2022年10月24日月曜日

戦闘機開発の成功のものさしとは?失敗も公表する米国、成功だけ宣伝するロシア、中国。

 


国は再び、互角戦力を有する相手への抑止力に焦点を合わせているが、これは戦闘を行わないかもしれない防衛プログラムの有効性の評価への回帰を意味する。さらに米国および世界の人々は、そもそも戦闘機プログラムでの成功要因とは何か、じっくり検討する必要がある。



米国は少なくとも2つの次世代戦闘機プログラム、すなわち空軍の次世代航空優勢事業と海軍のF/A-XX戦闘機を開発中で、新型機が就役するのは何年も先だが、防衛当局は米国民にちょっとしたステッカーショックを与える準備を始めている。2022年4月、フランク・ケンドール空軍長官は、空軍の次期戦闘機が史上最も高価な航空機プログラムになる可能性を示唆し、機体価格は「数億ドル」とした。

「数字に注目が集まるだろう」とケンドール長官は語った。「高価な飛行機になる」。


ロドリゴ・アヴェラによるオリジナルアートワーク。彼のInstagramをフォローし、彼のウェッブサイトをチェックしてみてください


F-35共用打撃戦闘機が今のところ史上最も高費用の防衛事業であり、高費用と開発の挫折から、これまでで最も技術的に進んだ戦闘機であるにもかかわらず、失敗作と見なす人も多い。

 アメリカの次期戦闘機は、すでにfailure-of-financeと同じ運命にあるのだろうか、それともこの質問にはドルやセントを超えるものがあるのだろうか?実は、問題だらけで費用のかかるF-35開発は、大成功とみなされている戦闘機の中でも、特別なものではなかった。



ロッキードのステアトル実証機ハヴ・ブルー (U.S. Air Force photo)



次世代の航空戦力は、驚くような価格で提供されることになるだろう。軍事航空における注目すべき進歩はすべて、気の遠くなるようなコストでもたらされたものである。B-29ストラトフォートレスの開発は、マンハッタン計画と並行して行われ、最終的に日本の標的に運ぶことになる原爆を製造した。マンハッタン計画が19億ドルという巨費を投じたことは有名だが、それを搭載したB-29の開発にはさらに10億ドル以上の費用がかかった(ここで忘れてはならないのは、私たちが1940年代のドル価格で話しているということである)。

 もちろん、巨額の資金を必要とするのは爆撃機だけではない。ファンが多いF-14トムキャットは、空母防御用や制空戦闘用として非常に高性能だったが、資金とメンテナンスの問題がで竜巻のように渦巻いていた。1988年までに、F-14Dは海軍に1機あたり7400万ドル(現在のドルで1億8500万ドル、今年のF-35Aよりも1億ドル以上高い)のコストになっていた。

 航空戦力で世界をリードすることは、質素な事業ではない。しかし、アメリカが投資から得るリターンを占うことは、容易ではない。B-29は第二次世界大戦の太平洋戦争で重要な役割を果たし、紛争に決定的な終止符を打つことになる爆弾も運搬した。航空史におけるB-29の重要性には疑う余地がない。

 しかし、F-14トムキャットは、実現しなかった世界大戦のために設計され、製造された機体である。対艦巡航ミサイルと水爆を搭載したソ連爆撃機の群れが水平線から押し寄せてくるのに備え待機するというアメリカが決して起こらないよう願っていた戦争で勝つために作られた。

 そのため、アメリカは高価なF-14を廃棄し、より経済的なF/A-18スーパーホーネットを採用した。同時代の他の戦闘機、F-16ファイティングファルコンやF-15イーグルは、今日もアメリカの戦闘機隊に不可欠であるばかりか、まだ生産中だ。

 もし、ハリウッド大作映画でF-14が大衆文化に定着していなければ、F-14が今日どのように記憶されているかは分からない。エンジントラブルで失われたトムキャットや、1時間の飛行に30〜60時間を要する整備、調達と維持にかかる膨大なコストなどが思い浮かぶだろうか?



離陸準備中のF-14トムキャット(米海軍撮影)


F-14ファンとして言うのもなんだが、もしピート・マーベリック・ミッチェルが海軍でなく空軍に入隊していたら、トムキャットの記憶は大きく変わっていただろう。ここでは、1980年代から2000年代初頭までのLAタイムズ紙に掲載された、みんな大好きな空母戦闘機に関する見出しを紹介する。



F-14計画は成功だったのか、投資した資金に見合うものだったのか。F-14計画は成功だったのか、投資する価値はあったのか。戦闘の観点から言えば、答えはおそらくノーだろう。トムキャットは米海軍で32年間運用され、空対空殺傷記録をわずか5回残している。同時に墜落や事故で68名のパイロットとレーダー迎撃担当者を喪失している。

 しかし、F-14が失敗作として記憶されることはない。事実、20世紀最高の戦闘機リストに入るだけでなく、インターネット上で発表されるすべてのリストで史上最高の戦闘機の中にランクされている。



訓練中のF-16ファイティングファルコンと対決するF-14トムキャット(DoD photo)


実は...これにはちゃんとした理由がある。F-14は、空母から離陸し、高速で長距離を移動し、数十マイル離れたソ連の爆撃機を迎撃する設計で、当時としては最大かつ最も強力な空対空兵器を搭載していた。トムキャットの任務は、第三次世界大戦の核の流れを広大な海で食い止めることで、その能力に対する評価は、紛争が始まるのを未然に防ぐ上で重要な役割を果たしたことだった。

