2020年8月2日日曜日

イスラエルはF-15に磨きをかけ、ここまでの高性能機材を実現した

スラエル空軍(IAF)にはF-15イーグルのイメージがぴったりだ。同国向けF-15A初号機は1976年に到着し、現在も第一線で供用中、しかも一機も喪失していない。1988年にイスラエル空軍は同機の新型式を導入し、空対空、空対地両面対応とした。これがラアムRa’am(雷鳴)で長距離攻撃機の主力で、新たに導入されたF-35Iアディルを補完し、イスラエルの航空優勢体制を確保し、今後も維持しそうだ。

マクダネルダグラス(現ボーイング)のF-15イーグルの登場当時は純然たる空対空戦闘機だった。大型単座戦闘機の同機はバブルキャノピーで良好な視界を確保し、強力なAPG-63レーダー、AIM-7スパローレーダー誘導ミサイル4発とAIM-9サイドワインダー赤外線誘導ミサイル4発さらにM61ガトリング銃を搭載。プラットアンドホイットニーF100エンジン双発で圧倒的な推力重量比を誇り、簡単に垂直上昇できた。

開発陣はF-15の多任務機型を想定して、大出力、長距離航続力、多数の空対地兵器搭載能力を生かそうとした。ここからF-15Eストライクイーグルが生まれ、米空軍で1989年から供用開始し、直後に1991年の湾岸戦争に投入された。

湾岸戦争でのストライクイーグルの活躍ぶりにイスラエルも注目した。湾岸戦争ではイスラエルもサダム・フセイン率いるイラクが発射したスカッドミサイルの攻撃を受けたが、イスラエルは報復攻撃を控えるようにとの米国の圧力へ渋々従った。とはいえ仮に報復攻撃に踏み切っていてもイラク西部でスカッド狩りに投入可能な長距離攻撃機や偵察機材は欠如していた。戦闘終結後もサダム・フセインは統治の座に残り、クウェートから軍は撤退させられたがイラクは依然としてイスラエルにとって脅威のままだった。一方で、イランが核兵器開発の初期段階にあった。イスラエルを脅かす勢力への抑止手段として長距離戦闘機が必要なのは明白だった。

F-15Eのコンフォーマル燃料タンクで長距離地点への攻撃が可能となる。空対地空対空双方への対応能力によりF-15Eは援護機材を必要としない。ここで思い出すべきは1981年のイラク原子炉攻撃で、IAFのF-15は援護機として攻撃部隊F-16と飛んだが、空中給油他支援機材の必要性が痛感された。一機ですべてこなせるというのは魅力だった。

イスラエルはF-15Iラアムを1994年5月に選定し、21機をまず購入することとした。初期機材は4機のオプション購入(ピースフォックスVI)がつき、1995年に購入規模は25機に増えた。その時点でF-15はイスラエル空軍で15年の供用実績があったが、イスラエル技術陣には機体改修の各種構想があった。イスラエル航空宇宙工業がボーイングと共同してエイビオニクスを大改修した。

F-15Iにはイスラエル独自の特徴が見られる。まずイスラエル製のメインコンピュータ。GPS/慣性航法システム、エルビット製のディスプレイ表示ヘルメット(DASH)がある。機体にはF-15E用の高度の電子戦装備が搭載されていたが、イスラエルはエリスラ製SPS-2110統合電子戦装備に取り換えている。

F-15IはF-15Aの装備品すべてを運用できる。ラアムは当初AIM-9Lサイドワインダーとパイソン赤外線誘導方式短距離ミサイルを搭載していたが、その後パイソンに絞られた。また旧式AIM-7スパローと新型AIM-120AMRAAMレーダー誘導方式中距離ミサイルを併用した。

F-15Iの双発エンジンと大型機体では燃料、弾薬合わせ18千ポンドの運用が可能となった。IAFは当初はクラスター爆弾ロックアイ36発あるいは空対地ミサイルのマーヴェリック6発を運用した。現在はレーザー誘導爆弾ぺイヴウェイ、衛星誘導爆弾の共用直接攻撃弾(JDAM)、「バンカーバスター」爆弾BLU-109、精密誘導爆弾SPICE、対レーダーミサイルAGM-88HARMも運用する。

