2016年9月7日水曜日

歴史に残る機体11 MiG-25フォックスバットは巨大な張子の虎、函館空港着陸から40年


(Credit: US Air Force/ Wikimedia Commons)函館空港にMiG-25が着陸して40年がたちました。当初恐れられていた同機ですが、分解してその実力を露呈してしまいました。この記事では亡命事件をベレンコの個人の企てのように書いていますが、実態はどうったのでしょう。また故トム・クランシーの「レッドオクトーバーを追え」がこの事件で触発されたのは明らかですね。その両者に共通するのはザ・カンパニーです。

The pilot who stole a secret Soviet fighter jet


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  • By Stephen Dowling 5 September 2016



1976年9月6日、函館近くの雲の中から一機の航空機が出現した。同機は双発ジェット機だが函館空港でお馴染みの短距離旅客機とは全く違っていた。大型で灰色の機体には赤い星、ソ連のマークがついており、西側陣営で実機を見たものは誰もいなかった。

同機は函館空港に着陸したが滑走路が足りなかった。舗装路を外れ土を数百フィート掘り返しながらやっと停止した。

パイロットは操縦席から出るとピストルで威嚇射撃を二発撃った。空港隣接道路から写真を撮影したものがあったのだ。空港関係者が慌ててターミナルビルから駆けつけるまで数分かかったがパイロットは29歳の飛行中尉ヴィクトール・イヴァノヴィッチ・ベレンコでソ連防空軍所属だと名乗り亡命を申請した。

通常の亡命ではなかった。ベレンコは大使館に駆け込んだのでもなく、海外旅行中に脱走したのでもなかった。機体は400マイルほど飛行しており、今や日本の地方空港の滑走路端に鎮座している。機種はミコヤン-グレヴィッチMiG-25だ。ソ連が極秘扱いしてきた機体だ。ベレンコが来るまでは、だったが。

西側はMiG-25の存在を1970年頃に把握していた。スパイ衛星がソ連飛行基地で新型機が極秘テストされているのを探知。外観から高性能戦闘機のようで西側軍部は特に大きな主力に注目した。







大面積の主翼は戦闘機に極めて有益だ。揚力がつき、主翼にかかる機体重量を分散する効果があり、旋回が楽になる。ソ連ジェット戦闘機はこれに大型エンジン二基を組み合わせたようだった。どれだけ早いのか。米空軍機で対抗できるのだろうか。

同機はまず中東で目撃された。1971年3月のことでイスラエルが観測した奇妙な新型機はマッハ3.2まで加速し高度63千フィートまで上昇していた。イスラエルも米側情報機関もこんな機体は見たことがない。二番目の遭遇例ではイスラエル戦闘機が緊急発進したが追いつけなかった。

11月にイスラエルは謎の機体を待ち伏せし、ミサイルを30千フィート下から発射した。無駄に終わった。正体不明の機体は音速の三倍近くの速度でミサイルからゆうゆうと逃げていった。

ペンタゴンはこの事例から冷戦始まって以来の危機と認識し、問題のジェット機は衛星画像の機体と同一だと判明した。ソ連空軍に米空軍の手に余る機体が出現したのだ。





軍事力の解釈を誤った古典例だとスティーブン・トリンブル(米国版Flightglobal編集長)は語る。「外観で性能を過大評価したようだ」とし、「主翼の大きさと巨大な空気取り入れ口が原因だ。超高速も理解し、操縦性も高いと考えていた。前者は正解だったが後者はハズレだったのです」


米衛星とイスラエルレーダーは同一の機体MiG-25を捉えていた。同機は米側の整備しようとしていた1960年代の機体群、F-108戦闘機から、SR-71スパイ機さらに巨大なB-70に備えようとするソ連の回答だった。各機がマッハ3飛行という共通項を持っていた。


1950年代のソ連は航空技術で飛躍的進歩を示していた。爆撃機ではB-52に匹敵する機体を運用し、戦闘機はほとんどがMiG設計局の作で米側各機に迫る性能を示しながら、レーダーや電子製品はかなり劣っていた。だがマッハ2からマッハ3への進展は難易度が高い課題だ。だがソ連技術陣はこの挑戦を避けることが許されず、かつ迅速に実現する必要があった。


その課題に果敢に挑んだのがロスティスラフ・ベリヤコフ設計主任だった。高速新型戦闘機を飛ばすには莫大な推進力を生むエンジンが必要だ。ソ連のエンジン開発の中心人物トゥマンスキーが回答となるエンジンR-15ターボジェットを完成させていた。新型MiG機にはエンジン二基が必要で各11トンの推力を想定した。




(Credit: US Navy)

