンの戦略は、ロシアの攻撃的な動きを、保護が必要な人々の要望に応えたものに過ぎないと説明するもので、それ以降も踏襲している。そして、「リトル・グリーン・マン」と呼ばれる標準制服と装備の部隊を投入し、クリミアのロシア編入を問う住民投票を地元議会に呼びかけることに成功した。ウクライナや西側諸国が本気で挑んでくるなら、手をこまねいているわけにはいかないとプーチンは覚悟していた。しかし、ウクライナは国防相の臨時代理しかおらず、意思決定権がなく、欧米はロシアに対て限定的な制裁措置しかとらないなど混乱した状態だった。プーチンにとって、クリミア奪取は、ほとんど犠牲者を出さずに、欧米が傍観する中で、辣腕の最高司令官としての地位を確認するものとなった。

 しかし、プーチンは、この明確な勝利に満足することなく、その年の春から夏にかけて、ロシアをウクライナ東部のドンバス地方における難解な紛争に引きずり込んだ。東部の親ロシア感情が弱く、分離独立へ民衆の支持を広く示すことができなかった。モスクワは、分離主義者戦闘員は独自判断で行動していると主張し、紛争は急速に軍事化した。それでも夏には、ドンバスの親ロシア派の飛び地ドネツクとルハンスクの分離主義者がウクライナ軍に敗北しそうになると、クレムリンはロシア正規軍を送り込んだ。その後、ロシア軍はウクライナ軍を相手に苦戦することはなかったが、プーチンはそれでも慎重だった。分離主義者が望む飛び地の併合はせず、ミンスクでの取引を機に、飛び地を利用してウクライナの政策に影響を与えるつもりだった。

 西側観察者の中には、ロシアのドンバスでの戦争は、ハイブリッド戦のように見えた向きもいた。アナリストが説明するように、ロシアは正規軍と非正規軍、表と裏の活動を統合し、既存の軍事行動とサイバー攻撃や情報戦を組み合わせて、敵を追い込むことができた。しかし、この評価はロシアのアプローチの一貫性を誇張しすぎている。実際には、ロシアは、完全に共有できない目的のため、統制するのに苦労する個人により、予測できない結果をもたらす出来事を引き起こしていた。ミンスク合意は履行されず、戦闘は止まなかった。プーチンはせいぜい、紛争を抑え、ウクライナを混乱させながらも、欧米が過度に関与しないよう抑止することで、悪い仕事を最大限に生かしたというところだろう。クリミアの場合と違い、プーチンは指揮官として不確かな手腕を発揮し、ドンバスの飛び地はどの国にも属さない宙ぶらりんな状態になり、ウクライナは西側に接近し続けた。

 

迫力にかける戦力

2021年夏、ドンバス戦争は7年以上も膠着状態にあった。プーチンは事態を収束させるため大胆な計画を立てた。キーウに影響を与えるため飛び地を利用することに失敗したが、その窮状を利用しウクライナの政権交代を訴え、キーウが再びモスクワの勢力圏に入り、NATOやEU加盟を考えることがないようにしようと考えたのである。つまり、ウクライナへ本格侵攻を行うことだ。

 そのためには、膨大な兵力と大胆な作戦が必要だ。しかし、プーチンはシリアに軍事介入し、アサド政権を支えるのに成功したことや、ロシア軍の近代化に取り組んでいることで、自信を深めている。欧米アナリストは、ロシアの軍事力強化について、「極超音速兵器」のような新しいシステムや軍備を含め、印象的な響きを持つロシアの主張をほぼそのまま受け入れていた。また、ロシアの財政基盤は健全で、制裁を加えても効果は限定的だ。西側諸国は、ドナルド・トランプ大統領の就任後、分裂と不安の様相を呈し、2021年8月の米国のアフガニスタン撤退の失敗で確認された。

 プーチンがウクライナで「特別軍事作戦」と称する作戦を開始したとき、西側諸国の多くは成功するかもしれないと懸念した。欧米の観測筋は、ロシアがウクライナ国境に大規模な軍備増強を行うのを数カ月前から観察しており、侵攻が始まると、欧米の戦略家の頭の中には、ロシアの勝利でウクライナがロシアに編入される恐れが先走った。米国や英国など一部 NATO 諸国はウクライナへの軍需品提供を急いだが、その他の諸国はこの悲観論に従い、消極的だった。