F-15Iの初号機は1997年にイスラエルに到着し、その後毎月一機のペースで1999年まで納入された。供用期間は25年に及び、対テロ作戦以外に、2006年のレバノン戦、ガザ戦、国防の柱作戦、キャストレッド作戦にも投入された。F-15Iはイラン核施設攻撃作戦にも投入予定だったが、2015年にイランが西側と核合意に至ったため作戦は実施されていない。

IAFはF-35IアディルAdirを導入したが、F-15への期待に変化はない。IAFは同機を「戦略機材」と呼ぶ。イスラエルに足りなかった戦力を今後も長きにわたり補う機材の位置づけだ。

2016年にイスラエルは改修計画を発表しているので、F-15Iは今後も供用を続けるのは確実だ。改修ではレーダーを電子スキャンアレイ方式に換装し、エイビオニクスを一新する。2018年にIAFはF-15IとF-35を比較検討し、前者が優れていると判断した。イスラエルがF-15の追加調達に向かえば、今世紀の大部分にわたる供用となるのは確実だ。1970年代初期に初飛行した機体として、これは高評価である。■

この記事は以下を再構成したものです。

July 15, 2020  Topic: Security  Blog Brand: The Reboot  Tags: F-15lF-15MilitaryIsrael


Kyle Mizokami is a writer based in San Francisco who has appeared in The Diplomat, Foreign Policy, War is Boring and The Daily Beast. In 2009 he co-founded the defense and security blog Japan Security Watch.

2020年8月1日土曜日

あなたの知らない戦史(6)日本本土への化学攻撃で農業生産の破壊を準備していた米陸軍

あなたの知らない戦史(6: 日本への化学戦を真剣に検討していた米軍の遺産は今日も世界各地の農地に残る。

ラク・オバマ大統領の歴史的な広島訪問を受け、日本を降伏させ第二次大戦を終結させるため原子爆弾投下は必要だったのか米国内で議論が巻き起こった。だが議論が触れていないのは米軍が原爆以外の恐ろしい攻撃の準備をしていたことで、化学兵器で日本の農作物を死滅させる作戦もその一部だった。

1944年4月に米陸軍は農作物の全滅をねらい化学化合物の開発を開始した。一年後に日本本土攻撃に投入できる成果が実現していた。

「日本本土の農作物を化学兵器で破壊する作戦は第二次大戦末期に真剣に検討されていた」との証言が1946年の国防研究委員会報告書にある。

日本は広島、長崎が原爆二発で破壊された1945年8月に米国との戦闘を断念した。だが戦闘が続いていたら、米軍は日本の農業生産を化学攻撃で破壊していたかもしれない。

農地と貯蔵食糧を破壊し敵を痛めつける構想は昔からある。だが第二次大戦末期の米国には想像を絶する規模でこの構想を実施する準備があった。

1945年4月までに陸軍は1,000種超の化学薬品を首都ワシントンから50マイルも離れていないメリーランド州キャンプ・ディートリックで試験していたと陸軍の生物戦公式記録にある。

陸軍はオハイオ州立大学に有望な化合物200種類以上の合成を委託した一方でその他の化合物をキャンプ・ディートリックで開発した。陸軍は共通記号「LN」の次に番号をつけて化合物すべて分類した。

「化学製品による農産物破壊は戦時中ということもあり前例のないきめ細かさと規模で展開し、成果を収めた」と研究委員会はまとめている。

軍事効果だけを見るとフェノキシ酢酸が最有力だった。投入で植物は正常生育ができなくなり枯死する。

陸軍はフェノキシ酢酸を少なくとも8種類の化学兵器に展開した。なかでもLN-8が一番の成果をテストで示し、大量生産に移された。ダウケミカルがLN-8を固体、アンモニアとの混合物、濃縮液三型式にした。ペンタゴンは三種類を野菜殺し酸、野菜殺し塩、野菜殺し液と呼んだ。

日本を除草剤で攻撃する方法として陸軍は空中投下あるいはスプレイ放射を考案した。農地や水田を有害物質で覆い尽くすのがねらいだった。

1945年4月にB-25に550ガロンタンクを爆弾倉に搭載し、インディアナ州テレホート、テキサス州ボーモントの試験農場で散布テストを実施した。各機は野菜殺し酸の雲を展開した。ディーゼル燃料等と混ぜることが多かった。

陸軍は高濃度で粘度を高くすれば途中で吹き飛ばされず安定して地上に届くと分かった。

「ただし散布効果を高めるため危険な低空飛行が必要とされた」と陸軍の生物兵器年報にある。「日本の水田を攻撃する場合は長距離高高度飛行が可能な大型爆撃機が必要とみられた」