MiG-25は第二次大戦時のランカスター爆撃機の全長とほぼ同じ (Credit: US Navy)

これだけ高速となると空気との摩擦熱量が莫大となる。ロッキードはSR-71ブラックバードをチタン製としたため高価かつ製造が困難になった。MiGは鋼鉄を素材とした。しかも多量に。MiG-25は手作業で溶接して機体を製造していた。


ロシアの軍事博物館各所には退役機が陳列してあり、当時の任務が理解できる。MiG-25は巨大な機体だ。全長64フィート(19.5メートル)で第二次大戦時のランカスター爆撃機よりわずか数フィート短いに過ぎない。これだけ大きいのはエンジン二基を搭載し、莫大な燃料を運ぶ必要があった。「MiG-25は燃料3万ポンド(約14トン)を搭載していました」(トリンブル)





重い鋼鉄製の機体としたことが主翼が大きくなった理由だ。米戦闘機とのドッグファイトには役立たないが、ともかく飛行できる。


MiG-25の設計思想は離陸後、マッハ2.5まで加速し地上レーダーがとらえた目標に接近するというものだった。50マイルまで近づくと機内レーダーが引き継ぎ、ミサイルを発射する。このミサイルも機体の大きさに応じて20フィード(6メートル)ほどの大きさだ。

米ブラックバードに対抗すべく作られたMiG-25には偵察機型もあり、非武装でカメラやセンサー多数を搭載した。ミサイルの重量分と目標捕捉レーダーがないため、機体は軽量となり、マッハ3.2まで加速可能だった。この機体をイスラエルは1971年に目撃していた。


だが1970年代初頭の米防衛トップはMiG-25の性能を知らずにコードネームの「フォックスバット」はつけていた。宇宙空間から撮影の不鮮明な写真やレーダー探知の輝点でしか姿を見られずMiG-25は謎の脅威のままだった。だがすべては現状に不満を覚えるソ連戦闘機乗りがコックピットのハッチを開けるまでのことだった。


ヴィクトール・ベレンコは模範的ソ連市民で第二次大戦終結直後にコーカサス山脈の麓で生まれた。軍務に就き戦闘機パイロットとなった。通常のソ連市民には不可能な役得を伴う仕事だ。




(Credit: CIA Museum)

ベレンコの軍人証明書はワシントンDCのCIA博物館に展示中 (Credit: CIA Museum)

だがベレンコには不満があった。一児の父となった彼は離婚の危機にあった。ソ連社会の成り立ちそのものに疑問を抱き始める。またアメリカが本当にソ連政府が言うような悪魔的存在なのだろうか。「ソ連プロパガンダでは皆さんの社会を腐敗社会で没落中としていたのですよ」とベレンコはFull Context誌に1996年語っている。「だが疑問が心のなかに残っていました」


ベレンコは訓練中の新型戦闘機が脱出の鍵だと理解していた。配属先はチュグエフカ空軍基地でウラジオストック近郊だった。日本へはわずか400マイルである。新型MiGなら高高度を高速飛行できるが巨大な双発エンジンは飛行距離が短い。とても米空軍基地までは到達できない。9月6日にベレンコは同僚パイロットと訓練飛行に出かける。両機は武装をつけていない。ベレンコはおおまかな飛行経路を検討ずみ、燃料を満載していた。


洋上に出ると編隊を離れ、単独で日本に向けて航路をとった。

ソ連、日本の軍事レーダー探知を逃れるため、ベレンコは超低空飛行をする。海上およし100フィートだ。日本領空に侵入してから高度を一気に20千フィートに引き上げ、日本のレーダー荷姿を見させた。驚いた日本は国籍不明機へ呼びかけるものの、ベレンコは別の周波数へあわせていた。日本機がスクランブルするが、それまでにベレンコは厚い雲の中を飛行していた。日本のレーダーも捕捉を失う。


この時点でベレンコは勘で飛行しており、離陸前に叩き込んだ地図の記憶だけが頼りだった。千歳基地へ向かうつもりだったが、燃料が底をつきつつあり一番近くの空港に着陸するしかなかった。函館である。

日本はMiG-25が着陸して初めて迎撃対象機の正体を知ることになった。日本はいきなり亡命パイロットを迎えることになった。またジェット戦闘機が残った。西側情報機関が正体をつかめなかった機体だ。函館空港は突如として情報機関の活躍場所となり、CIAは幸運を信じられなかった。




「MiG-25機を分解し、部品を一つ一つ何週間もかけて検分しました。性能の実態を理解することができました」(トリンブル)

ソ連はペンタゴンが恐れたような「スーパー戦闘機」を作っていなかった、とスミソニアン協会航空学術員ロジャー・コナーは述べる。特別な任務の用途で製造されたつぶしの利かない機体だった。





