あなたの知らない戦史シリーズ(7)
朝鮮戦争で、ロイス・ウィリアムズ海軍大尉はソ連戦闘機7機と正面から戦い、生き残っただけでなく、撃墜数機を確認し戦場を後にした。 (Task & Purpose photo composite/Wikimedia Commons/U.S. Navy via Twitter).
ありえないドッグファイトは何十年も隠蔽されてきたが、伝説になっている。
朝鮮戦争中の1952年11月18日、ロイス・ウィリアムズ海軍大尉は、所属する飛行隊VF-781の他の3人のパイロットと、日本海の荒れた空に空母USSオリスカニーから発進した。朝鮮戦争で海軍は25万回以上の出撃を行ったが、冷戦時代の緊迫した政治環境のため数十年間隠蔽されてきた戦闘は空中戦の偉業となった。
この作戦でウィリアムズは、当時最新鋭のジェット戦闘機でソ連空軍のパイロット7名と対戦し、3機撃墜を確認、1機撃墜確実が後に撃墜確認された。ウィリアムズは海軍の要請でこの事件を伏せていたが、現在、当日の行動に対し名誉勲章授与の取り組みが進められている。『トップガン マーベリック』が興行収入記録を更新し話題になっているが、これは実在したマーベリックと、ありえないようなドッグファイトの物語である。
オリスカニーは任務部隊77の一員として、北朝鮮の兵站センターを攻撃していた。その日の標的は、中国、北朝鮮、そして当時のソビエト連邦の国境が交わる鴨緑江に沿った会寧(フェリオン)市だった。そのため、各国領空を侵犯する可能性があり、危険な爆撃任務となった。
ウィリアムズはこの日2回目の任務で、グラマンF9F-5パンサーで戦闘空中哨戒として飛行していた。
1952年7月4日、北朝鮮沖で作戦中のタスクフォース77の艦艇の上を飛ぶアメリカ海軍グラマンF9F-2パンサー(戦闘機隊24(VF-24)「コルセア」所属)。(Wikimedia Commons)
「雲を抜けると互いにランデブーし始めた」。 ウィリアムズはタスク&パーパスのインタビューで、「その時、戦闘情報センターから北からボギーが来ていると聞いた」。と回想している。
高度12,000フィート以上で雲の上に出たウィリアムズは、上空に7つの飛行機雲を発見した。MiG-15だった。
アメリカ空軍のF-86に匹敵するMiGは、速度、機動性、上昇率、兵器でパンサーを凌駕していた。海軍は初期こそMiG撃墜数機を達成していたが、任務は地上攻撃中心へと切り替わっていた。ウィリアムズは1944年から海軍の戦闘機パイロット訓練を受けていたが、朝鮮半島でのパンサーの主要任務は空対地戦闘だった。
空中戦は朝鮮半島の西半分に限定され、空軍のF-86セイバーが 「MiGアレイ」と呼ばれる中国からの進入路をパトロールするのが一般的だった。これが、ウィリアムズにとって、相手がソ連から発進した機体であることを示す一つの指標となった。
ウィリアムズは機銃のテストを兼ね素早くバースト射撃したが、その瞬間、フライトリーダーが燃料ポンプの警告灯点滅を報告し、艦隊へ戻っていった。交戦が始まる前、7機のMiGs対2機のパンサーになった。
ウィリアムズと僚機が26,000フィートを超えて上昇すると、ミグは2つの編隊に分かれ、うちの4機がウィリアムズの10時方向から海急降下して射撃してきた。ウィリアムズは旋回し、ミグ編隊に向かって引き寄せ、グループの「最後尾のチャーリー」に短いバーストで射撃した。これがウィリアムズのこの日最初のキルとなった。
2機のMiG編隊が高度を上げ、攻撃飛行に入ると、ウィリアムズは1機の後方につき、2機目をダウンさせた。パンサーはMiGより弾薬搭載量が少ないため、ウィリアムズは慎重に狙いを定める必要があった。
「その瞬間、仕事をする戦闘機パイロットになっていた。持っているものを撃つだけだった」。
残る5機のソ連機は、順番に上昇し、ウィリアムズに向かいパスした。ウィリアムズはパンサーを限界までひねって、ソ連機が自分の照準の前を通過する際に交戦したり、急旋回で真正面から向き合ったりするしかできなかった。