陸軍航空軍は日本の都市部や産業集積地を標的に焼夷弾攻撃をすでに展開していた。散布テストの前月には東京空襲一回で100千人を殺傷し、280千棟に火災を発生させ、数百万名が住処を失った。

ペンタゴンは農作物破壊攻撃も同様に行う構えだった。1945年6月に米陸軍航空軍のB-25はユタ州のグラナイトピークの演習地でクラスター爆弾を投下した。

各キャニスターにLN-8混合物125ポンドが入っていた。だが実験は失敗でキャニスターが正しく開かなかった。陸軍は急いで別の手段に走った。

翌月にB-25はグラナイトピークに再び現れSPDマーク2爆弾を投下した。設計が簡略化され、格納部分に200ポンド近くの野菜殺し酸が入った。B-29なら十数発を搭載できた。

設定高度で外装が開き化学成分が空中放射された。陸軍はSPDを量産し、炭疽菌やリシンを生物兵器にも利用するとした。

SPDは作動したが、テストで新たな問題が浮上した。高高度で投下すると落下地点が拡散し、除草剤効果も拡散する。一方で地面近くで展開するとやはり効果が期待通りにならない。陸軍は爆発地点の最適高度を割出し、最大効果を上げるLN-8の格納容器のサイズも把握した。

一番効果が高いのは広葉の農産物と判明した。他方で穀物作物の小麦や米に効果が低いとわかった。このため陸軍は別の化学組成物の模索を始めた。

ただ化学製品による野生生物やヒトへの毒性は問題にしていない。1925年のジュネーブ協定では戦闘中の化学・生物兵器の使用を禁じている。

だが1947年時点で米陸軍はLN-8含む化学製品の危険性を正確に把握していなかった。土壌にいつまで残留するのか、水源を汚染した場合の効果もわかっていなかった。

「大量に使うと、2,4-Dは胃を刺激するが致死性はない」と陸軍は結論し、LN-8の有効成分に触れている。「2,4-Dは吸引しても非毒性で皮膚吸収も即座には発生しない」

B-29数百機が野菜殺し酸数千ポンドを日本の農業地帯に投下した場合、予測通りになったか不明だ。戦後はダウはじめ化学メーカー数社が研究成果をもとに民生用除草剤として販売開始した。

1987年に世界保健機関がこの化学品をがん発生物質と区分した。だがその20年後に米環境保護庁(EPA)はがん発生物質と結論付けられないと発表している。

LN-14も同じだったのかは不明だ。これも米陸軍が日本へ投下を想定していた。戦後数十年して研究者はこの生産工程でがん発生につながる危険物質が生成されていたことを発見した。これは一般にダイオキシンと呼ばれる。

米空軍と陸軍は同じ化学薬品数千ガロンを南ベトナム上空で1960年代1970年代に散布した。悪名高い除草剤エージェントオレンジにはLN-8と-14の有効成分が入っていた。

1985年にEPAは同製品の米国内販売使用を完全禁止した。ただし、ダウケミカルは2,4-D にグリホサートを混ぜた製品を米農家向けに販売すると発表し、この製品はラウンドアップの商品名で知られる。■

この記事は以下を再構成したものです。

July 31, 2020  Topic: Security  Region: Asia  Blog Brand: The Reboot  Tags: HistoryJapanWorld War IIHiroshimaWWIIMilitaryChemical Weapons


エリア51の真実

リア51を巡る噂は数多い。CIA、UFO分解工場、極秘米空軍研究施設?真偽はわからないが、グルーム湖を巡り判明している事実は以下の通りだ。

ソ連機材の性能評価
海外機材の評価で最大の成果が得られたのはMiG-21だった。▼1959年に迎撃機として登場したMiG-21はソ連と友好関係の各国へ広く輸出された。▼同機はヴィエトナムで本領を発揮し、米機材を多数撃墜したものの、旧型で低速かつ軽武装とみられていた。

1966年にイスラエルのモサド諜報機関がイラクパイロットのムニル・レドファの亡命工作を展開した。▼MiG-21のパイロットレドファはキリスト教徒のためイラク空軍での昇進に困難を感じていた。▼モサドは本人に亡命の意思があるのを知り、家族ともどもイスラエルへ脱出させた。▼レドファは巧妙な偽装でMiG-21をイラクからイスラエルへ飛ばし着陸させた。