「MiG-25は戦闘用機材として有益な存在でなかったのです。高価で取り扱いが大変な機体で、戦闘では大きな効果は挙げなかったでしょう」(コナー)


問題が他にもあった。マッハ3飛行はエンジン負担が並ではなかった。ロッキードSR-71ではこの問題をエンジン前方にコーンを設けることで解決し、エンジン部品の損壊を防いだ。取り入れた空気をエンジン後部から押し出して推力を増やす狙いもあった。


MiG-25のターボジェットエンジンは2,000マイル時(3,200キロ)を超えると不調となった。それだけの空流は燃料ポンプを圧倒し、一層多くの燃料がエンジンに供給される。同時にコンプレッサーが生む力は膨大でエンジン部品を飲み込むほどだ。MiGの機体そのものが損壊する。MiG-25パイロットはマッハ2.8を超えないよう注意されていた。イスラエルが1971年に追跡した機体はマッハ3.2を出して両エンジンを損壊している。


MiG-25の存在が明らかになり米国は新型機開発を始めた。その成果がF-15イーグルで高速飛行を狙いつつ同時に高度の操縦性を狙ったのはMiG-25の推定性能内容を実現したものだ。40年経ったが、F-15は今でも第一線で活躍中だ。


今になってみれば、MiG-25を西側があれだけ恐れたのは「張子の虎」だったのがわかる。搭載する大型レーダーは米国より数年間遅れた技術のあらわれで、半導体の代わりに旧式真空管が使われていた。(ただし真空管は核爆発で生まれる電磁パルスへは強い) 巨大なエンジン二基には多量の燃料が必要なため、MiG-25は短距離しか飛行できない。離陸は確かに早く、直線飛行を高速にこなしてミサイルを発射するか写真撮影するだけだ。ただそれだけなのである。


ソ連が長年世界から隠してきたMiG-25は部分的に再組み立てされ、船舶でソ連に返却された。日本はソ連に輸送費用並びに函館空港の損傷の弁償費用として4万ドルを請求した。


すぐにそれまで恐れられていたMiG-25にはSR-71を迎撃する能力がないことが判明した。

「MiGとSR-71の大きなちがいのひとつにSR-71が単に早いだけでなくマラソン選手のような存在だという点があります。MiGは短距離選手ですね。ボルトのような存在ですが、マラソン選手より遅いボルトです」(コナー)


成約があったがMiG-25は1,200機も生産された。「フォックスバット」はソ連陣営の空軍部隊の最上級機材とされ、世界で二番目に高速な機体を配備するプレミアム感覚とプロパガンダ効果を期待された。アルジェリア、シリアは現在も運用中とされ、インドは偵察機として25年間に渡りうまく活用してきたが2006年に部品不足のため退役している。

MiG-25のもたらす恐怖感が最大の効果だったとトリンブルも言う。「1976年まで米側は同機にはSR-71迎撃能力があると信じており、SR-71はソ連領空侵入を許されていませんでした。ソ連は自国上空の情報収集機飛行に神経質でしたしね」



(Credit: US Department of Defense)

MiG-31は MiG-25 の改良型といってよい機体だ (Credit: US Department of Defense)


ベレンコは結局ソ連に帰国せず、米国居住を認められ、ジミー・カーター大統領本人から市民権が与えられた。その後、航空工学技術者として米空軍向けコンサルタントとなった。


本人の軍人時代の身分証明書および日本海上空を飛行中に膝の上で殴り書きした紙幣がワシントンDCのCIA博物館に展示されている。

米F-15が出現したこともあり、ソ連技術陣にMiG-25の欠点を克服した新型機設計を急がせた。トリンブルによればここからMiGのライバルのスホイがSu-27シリーズを産んだという。同機は各種機体へ進化した。こちらのほうこそペンタゴンが1970年台早々に心配していた機体であり、最新型は世界最良の戦闘機だという。


MiG-25の物語はここで完結しなかった。大きく改良されMiG-31が生まれた。性能を引き上げたセンサーを搭載した戦闘きで強力なレーダーと改良型エンジンを搭載した。「MiG-31は基本的にはMiG-25で目指した姿を実現した機体です」(トリンブル) MiG-31は冷戦終結直前で実戦化され、数百機が今もロシアの広大な国境線を守っている。西側筋がMiG-31を観察する機会として航空ショーがあるが、内部構造は堅く秘密が守られている。