ウィリアムズが別のミグに発砲すると、ミグはバンクして戦闘から離脱した。そのソ連機の僚機がウィリアムズの方を向くと、ウィリアムズはロングバーストを放ち、2機は接近したまま通過し、ソ連機は海に墜落した。
30分以上の空戦で、ウィリアムズは少なくとも3機を撃墜し、4機目は大きく損傷した。しかし、ウィリアムズの機も、深刻な損害を被った。
「旋回中に37ミリ砲で撃たれ油圧が効かなくなった」。
弾薬もなく、飛ぶのもやっとの機体で、ウィリアムズは機体を操りながら、オリスカニーに戻っていった。
低空飛行していたウィリアムズは、脱出も考えたが、飛行を続けることにした。
「あの天候では、捜索発見されるまで生き残れないと思ったからだ」。
ウィリアムズが海軍の任務部隊に近づくと、敵機と間違え発砲してきた。パンサーの通常の着艦速度が105ノット(時速約120マイル)だが、ウィリアムズは機体を170ノット以下にできず、接近が危ぶまれた。しかし、なんとか着艦に成功した。
1952年11月18日、ソ連のMiG-15戦闘機7機との戦闘でF9F-5パンサーが受けた損傷 (Photo courtesy of U.S. Naval Institute)
空母艦上で、ウィリアムズのパンサーに263個の穴が数えられたが、彼は二度とそれを見ることはなかった。機体は甲板から海へ突き落とされ、ガンカメラ映像は分析のため持ち去られたようだ。
このことから、接敵が国家安全保障に関わるものであるのが分かる。ソ連志願パイロットが飛行していることが知られていたが、ウィリアムズはソ連空軍と交戦したのである。さらに、ウィリアムズの飛行隊は、国家安全保障局の情報で、ソ連軍機の存在を知っていた。
ウィリアムズは、極東海軍司令官ロバート・ブリスコ海軍大将から、3機あるいは4機のミグを撃墜したことは確認できたが、この作戦について誰にも話すなと告げられた。
ウィリアムズはそれを実行した。ベトナムでの110回の任務を含む23年間のキャリアを通じ、ウィリアムズ唯一の公式記録は、撃墜1機と銀星章であった。その日、ウィリアムズと飛んだ他のパイロット2人も、敵機を撃墜したことで表彰された。
それから40年後、ソビエト連邦の崩壊とともに、モスクワから当日の交戦を確認する記録が出てきた。このドッグファイトは、ロシアの歴史家イゴール・セイドフが2014年に出版した本「Red Devils Over the Yalu」が取り上げている。
現在、ウィリアムズに名誉勲章を授与する運動が長く続いている。退役軍人スティーブ・ルワンドウスキーは、この行動を支持する100人近い海軍、海兵隊、陸軍の将校の署名を集め、米国在郷軍人会や殊勲十字章協会の決議も集めている。
しかし、この事件は公式には起こっていないことになっているため、公式書類を見つけるのは困難な作業だ。とはいえ、本物のマーベリックを探すなら、そこにいる。■
The real-life Maverick who took on 7 Soviet jets in a classified Korean War dogfight
BY MAX HAUPTMAN | PUBLISHED JUN 24, 2022 10:45 AM
Max Hauptman has been covering breaking news at Task & Purpose since December 2021. He previously worked at The Washington Post as a Military Veterans in Journalism Fellow, as well as covering local news in New England. Contact the author here.
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