 しかし、ロシア軍の増強は、規模の大きさにもかかわらず、ウクライナ全土の占領・維持にはほど遠いものであったことは、あまり知られていない。ロシア軍関係者でさえ、危険性を認識していた。2022年2月初旬、2014年作戦におけるロシア分離主義者のリーダー、イゴール・"ストレルコフ"・ガーキンは、ウクライナ軍は8年前時点より準備が整っており、「動員ずみ、あるいは動員中の兵力が十分ではない」と述べていた。しかし、プーチンはウクライナ問題の専門家に相談せず、代わりにロシア安全保障機構の最も近いアドバイザーである同志に頼り、ウクライナは簡単に占領できるというプーチンの見方に同調していた。

 侵攻が始まるとすぐに、ロシア作戦の弱点が明らかになった。計画では、初日にウクライナの数カ所で決定的な前進をする短期決戦の想定だった。しかし、プーチンと側近たちは楽観的で、精鋭部隊による迅速な作戦を中心に計画を立てた。兵站や補給線ほとんど考慮されていなかったため、いったん失速したロシアの攻勢を維持する能力には限界が生じ、食料、燃料、弾薬など必需品はすべて急速に消費され始めた。事実上、進撃の軸が複数あることで、同時に別々の戦争が戦わされ、それぞれが独自の課題を抱え、それぞれ指揮系統を持ち、各方面間を調整する適切なメカニズムがない状態のままだった。

 プーチンの計画通りに物事が進んでいないことを示す最初の兆候は、キーウ近郊のホストメル空港だった。抵抗が少ないと言われ、輸送機受け入れのため派遣された精鋭空挺部隊は、逆にウクライナの反撃に遭い、撃退されてしまった。結局、ロシア軍は空港の奪取に成功したが、その時点で空港は損傷しており、何の価値もなかった。このほかにも、ロシア軍の強力な戦車部隊が、ウクライナ軍の軽装備部隊に阻まれた。ある証言によると、キーウに向かうロシア軍戦車の大列を、わずか30名のウクライナ兵が夜間に四輪バイクで近づき、先頭の数両を破壊するのに成功し、残りは狭い道路で動けなくなり、さらに攻撃を受ける可能性があったということだ。ウクライナ軍はこの他多くの地域でも同様の待ち伏せに成功した。

 ウクライナ軍は欧米支援を受け、精力的に改革を行い、綿密な防衛計画を立てていた。また、なぜそこにいるのか理解していないロシア軍と異なり、モチベーションも高かった。対戦車兵器やドローン、火砲を駆使した機敏なウクライナ部隊は、ロシア軍の意表を突いた。結局、戦争の初期段階は、数や火力ではなく、戦術、コミットメント、指揮の優劣で決着したのだ。

 

エラーの複合状態

侵攻当初から、ロシアとウクライナの指揮系統の違いは際立っていた。プーチンは、ウクライナを反ロシア活動を行う敵対国であると同時に、ロシアの力に対抗する能力もないと考えたことが、そもそもの戦略的誤りだった。侵攻が停滞する中、プーチンは新しい現実に適応できず、作戦は予定通りに進んでいると主張した。ロシアメディアは、多数のロシア軍戦死者や戦場での度重なる失敗に言及することを封印し、政府の戦争プロパガンダを執拗に強化した。一方、ロシア作戦で最初の標的となったウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、米国はじ西側諸国からの「亡命政権樹立に安全な場所に連れて行く」との申し出を一蹴していた。結局、生き延びただけでなく、キーウに留まり、自国民を鼓舞し、西側諸国に財政的、軍事的支援を求め続けた。ウクライナ国民が自国を守る圧倒的な決意を示す中でゼレンスキーは欧米諸国にロシアへはるかに厳しい制裁を課し、武器や軍需物資をウクライナに供給するよう促した。プーチンが「特別軍事作戦」の失敗を頑なに繰り返す一方で、ゼレンスキーは自信と政治的地位を高めていった。