MiG-31パイロットで国外亡命しようというものは出ていない。■




2016年9月6日火曜日

★★中国は超大型機An-225を入手して何をするのか



中国には技術を自国で物にするためには時間と労力が必要だとの認識が近代化開始からずっと欠けたままです。今回も金の力で苦境にあるウクライナから技術を獲得する良い取り引きができたと思っているのでしょうが、長い目で見ればどうなのでしょう。戦略では長期的な視点が目立つ中国が技術戦略ではどうして同じことができないのか。それは科学技術の意義が理解されていないためとズバリ指摘しておきます。An-225は確かに巨大ですが、あまり意味のない機体でしょう。

War Is BoringWe go to war so you don’t have to
Antonov Airlines’ An-225. Karlis Dambrans photo via Flickr

China to Build the World’s Largest Plane — With Ukraine’s Help

The An-225 could assist Beijing’s space program, or something else

by ROBERT BECKHUSEN

  1. ウクライナの航空機メーカー、アントノフはソ連時代の伝説的企業でロシアのクリミア侵攻で存続が危うくななった。同社の主要顧客であるロシア政府が一夜にして望ましくない顧客に変身したためだ。
  2. 以前にも苦い経験はあった。ソ連時代の1980年代にアントノフは世界最大の輸送機An-225ムリヤ(「夢」)を企画し現在一機だけ飛行可能な状態にある。
  3. 今日ではこの唯一の機体が民生貨物輸送機として超重量級発電機、タービンブレイド、石油掘削装置まで運んでいる。興味深いことにアントノフはもともと同機をスペースシャトル搬送用に使おうとしていた。
  4. さこで中国が同型機をまず一機生産させようとしており、追加もありうる。
  5. 両国は協力取り決めに8月30日に調印し、未完成のままのAn-225二号機を完成させ中国航空工業集団に納入する。「第二段階でAn-225のライセンス生産を中国国内で認める」とアントノフは報道資料で説明。
  6. An-225ムリヤはNATO呼称コサックでAn-124ルスランを大幅に改造したものだ。An-124はロシア空軍で最大の輸送機として供用中で世界最大の軍用輸送機だ。だがAn-225は機体をさらに大きくしエンジン二基を追加し、貨物床を強化したうえ、主翼を延長し、尾翼もふたつになっている。このためムリヤは最大離陸重量が700トンと747より200トン多く、エアバスA380-800Fよりも50トン多い。An-225の翼幅は世界最大の290フィートで怪物航空機といってよい。ただし翼幅の最大記録はH-4ハーキュリーズが保持している。とはいえAn-225の機体重量は世界最大だ。
  7. 現在唯一のAn-225は初飛行が1988年だが、ブラン宇宙シャトル計画が1993年に打ち切られ、ウクライナは二番機を製作途中でモスボール状態にしていた。アントノフはこの二号機の生産を再開し中国へ納入する。
  8. 同社は二号機の機体状況を写したキエフ工場内写真を公開した。
The second, incomplete An-225. Antonov photos
  1. ミリヤはZMKBプログレスD-18ターボファン6基を搭載し、各51,600ポンドの水力を生む。車輪32個を搭載し(A380は22個)、巡航速度ほぼ500マイルで貨物満載して9,500マイルの飛行が可能だ。
  2. だがAn-225案件はウクライナ航空産業が深刻な状態にあり顧客がないことを示している。
  3. アントノフはソ連からウクライナが独立したためウクライナ企業とななったが、ソ連崩壊後も主にロシア向けに頑丈な輸送機を以前同様に設計していた。