イスラエルは入手したMiG-21の性能を調査した。1968年に同機は米国に貸し出され、国防情報局(DIA)のHAVE DOUGHNUTプロジェクトに使われた。▼このプロジェクトが展開したのがエリア51だった。▼同様にDIAはHAVE DRILLでMiG-17をこれもイスラエルの提供でグルーム湖で調査した。ともに調査結果から米空軍の対ソ連機戦術が変更されヴィエトナム戦に間に合った。

ステルススパイ機
エリア51は空軍、CIAの開発事業が数々展開している場所だ。▼U-2スパイ機はソ連上空偵察活動を想定した機体で人の目に触れない場所でテストの必要があった。▼U-2は高度70千フィートというい信じられない高高度で運用可能で、奇妙な外見からUFOハンターや陰謀説者に格好の材料となった。
ところが1960年にU-2がソ連上空で撃墜されるとCIAはソ連対空ミサイルや迎撃機の届かない空域をマッハ3+で飛行する機体が必要と判断。▼グルーム湖でCIAはA-12の初期試験開発を行い、同機ががSR-71ブラックバードになった。▼その後継機SR-72もグルーム湖にあるのか。

SR-71もある程度ステルス性能を有していたが、1977年に空軍は初の完全ステルス機を公表した。▼これがF-117ナイトホークでやはりテストはやはりグルーム湖で行われた。



今でも重要な拠点なのか
2019年、ロシア機が米ロ間のオープンスカイズ条約によりエリア51上空を飛行し写真撮影している。▼エリア51にはまだ秘密が隠されているようである。■

この記事は以下を再構成したものです。

July 27, 2020  Topic: Security  Blog Brand: The Reboot  Tags: HistoryArea 51MilitaryTechnologyUFOs
Area 51 has played host to a number of Air Force and CIA aircraft development projects.
Caleb Larson is a Defense Writer with The National Interest. He holds a Master of Public Policy and covers U.S. and Russian security, European defense issues, and German politics and culture.

2020年7月28日火曜日

強襲揚陸艦が小型空母になる----いずも級改装は正しい方向のようだ

国がこれまでにない形の強襲揚陸艦の建造に向かいそうだ。電磁カタパルトで高性能固定翼機を運用し、米F-35Bへ対抗する。

証拠の裏付けもある観測記事として中国共産党の環球時報が伝えている。新型艦は076型とされ、供用中の075型に続く。中国は075型二号艦を建造中で揚陸作戦能力を拡充中だ。

「中国軍の装備品調達ウェブサイト weain.mil.cn の調達要求公告から人民解放軍海軍(PLAN)が新型強襲揚陸艦の建造に向かいそうだとフォーブスが報じている」(環球時報)

米フォード級空母に採用された電磁カタパルトを使い、固定翼機運用が可能な新型強襲揚陸艦になるのか。

環球時報は強襲揚陸艦でF-35Bを運用する米国を意識している。新しい脅威環境で強襲揚陸艦は小型かつ機動性の高い空母として認識されるようになっており、航空攻撃兵力を投射しつつ上陸作戦を展開する装備の位置づけになった。

米強襲揚陸作戦は新しい脅威環境に対応する形へ明確に軌道修正されている。ワスプ級アメリカ級の強襲揚陸艦にオスプレイやF-35Bの搭載を進める米海軍は強襲揚陸艦から攻撃偵察型の小型無人装備を運用する作戦を開発中だ。この構想で大型艦は指揮統制任務を受け持ち、揚陸作戦は安全な距離をとった地点で展開する。無人舟艇が敵の沿岸で脆弱な地点をあぶりだす、あるいは直接攻撃を加える。また揚陸艦にレーザー他攻撃手段の搭載も進めている。

無人舟艇やF-35はデータ中継にも投入し、水平線越しの敵識別に使える。新技術高性能技術を遠距離で分散投入することで脆弱性を下げる狙いがある。艦艇の密集配置が敵攻撃に脆弱になるのは当然だ。

無人装備の利用構想が中国にもあるのは驚くにあたらない。環球時報は中国の攻撃型無人機GJ-11と同様の装備が076型に搭載されると伝えている。

小型高軌道空母型艦艇は空母を狙う対艦ミサイルで射程が延長傾向にあることにも対応できそうだ。中国の目指す戦略は米海軍の機動修正と方向が同じだ。

「076型は最新鋭の中型空母に近づくだろう」と環球時報はまとめている。■

この記事は以下から再構成したものです

July 25, 2020  Topic: Security  Blog Brand: The Buzz  Tags: Amphibious AssaultChinaChinese NavyF-35BMilitaryDefense