 プーチンの影響力は、ロシアの他の重要な戦略的決定にも及んでいた。一つは、最初の挫折に続いて、ロシア軍がチェチェンやシリアで用いた残忍な戦術の採用を決定したことだ。病院や住宅など民間インフラを標的とした攻撃だ。この攻撃は多大な苦痛と苦難をもたらし、予想通りウクライナの決意を強固にした。この戦術は、別の意味でも逆効果だった。ブチャなどキーウ周辺でのロシア軍による戦争犯罪が明らかになったことと合わせ、ロシアによる非軍事目標への攻撃は、西側諸国指導者に、プーチンとの妥協的解決は無意味だと確信させた。欧米諸国は、ウクライナへ武器供与を加速させ、防衛だけでなく攻撃的な装備品も重視するようになった。これは、モスクワのプロパガンダが主張するロシアとNATOの戦争ではなかったが、急速にそれに近いものになりつつあった。

 連綿と続く指揮官としての判断ミスにより、プーチンに残された選択肢はほとんどなかった。

 ロシアは3月25日、キーウ占領という最大目標を放棄し、代わりにドンバス地域の「完全な解放」に集中すると発表した。新たな目標で、東部にさらなる悲劇をもたらすことを約束するものではあるが、より現実的であり、これが侵攻の最初の目的であったなら、なおさらそうなっていただろう。クレムリンはロシア軍総司令官を任命した。この総司令官は、整然としたアプローチをとり、砲兵を追加し、装甲車と歩兵が前進する前に地ならしをしようとした。しかし、プーチンが迅速な成果を求め、ロシア軍に回復と第2ラウンド準備の時間を与えなかったため、戦術変更の効果は限定的となった。

 すでにロシアからウクライナへ勢いが移っており、プーチンの予定に合わせる逆転はすぐにできない。5月9日の「大祖国戦争」(ロシアがナチス・ドイツに勝利した日)に向け、プーチンが勝利と呼べるような何かを望んでいたのではないか、と分析する向きもいる。しかし、プーチンは、ウクライナが米国や欧州の新兵器を受け入れる前に、東部で領土を確保したいと考えたのだろう。その結果、ロシア軍司令官は北方から撤退したばかりの部隊を東方の戦闘に投入し、兵力補充や初回作戦で見られた失敗を改善する時間がなかった。

 4月中旬から本格化した新たな攻勢では、ロシア軍は成果を上げられず、ウクライナの反撃で陣地が蝕まれた。さらに、ウクライナの大胆な攻撃で黒海の旗艦モスクワが撃沈されるなど、困惑の連続だった。5月9日のモスクワに祝賀ムードはなかった。開戦以来、ロシアが容赦なく攻撃し、瓦礫と化した沿岸部の都市マリウポリでさえ、完全占領できたのは1週間後だった。そのころには、西側推定では、人員、装備ともにロシアの初期戦闘力の3分の1が失われていた。プーチンは祝日を利用して、軍の人手不足に対応するため総動員令を発表するとの噂が流れたが、発表はなかった。ロシア国内で不人気なのは確かだ。また、徴兵や予備役兵が戦地に赴くのに時間がかかっており、装備も慢性的に不足している。

 指揮官としての判断ミスが連発し、プーチンは万策尽きた。ウクライナでの攻防が3カ月目に入ると、多くのオブザーバーが「ロシアは負けられない戦争から抜け出せなくなった」と指摘するに至った。西側諸国政府やNATO高官は、この先、数カ月、あるいは数年間、紛争が続く可能性があると語り始めた。それは、ロシア軍の指揮官が低士気で消耗した部隊で戦いを続けられるかどうか、ウクライナが防御的から攻撃的な戦略に移行できるかにかかる。おそらくロシア軍は、この状況でもまだ何かを救い出すことができるだろう。あるいは、プーチンは、ウクライナの反攻に奪われる前に、戦争初期の利益を得るため、失敗を認めることになるが、ある時点で停戦を呼びかけるのが賢明であると考えるかもしれない。

 