  4. 同社は設計のみで生産していなかった。ただし2009年に製造部門に進出し、キューバや北朝鮮向け旅客機も製造したとニューヨーク・タイムズが報道している。
  5. だがアントノフは危うい状態にあった。ロシアのウクライナ東欧侵攻で環境が悪化し、ウクライナのロシアとの防衛関係は停止状態となった。
  6. 予想通りアントノフは苦境に立ち、危うくウクライナ航空産業を道連れにするところだった。「アントノフはウクライナの切り札だ。世界のどこにも負けない輸送機を産んだ企業だ」とウクライナの軍事アナリスト、ヴァレンチン・バドラクがNYタイムズに2014年語っていた。「同社の消滅は片腕を失うのと同じ」
  7. 同社はなんとか生き延び、2016年1月にウクライナはアントノフ資産を精算し、国営軍事複合企業体クラボロンプロム傘下に移した。
  8. そこで世界最大の航空機を入手する中国の意図が問題になる。詳細不明とはいえ、大型航空機案件では目に見えるものを信じろというのが鉄則だ。
  9. ロシアの航空専門家、ワシリー・カシンは中国にはAVIC中国航空宇宙工業という大企業があるが、今回の買い手AICCはずっと小規模の企業だと注意喚起している。
  10. 「今回の取引は中国がこれまで軍事用途の技術を入手してきたのと同じパターンで、ウクライナにとっては同社は貿易上の中間業者に過ぎない」とカシンはロシア国営報道機関スプートニクに述べている。
ソ連の宇宙シャトルであるブランがAn-225の機体に乗り第38回パリ国際航空宇宙ショー(1989年)に展示されていた。 Photo via Wikipedia
  1. An-225には戦略軍事輸送上の欠陥がある。機体が大きいため最大離陸重量では滑走路長が11,500フィート(約3,500メートル)必要で目的地も限られる。これでは戦略用途には不利だ。Popular Mechanicsによると軍事用途の輸送事例として2002年に米軍部隊をオマーンまで輸送している。
  2. 中国にも大型ジェット輸送機の必要があるだろうが、大量の機材が必要であり、運用確立のために今後数十年に渡り数百万人時間をかける必要がある。
  3. 高価かつ高度に特化した怪物超大型機がその目標に寄与できるのだろうか。中国空軍が大型機を生産運用する経験を必要としているのは事実だが。現在唯一の国産戦略級ジェット輸送機は西安Y-20で2013年に初飛行している。
  4. アントノフは知的所有権の譲渡は合意していない。中国にAn-225の知財は渡さないと説明している。
  5. だが中国版An-225では現在のウクライナ同様に世界各地への同機運行が発生するはずだ。このため同機運行に乗り気な民間会社が必要になる。現在An-225を運行するのはアントノフエアラインだけだが年間飛行回数は一回か2回しかない。
  6. もう一つの可能性はソ連がもともとAn-225に期待したのと同様のスペースシャトル搬送だ。
  7. 中国がソ連時代のブランやNASAスペースシャトル同様の高額で非効率な有人シャトル建造に乗り出す可能性は極めて低い。だがミリヤは中国の宇宙計画を小型宇宙機を搭載したロケットを空中発射することで支援できるはずだ。
  8. 中国が空中発射式の無人宇宙機神龍Shenlongを実験していることは知られている。西安H-6爆撃機が搭載するのがまず視認された。超大型支援機なら今後登場するはずの大型宇宙機を搭載できるだろう。
  9. ソ連がAn-225を打ち上げ母機として宇宙機MAKSを運用しよとしていたことを忘れてはならない。ミリヤでは再利用可能なロケット推進宇宙機を機体上部に搭載し、高度28,000フィートで降下し速度を稼いでからMAKSを切り離し滑空させる構想だった。
  10. だが端的に言って中国の意図がまったくわからない。また未完の二号機がウクライナを離れる日が本当に来るのかもわからない。■