Kris Osborn is the new Defense Editor for the National Interest. Osborn previously served at the Pentagon as a Highly Qualified Expert with the Office of the Assistant Secretary of the Army—Acquisition, Logistics & Technology. Osborn has also worked as an anchor and on-air military specialist at national TV networks. He has appeared as a guest military expert on Fox News, MSNBC, The Military Channel, and The History Channel. He also has a Masters Degree in Comparative Literature from Columbia University. This article first appeared earlier this year.

2020年7月27日月曜日

歴史に残る機体(27)ダグラスA-3スカイウォーリアー(ホエール)

歴史に残る機体27
1972年5月10日、ジェット時代でも最も熾烈な空戦がハノイ、ハイフォン上空で展開した。海軍のF-4Jファントム編隊とヴィエトナムのMiG編隊がミサイル攻撃の応酬を繰り広げる中、空には対空射撃とSA-2地対空ミサイルが猛烈な攻撃を展開した。

24時間で双方の十数機が撃墜された。リック・モーガン著の A-3 Skywarrior Units of the Vietnam War がファントムパイロットのカート・ドセ大尉が遭遇した状況を次のように伝えている。

「SA-2ミサイルが下方から出現し、ブースターを分離していた。私は機首を押し下げ逆Gでミサイルの標的をチェックしたところSAM二発も方向を下げた。つまりこちらが標的だったのだ。7Gで機首を上げたが遅すぎた。こちらに狙いを定めマッハ2で向かってくる。こちらに命中するだけでなくボールペアリングの弾頭部がコックピットを貫通するだろう。
「ミサイルの小型カナード翼が最終調整するのが見え、死ぬ覚悟を決めたが、不発だった。最初のSA-2はキャノピーの5フィート下を通過し、二発目は機首の20フィート前だった。私は右にロールしSAM二発がまっすぐ飛翔するのを見ていた」

ドセは無事空母に帰還した。事後報告で無事生還できたのはEKA-3Bスカイウォリアー電子戦機のジャミングのおかげと知る。

ハノイ周辺にはファンソンミサイル誘導レーダー多数が配備され、EKA-3Bのシステム操作員はミサイル信管へ爆破信号を伝える周波数にジャミングをかけた。無事帰還できたドセは同機搭乗員に感謝の念を込め自分が残していたウォッカ半ケースを贈ったのだった。


ダグラスA-3スカイウォリアー別名「ホエール」は空母運用機材では最大の大きさを誇った。当初は核兵器による戦略爆撃任務を想定したが、これは長続きしなかった。A-3は各種型式が生まれ、米海軍への貢献を長く続けた。爆撃機として生まれ、給油機にもなったが今回は偵察任務や電子戦機材としての側面に触れる。

スカイウォリアーでは給油機として海軍各機をヴィエトナム上空で支援した貢献のほうが爆撃機任務より大きい。ヴィエトナムの地対空ミサイルに狙われる海軍パイロットに電子戦支援は喉から手が出るほど必要だった。そこで1967年に給油型34機をEKA-3B型に改装し、ALT-27ジャミング装置を機体下の「カヌー」に格納した。これで敵通信を妨害しヴィエトナム軍のMiG戦闘機への地上誘導を混乱させた。またALQ-92ジャミングポッドも機体の左右に追加し、長距離低帯域探知レーダーを無効にした。空中給油装置も残したためEKA-3Bの空虚重量は22トンになった。

両方の任務をこなす同機はVAQ-130、VAQ-131に配備され、分遣隊として空母各艦に散らばった。ジェット機へ給油し、沖合20マイルで周回コースを飛びながら、敵ミサイル誘導レーダーや通信を妨害し、敵の迎撃を無効にすることで攻撃部隊の任務を助けた。

ヴィエトナムでは1972年から1973年にかけ空母5隻がEKA-3B三個飛行隊を運用し1975年にEA-6Bブラウラーが登場するまで任務を続けた。

写真偵察機、アグレッサー、VIP輸送機として
ダグラスはRA-3B写真偵察型も30機製造した。高解像度カメラ12台を与圧爆弾倉に納め、写真撮影用にフラッシュ弾も投下した。VAP-61、VAP-62の各飛行隊に配備され、2,100マイルという長い航続距離を生かし地図作成任務にも投入された。