目的を欠いたままの軍事力

独自の特徴を有する戦争から教訓を引き出す際は、特に、全容が明らかになっていない戦争の場合は注意が必要だ。アナリストや軍事計画家は、ウクライナ戦を軍事力の限界の一例としてこれから何年も研究するはずであり、強大な空軍と海軍、新装備を有し、成功した戦闘経験を持つ世界最強・最大の軍隊が、なぜあれほどひどい失敗をしたかについて説明を試みるはずだ。侵攻前のロシアの軍備とウクライナの小規模で劣勢の防衛軍を比較したとき、どちらが優位に立つか疑う者はほとんどいなかった。しかし、実際の戦争は質的、人的要因で決まるものであり、鋭い戦術を持ち、政治的最高レベルから下級の現場指揮官まで、目的に適った指揮系統でまとめられていたのはウクライナ側だった。

 プーチンのウクライナ戦争は、何よりも最高指揮系統の失敗事例といえる。最高司令官がどのように目標を設定し、どのように戦争を開始するかによって、その後の展開が決まる。プーチンの失敗は特殊なものではなく、自らのプロパガンダを鵜呑みにする独裁指導者が犯す典型的なものだ。プーチンは、勝利は容易に得られるとの楽観的な仮定を検証しなかった。自国の軍隊が勝利をもたらすと信じていた。ウクライナが、チェチェン、ジョージア、シリアでの作戦とまったく異なる規模の挑戦であることを理解していなかった。しかも、硬直した階層的な指揮系統に依存していたため、現地情報を吸収し適応することができず、肝心のロシア軍が状況変化に迅速に対応できなかった。

 権限委譲と現場イニシアティブの価値は、今回の戦争で得られたもう一つの重要な教訓だろう。しかし、これらの実践を有効にするためには、軍部隊が条件4つを満たす必要がある。第一に、上層部と下層部の間に相互の信頼関係がなければならない。最高司令部は、部下が厳しい状況下でも正しい行動をとる知性と能力を備えていると確信し、部下は、最高司令部が最大限のバックアップをしてくれると確信しなければならない。第二に、戦闘を続けるために必要な装備と物資を、戦闘部隊が入手できなければならない。ウクライナ軍は携帯型の対戦車兵器や防空兵器を使用し、本拠地に近い場所で戦っていたことが救いだった。しかし、それでも物流システムが機能する必要がある。

 第三に、最下級の指揮官による質の高い指導が必要である。ウクライナ軍は欧米の指導のもと、装備の整備から実際の戦闘準備まで、移動する軍隊の基本的要求を確実に満たす下士官部隊を育成しようとしていたが、下士官部隊の育成が遅れた。実際には、動員で復帰した者の多くが経験者で、何をすべきかを自然に理解していたことが、大きな意味となった。

 しかし、これが第4の条件につながる。どのような指揮レベルであれ、効果的に行動するには、ミッションへのコミットメントとその政治的目的の理解が必要だ。ロシア軍が想定した敵は、直面した敵ではなかったし、ウクライナ住民は、言われていたのとは逆に、解放されることを望んでいなかった。戦いが無駄であればあるほど、戦う部隊の士気は下がり、規律も弱くなる。このような状況では、現場のイニシアチブがあっても、脱走や略奪に終わるだけだ。それに対して、ウクライナ人は、領土を破壊しようとする敵から自らの領土を守っていた。モチベーションの非対称性が、最初から戦闘に影響を及ぼしていた。ここで、プーチンの最初の決断の愚かさに立ち戻ることになる。妄想で軍隊を指揮することは難しい。■

 

 