2016年9月5日月曜日

★歴史に残る機体10 Tu-95ベアはロシアのB-52,旧式化したとはいえ威力は十分




The National Interest

The Tu-95 Bear: Russia Has Its Very Own B-52 Bomber

She might be old but she packs a big punch.
An air-to-air overhead view of a Soviet Tu-95 Bear aircraft. Wikimedia Commons/U.S. Navy

September 3, 2016



ツボレフTu-95「ベア」ほど特徴的な機体は珍しい。四発の戦略爆撃機で哨戒機でもあり、一角獣のような空中給油管がついた形状はまるで前世紀から蘇った怪獣のようだが実際に第2次大戦直後に生まれて今日も運用されている。

ただし外見にだまされないように。60年に渡りTu-95が軍務についてこられたのは大ペイロードで長距離飛行できるからである。つまりTu-95はロシア版のB-52であり、洋上飛行を得意とし欧州、アジア、北米の防空体制に挑戦してきた。

冷戦時の核爆撃機として

  1. ベアは第二次大戦時の米国航空兵力に匹敵する戦略爆撃機を熱望した戦後のソ連で生まれた機体だ。ソ連立案部門は1950年に四発爆撃機で数千マイルを飛行して米国を爆弾12トンで攻撃できる機体を求めた。
  2. ただし当時のジェットエンジンは燃料消費が多すぎた。そのためアンドレイ・ツボレフ設計局はNK-12ターボプロップ4発に反転プロペラを選択した。
  3. NK-12にはプロペラ二基がつき、二番目のプロペラを逆回転させ第一プロペラが生むトルクを打ち消し、速力を確保する。反転プロペラは効率が高い反面、製作コスト維持コストが高くなるだけでなく信じられない程の高騒音を生むため、広く普及しなかった。Tu-95飛行中の騒音は潜水艦やジェットパイロットからわかるほどだといわれる。
  4. ただしTu-95ではこの選択が効果を上げた。巨大なTu-95は最速のプロペラ機であり、500マイル時巡航が可能だ。プロペラ直径は18フィートもあり、先端では音速をやや上回る速度になる。後退翼を採用したプロペラ機としても希少な存在だ。
  5. Tu-95は巨大な燃料搭載量があり、9,000マイルを機内燃料だけで飛べる。後期モデルでは特徴的な空中給油管を搭載してさらに飛行距離を伸ばした。冷戦時の警戒飛行は10時間におよんでいたが、実際はその二倍程度の飛行が可能だった。
  6. Tu-95の乗員は6名から8名と型式により異なる。パイロット2名、航法士2名のほかは機関銃やセンサーの操作員だ。原型ベアは23ミリ機関砲二基を搭載していた。だが長距離空対空ミサイルの登場でこの装備は陳腐化し後期型では尾部だけとなった。(尾部機関銃でB-52は2ないし3機をベトナム戦で撃墜している)
  7. ベアの当初想定ミッションは明白だった。冷戦が熱い戦争に発展した場合に数十機がばらばらに北極海を飛び越えて核爆弾を米国に投下するはずだった。途中でミサイルや防空網の犠牲となっても数機は突破できる想定だった。
  8. 米軍の作戦構想を真似てソ連も24時間滞空待機する核爆撃機を運用していた。
  9. 核実験にも投入された。Tu-95Vが投下したのは史上最大の核爆弾で1961年にセヴェルヌイ島で爆発した50メガトンの爆弾の王様Tsar Bombaだった。同爆弾は地表から4キロ上空で爆発し、きのこ雲を40マイル先まで送った。衝撃波で投下したベアも高度を数千メートル失ったが、パイロットは制御を取り戻し、基地に帰還している。乗員は生存可能性は50パーセントしかないと知らされていた。
洋上哨戒機として
  1. 1960年代に入るとソ連は米本土に爆撃機で核爆弾を投下する方式では戦果が望めないと賢明な判断をし、弾道ミサイルの費用にはかなわないことがわかった。そこでTu-95新型にはこれまでと異なるミッションが想定された。
  2. 同機を長距離巡航ミサイルの母機に使う構想が生まれた。Tu-95Kは大型のKh-20核巡航ミサイル(NATO名称AS-3カンガルー)を搭載した。同ミサイルの有効射程は300から600キロでMiG-19の胴体をモデルとし主翼を取り外した形状だった。
  3. もう一つのミッションが米空母打撃群の追尾飛行だった。探知船舶を広い海洋の各所に配備するのは難しい課題だった。だがもし米空母群の位置が判明すれば、陸上から爆撃機多数を飛ばし攻撃できる。ベアなら洋上を何時間も飛行して広大な海洋をカバーできるので米艦隊捜索用にうってつけの機材だった。