1966年からグアムに配備されたVAP-61に危険な夜間ミッションが命じられ、赤外線カメラでホーチミンルートを撮影することになった。北ヴィエトナムによる南ヴィエトナム内のヴィエトコン支援用のジャングル補給路だ。任務では1,500フィートの超低空飛行を時速400マイルの低速で行う必要があったが、途中の高い山を縫うように飛び短距離防空火器に撃墜されることもあった。

RA-3Bは爆弾破片を受け燃料が漏れた状態で帰還することもあった。戦闘中喪失は4機でうち2機が対空火砲によるものだ。パイロット自らで機体を黒スプレー塗装し、夜間カモフラージュ効果を狙うものが現れた。

RA-3Bの8機はその後ERA-3Bに改装されALT-27、ALT-40、ALQ-76のジャマーを搭載した。VAQ-33、VAQ-34に配備され電子アグレッサー機として、敵の電子戦機役で訓練に投入された。このミッションでいきなり緊張が高まったのは1972年12月のことで英軍ファントム機が空母アークロイヤルを発艦し、誤ってスパローミサイルをERA-3Bのエンジン一基に命中させた。弾頭が実弾でなかったのが不幸中の幸いだった。スカイウォリアーのパイロットは片発のままプエルトリコに何とか着陸させた。

ダグラスではTA-12B訓練機も12機製造し、爆撃訓練機となった。(別呼称A3D-2)訓練生12名が機内に座った。うち6機は高速VIP輸送機として内装を改装され、5-6名を乗せ、当時の海軍作戦部長のお気に入りの移動手段となった。ただし、海軍はVIP機材として議会や米空軍の目に触れないように制式名称のVA-3Bは一部にしかつけなかった。

電子スパイ機、レーダーハンターとして
供用期間が最長となったのが24機のEA-3Bで艦隊航空偵察飛行隊VQ-1(日本配備ののちグアムへ移動)とVQ-2(スペイン・ロタ)の機材だった。EKA-3Bと異なり、EA-3Bにジャミング機能はなく、電磁センサー(ESM)で敵の通信装備、センサー発信情報を識別し、位置を突き止めるのが任務だった。4名の専門員が加わり、乗員は7名になった。

VQ-1はヴィエトナム領空付近に進出し搭載センサーでヴィエトナムの防空体制を調べることがよくあった。

またA-4スカイホークと組んでSAM狩りもよくおこなった。スカイホークのパイロットだったゲアリー・エイロンが次のように当時の戦術を説明している。

「EA-3BはSA-2の標的追跡レーダーのパルス反復周波数に耳を傾けるのだった。うまく捕捉すればこちらはホエールの飛行方向に向けロックオンしシュライクを敵陣地に向け発射した」

長距離電子スパイ機としてEA-3は1980年代通じ共用されたが、高事故率の悪評があり、1987年の事故では乗員7名全員が死亡している。

1990年にVQ-2のEA-3二機がサウジアラビアのジェッダに展開した。1991年の湾岸戦争で、ホエールはイラクのレーダー、ミサイル陣地の標的捕捉に従事した。同年の9月27日に同機は米海軍での供用を終了し、S-3ヴァイキング多用途機が後を継いだ。

民間でスカイウォリアーはエイビオニクスのテスト機になり、さらに20年間飛行した。最後のフライトは2011年6月でペンサコーラの海軍航空博物館への移動飛行でスカイウォーリアー搭乗員協会が資金をねん出した。

核攻撃を想定し大型機となったA-3はジャミング用途や給油機として運用され、数百名の海軍航空要員の命を救い、同時に今日までつながる空中給油や電子戦の基礎を作ったのだった。■

この記事は以下を再構成したものです。空軍も同機をもとにB-66デストロイヤーとして供用していますね。いつかそのエピソードが出てくるでしょう。

But changed roles to a long-range electronic spy jet that remained in service throughout the 1980s.



Sébastien Roblin writes on the technical, historical and political aspects of international security and conflict for publications including The National Interest, NBC News, Forbes.com and War is Boring. He holds a Master’s degree from Georgetown University and served with the Peace Corps in China. You can follow his articles on Twitter. This article first appeared earlier this year.

Image: Wikipedia.