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  Japanese Ministry of Defense 日本が巡洋艦に近いミサイル防衛任務に特化したマルチロール艦を建造する  弾 道ミサイル防衛(BMD)艦2隻を新たに建造する日本の防衛装備整備計画が新たな展開を見せ、関係者はマルチロール指向の巡洋艦に近い設計に焦点を当てている。実現すれば、は第二次世界大戦後で最大の日本の水上戦闘艦となる。 この種の艦船が大型になる傾向は分かっていたが、日本は柔軟性のない、専用BMD艦をこれまで建造しており、今回は船体形状から、揚陸強襲艦とも共通点が多いように見える。 この開示は、本日発表された2024年度最新防衛予算概算要求に含まれている。これはまた、日本の過去最大の529億ドルであり、ライバル、特に中国と歩調を合わせる緊急性を反映している。 防衛予算要求で優先される支出は、イージスシステム搭載艦 ( Aegis system equipped vessel, ASEV) 2隻で、それぞれ26億ドルかかると予想されている。 コンピューター画像では、「まや」級(日本の最新型イージス護衛艦)と全体構成が似ているものの、新型艦はかなり大きくなる。また、レーダーは艦橋上部に格納され、喫水線よりはるか上空に設置されるため、水平線を長く見渡せるようになる。日本は、「まや」、「あたご」、「こんごう」各級のレーダーアレイをできるだけ高い位置に取り付けることを優先してきた。しかし、今回はさらに前進させる大きな特徴となる。 防衛省によると、新型ASEVは全長約620フィート、ビーム82フィート、標準排水量12,000トンになる。これに対し、「まや」クラスの設計は、全長557フィート強、ビーム約73フィート、標準排水量約8,200トンだ。一方、米海軍のタイコンデロガ級巡洋艦は、全長567フィート、ビーム55フィート、標準排水量約9,600トン。 サイズは、タイコンデロガ級が新しいASEV設計に近いが、それでもかなり小さい。Naval News報道によると、新型艦は米海軍アーレイ・バーク級フライトIII駆逐艦の1.7倍の大きさになると指摘している。 武装に関して言えば、新型ASEVは以前の検討よりはるかに幅広い能力を持つように計画されている。 同艦の兵器システムの中心は、さまざまな脅威に対する防空・弾道ミサイル防衛用のSM-3ブロックII...

次期高性能駆逐艦13DDXの概要が明らかになった 今年度に設計開始し、2030年代初頭の就役をめざす

最新の海上安全保障情報が海外メディアを通じて日本国内に入ってくることにイライラしています。今回は新型艦13DDXについての海外会議でのプレゼン内容をNaval Newsが伝えてくれましたが、防衛省防衛装備庁は定期的にブリーフィングを報道機関に開催すべきではないでしょうか。もっとも記事となるかは各社の判断なのですが、普段から防衛問題へのインテリジェンスを上げていく行為が必要でしょう。あわせてこれまでの習慣を捨てて、Destroyerは駆逐艦と呼ぶようにしていったらどうでしょうか。(本ブログでは護衛艦などという間際らしい用語は使っていません) Early rendering of the 13DDX destroyer for the JMSDF. ATLA image. 新型防空駆逐艦13DDXの構想 日本は、2024年度に新型のハイエンド防空駆逐艦13DDXの設計作業を開始する 日 本の防衛省(MoD)高官が最近の会議で語った内容によれば、2030年代初頭に就役開始予定のこの新型艦は、就役中の駆逐艦やフリゲート艦の設計を活用し、変化する脅威に対し重層的な防空を提供するため、異なるコンセプトと能力を統合する予定である。  防衛装備庁(ATLA)の今吉真一海将(海軍システム部長)は、13DDX先進駆逐艦のコンセプトは、「あさひ」/25DD級駆逐艦と「もがみ」/30FFM級フリゲート艦の設計を参考にすると、5月下旬に英国で開催された海軍指導者会議(CNE24)で語った。  この2つの艦級は、それぞれ2018年と2022年に就役を始めている。  13DDX型は、海上自衛隊(JMSDF)が、今吉の言う「新しい戦争方法」を含む、戦略的環境の重大かつ地球規模の変化に対抗できるようにするために必要とされる。防衛省と海上自衛隊は、この戦略的環境を2つの作戦文脈で捉えている。  第一に、中国、北朝鮮、ロシアが、極超音速システムを含むミサイル技術、電子戦(EW)を含むA2/AD能力の強化など、広範な軍事能力を急速に開発している。第二に、ウクライナにおけるロシアの戦争は、弾道ミサイルや巡航ミサイルの大規模な使用、EWやサイバー戦に基づく非対称攻撃、情報空間を含むハイブリッド戦争作戦、無人システムの使用など、新たな作戦実態を露呈したと説明した。  新型駆逐艦は、敵の対接近・領域拒否(A2/A...