  4. Tu-95RT洋上偵察型はこのため専用に製造された機体で水上捜索レーダーを胴体下のポッドに搭載し、さらに捜索用のプリスター型観測窓を設けた。
  5. 有事になれば敵艦隊の位置を追跡することは有益であり、さらに米海軍には航空攻撃を受ける可能性という心理的圧迫をかけられる。米空母からはつきまとうベアを追い払おうと戦闘機を緊急発進させることがよくあった。ベアと戦闘機が一緒に収まる写真は冷戦時の象徴だった。
その他各型
  1. 試験機材のベアは多数あり、Tu-95LALは原子炉を搭載し推進動力とした。Tu-95KにMiG-19戦闘機を搭載し空中母艦としようとした。
  2. 量産型にはTu-95MR偵察機、改良型Tu-95K、KMがあり、後者はKh-22ミサイル運用能力がついた。
  3. ソ連は対潜哨戒偵察機をベアから専用機材Tu-142として製造している。この開発の背景にはポラリス潜水艦発射弾道ミサイルの恐怖があった。Tu-142はベルクート(ゴールデンイーグル)水上探索追跡レーダーで識別できる。尾部ブームにMAD磁気異常探知装置をつける。Tu-142は機体を若干延長してセンサー類を搭載している。
  4. 冷戦期に搭載システムを数回アップグレードしており、米潜水艦技術の進展に追随した。現在はTu-142MZがあり、RGB-16、RGB-26ソノブイを搭載しエンジン出力を強化している。数回に渡りTu-142は米潜水艦追跡に成功している。 二機のみ製造されたTu-142MRはロシア潜水艦との通信専用機材だ。
  5. ロシア海軍航空部隊が今日でもTu-142を15機運用している。そのうち一機がシリアで最近目撃されている。シリア反乱勢力の位置情報をつかもうとしたのか米艦隊を追尾したのだろう。
  6. 1988年からインド海軍はTu-142MK-Eを8機運用中で、近くP-8Iポセイドン12機に更改される。
  7. ベアはロシア初のAWACSたるTu-126となった他、Tu-114旅客機型はフルシチョフを無着陸11時間でモスクワからニューヨークへ運んだ。ただし今日では両機種とも飛行していない。
  8. Tu-95として今日も稼働中なのはTu-95MSが50機あり、Tu-142を元に開発し、Kh-55ミサイル(AS-15)を運用する。この機体は最近になり巡航ミサイル16発を搭載する改装を受け、新型航法目標捕捉システムを取り付けた。Kh-55は核、非核弾頭の双方あり射程も3千キロから300キロまで別れる。
  9. Tu-95MSMが発射するはKh-101および核Kh-102ステルスミサイルは低空飛行で低レーダー断面積を誇る。射程は5,500キロにまで及ぶ。
  10. これだけの威力を誇るものの、ベアも老朽化には勝てない。2015年夏には二年間で二機に喪失事故が発生したため全機飛行停止措置となった。
現在の状況
  1. 21世紀に入ってもベアは相変わらず太平洋大西洋上空を飛んでいる。主要任務は他国の偵察だ。
  2. Tu-95がイングランド沿岸沖、カリフォーニア沖50マイル地点、アラスカの防空識別圏内、日本の領空内を飛行する事案が発生している。接近飛行で相手国の迎撃戦闘機の出動を誘発させているが、他国領空の侵犯は通常は行っていない。
  3. 冷戦時にはこうした哨戒飛行は通常の事だったが、プーチンが2007年に再開させた。真意はロシアが今でも核搭載爆撃機を各国に飛ばす能力があると誇示するものだ。
  4. 米RC-135スパイ機の飛行で中国、ロシアの戦闘機も迎撃することがあるが、RC-135は非武装機だ。
  5. ベアはステルス性は皆無であり、最新鋭の防空体制では残存は期待できないが、巡航ミサイル発射により敵防空網に接近せず初回攻撃を実施できる。
  6. 2015年11月に就役後59年が経過してTu-95は爆撃機として初めて戦闘に投入された。ロシア国防省公表のビデオによれば巡航ミサイルを発射し、シリア反乱勢力の拠点を破壊している。ロシアが初めて巡航ミサイルを空中、海上双方で投入したことは自国軍事力を世界に世界に誇示する意味があったと解釈された。
  7. 今日のロシア軍には各種爆撃機がありペイロードも選択の幅が広く、Tu-95より高速飛行可能な機材もある。ただし、ベアは大型巡航ミサイルの運用に最適であり、太平洋大西洋で監視の目を提供しているのだ。■

Sébastien Roblin holds a Master’s Degree in Conflict Resolution from Georgetown University and served as a university instructor for the Peace Corps in China. He has also worked in education, editing, and refugee resettlement in France and the United States. He currently writes on security and military history for War Is Boring.
Image: An air-to-air overhead view of a Soviet Tu-95 Bear aircraft. Wikimedia Commons/U.S. Navy


2016年9月4日日曜日

もし戦わば③ ヒトラーがロシア侵攻をしていなかったら第二次大戦の行方はどうなっていたか



The National Interest


What If Hitler Never Invaded Russia During World War II?

A German Panzer V in Romania. Wikimedia Commons / Bundesarchiv, Bild 101I-244-2321-34 / Waidelich / CC-BY-SA 3.0
This might be just the ultimate “what-if.”
August 27, 2016
  1. 歴史上で最も大きな出来事の一つがアドルフ・ヒトラーによるソ連侵攻)1941年6月22日)であった。
  2. バルバロッサ作戦によりナチスドイツの戦争は弱体化していた英国相手の一方向戦から双戦線戦に変わった。東部戦線にドイツ陸軍部隊のほぼ四分の三が投入され、ドイツ軍死傷者の三分の二が発生している。
  3. そこでヒトラーがロシア侵攻を実施していなかったらどうなるだろうか。第三帝国とヒトラーの考え方はドイツが敵の攻撃を受けるのうを待つわけに行かないというものだった。事実、ナチドイツとソ連が交戦を避ける事態は想像しずらいが、ロシア侵攻が発生しなかった場合を考えてみたい。
  4. 一つの可能性は1941年に英本土を侵攻することで、欧州戦は早期終結し、第三帝国の軍事力は東部戦線に集中投入されていただろう。英本土侵攻が1940年にイングランド南部での強襲上陸作戦で提案されていたが単に先送りになっていたはずだ。問題はドイツ海軍が英海軍と圧倒的に数的に劣勢のままであったことだ。一年の猶予の間に英国は英空軍を補強し、フランス陥落で混乱した陸軍師団も再編しただろう。英国はレンドアンドリース方式で米国から装備を受け取っていただろう。米国は1941年9月までに船団護衛を北大西洋で行っていた。その数カ月後に米国は正式に参戦している。日本が太平洋で勢力圏を拡大していたが、米国は英国の占領を回避すべく兵力を集中していたはずだ。
  5. もっと可能性が高いのはヒトラーが東部ではなく南方へ軍を進めた可能性だ。西ヨーロッパの大部分が1940年夏には支配下に入り、東欧がドイツと同盟を結ぶか、無力化となる中で、ヒトラーは1941年中頃までに決断していたはずだ。本能の命じるままあるいはイデオロギーに従ってソ連に向かうか、ドイツ支配圏に真空空間を作っていたはずだ。ロシア打倒はヒトラーが共産主義との戦いを不可避と見ており、破滅的な結末を期待していたはずだ。
  6. ヒトラーが地中海方面に転じ、中東に向かった可能性もある。エーリッヒ・レーダー提督がこの作戦を好ましく考えていた。現実の第2次大戦ではロンメルの北アフリカ作戦がロシア戦線と平行して展開されていた。架空想定では北アフリカが主戦場となる。
  7. 一つの可能性にフランスに圧力を加え、スペインに中立を捨てさせ、ドイツ軍がスペインに進軍しジブラルタルを奪取することがある。これで英国は地中海への直行航路を失う。(フランスがいうことを聞かない場合はスペインを直接侵攻し、ジブラルタルはどちらにせよ占領されただろう) さらにロンメルのアフリカ軍団を補強し、リビヤ、エジプトを経由しスエズ運河を確保することがある。さらに中東の油田地帯まで侵攻していたかもしれない。あるいはロシア侵攻が1942年に開始されていたらコーカサス経由でロシアを南部、西部両面から押さえ込んでいたかもしれない。一方で鉄鋼等の資源を陸上装備生産から大量のUボート建造に切り替えていたら英国の海上補給路を断つことができたはずだ。
  8. このドイツ戦略は効果を上げただろうか。ドイツにとって地中海戦略はソ連侵攻とは全く異なる。3百万に及ぶ膨大な枢軸側陸上兵力を投入する戦いと違い、艦船、航空機が中東方面に進出する小規模地上部隊を支援していたはずだ。ソ連が中立のまま独ソ条約に従って資源供給していたら、ドイツは空軍兵力を地中海に集中させていたはずだ。ドイツ空軍は1941年から1942年にかけ英海軍を傷めつけていただろう。独空軍が全力投入された場合の威力は相当のものだったはずだ。
  9. 反面で中東攻勢の補給活動は困難を極めたはずだ。その理由に距離とともにイタリアの燃料輸送能力の不足がある。ドイツは空軍、海軍は強力と行っても陸軍あってのものだった。米国が1941年12月に参戦したことで、1941年から1942年にかけての主戦場はドイツ-イタリアの海軍部隊、空軍部隊がアフリカ軍団を補給するのを断つことだったはずだ。英米軍は近東で防衛・反抗に出ていただろう。
  10. そこでもう一つ疑問が出る。もしヒトラーがバルバロッサ作戦を中止せず、かわりに1942年夏まで実施を先送りしていたらどうなっていただろうか。枢軸側が中東を確保しソ連がドイツ-イタリア連合軍の侵攻に対処しつつコーカサスまで侵攻を許していたら(おそらくトルコは枢軸側についていただろう)。ドイツにまた一年の余裕が生まれ、西ヨーロッパ占領地帯の資源を活用できていたはずだ。
  11. その反面、赤軍の1941年6月時点の状態はスターリンの粛清によりひどい状態にあり、まだ再編中だった。そこで一年間の余裕があれば、部隊再編とともに新装備のT-34戦車やカチューシャロケット連装砲の導入が進んでいたはずだ。バルバロッサ作戦開始を1942年と想定すると、英国は降伏していないと仮定し、英米連合軍の反攻を恐れ西部戦線んお防護を固めた上でドイツはロシア攻撃に入っていただろう。
  12. ドイツの戦術レベルが高かったことともに実戦経験が豊富なこともあり、ドイツ軍には1942年バルバロッサ作戦発動時には優位性があったはずだ。それでも赤軍は1941年のような壊滅的損失は被らず、バルバロッサ作戦発動が遅れても結局ソ連軍に有利に働いたものと思われる。
Michael Peck is a contributing writer for the National Interest. He can be found on Twitter and Facebook.
Image: A German Panzer V in Romania. Wikimedia Commons / Bundesarchiv, Bild 101I-244-2321-34 / Waidelich / CC-BY-SA 3.0