 トムキャットはミサイルを満載し、ソビエトの戦闘機や爆撃機も相手にする高性能機というイメージがあり、アメリカの対抗勢力は米海軍の空母打撃群と交戦しようとすれば失敗する可能性があると考慮せざるを得なかった。その結果、トムキャットは実力を証明する必要がなかっただけだ。しかし、1986年に映画館で披露する機会を得たことで、入隊ブームが起こり、その後何年にもわたり海軍航空に恩恵を与えることになった。

 10年にわたる核兵器との睨み合いの中で設計・構築された戦闘機プログラムにとって、これこそが真の意味での成功だ。



2019年3月30日、フロリダ州メルボルンで開催されたメルボルン航空宇宙ショーで、F-35デモンストレーションチームのパイロット兼指揮官である米空軍のアンドリュー・"ドージョ"・オルソン少佐が奉納パスを披露した。 (U.S. Air Force photo by Senior Airman Alexander Cook)


F-35共用打撃戦闘機は、防衛コミュニティの内部とプログラムに関する外部の認識の違いについて、ユニークな事例となっている。F-14同様に、F-35は将来の紛争を想定して設計・製造された。F-14同様に、抑止力としての役割は、戦闘能力と同様に価値があると言える。また、F-14同様に、同機に搭乗したことのある人は、能力を高く評価する傾向にある。

 しかし、F-14と異なり、F-35は多くの国民から失敗作と見なされている。



F-35パイロットの間では、客観的に見て最も技術的に進んだ戦術機との高評価しか聞かれないことが多いようだ。また、各国軍では、F-35は常にアメリカやヨーロッパの競合機との競争に打ち勝ち、多くの調達契約を獲得している。現在、F-35を運用する各国の合計機数は、ロシア全土のステルス戦闘機の数より多くなっている。

 では、パイロットがF-35を賞賛し、大規模な戦争ゲームでその有効性を実証し、外国政府が数十億ドルを支払って格納庫に数機駐機しているにもかかわらず、なぜ一般の人々はF-35が問題が多い戦闘機だと認識しているのだろうか?

 このような認識ギャップは、F-35の取得プロセスが受けた批判から生じており、国民の多くは、取得の大失敗を戦闘機そのものと切り離して考えることが難しい。結局のところ、ほとんどの人はF-35に乗ったり、一緒に乗って性能を確かめることはないのだが、私たちは皆、F-35で直面中の問題の見出しに接している。


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ロシアのSu-57フェロン (Image courtesy of the Russian Ministry of Defence)



F-35に対する国民のイメージに影響を与えているのは、ドルやセントの額だけではない。政府の透明性が、戦闘機プログラムについての国民の考えを形成していることを考慮することも重要だ。米国政府は、F-35の開発、課題、欠点、成功について非常にオープンにしている。(常に完全に率直とは限らないが)。しかし、中国やロシアのステルス戦闘機開発については、説明責任を果たす自由で独立したメディアがないため、同じことは言えない。ロシアや中国のメディアは、プログラムの成功だけを報道し、失敗は公表されない。その結果、アメリカが失敗を認めると、アメリカだけが失敗を経験しているように見えてしまう。

 確かに逸話的ではあるが、これを書いている間にGoogleのニュースタブで各航空機を検索してみると、J-20に関する記事はすべて配備と能力に関するもので、Su-57の報道は主に配備の可能性に関するものだった...F-35のニュースは、F-35の生産中止に関する記事が完全に支配している。


5次下請け会社が中国製のコバルトとサマリウム合金を含む磁石を作ったが、航空機の安全性や性能に全く影響がなかった。実際、この合金を使用して納入された部品は交換の必要がなく、問題があることが証明されている。米国は、戦闘機部品のいかなる部分も中国から調達してはならないという規則を設けている。



これは、J-20について少ししか明らかにされていないことを取り上げるメディアや、Su-57に関するしばしば常軌を逸したロシアの発言、F-35プログラムオフィスで管理されている膨大な数の開示された頭痛の種を軽視しているわけではない。これは、各機のプログラムに関連する透明性レベルの違いが、国民の受け止め方に明らかな影響を与えることを、思い起こさせている。

 ロシアが製造したSu-57はわずか7機で、最初の1機は離陸直後に墜落し、中国のJ-20は製造の大半をロシア製の第4世代エンジンに依存している。挫折と遅延は、アメリカの戦闘機プログラムに限ったことではない。ロシアと中国のプログラムの透明性の欠如は、Su-57の性能やJ-20のアップグレードに関する話と、F-35の生産停止に関する別の話を見て、アメリカの戦闘機が一見問題の少ないライバルよりも劣っていると推論するバイアスを作り出している。

 アメリカの戦闘機プログラムを成功させる要因について、部屋の中にいる象に触れずにここまで議論してきたことが冒涜的である。つまり、象が43フィートの翼幅と2機のアフターバーニング・プラット&ホイットニーF100-PW-220を備えている。マクドネル・ダグラスのF-15イーグルは、冷戦時代に最も多く生産された戦闘機で、20世紀で最も成功した戦闘機プラットフォームであることは間違いない。1972年の生産開始以来、半ダース以上の国に1000機以上が納入され、F-15は104勝0敗という近代では類を見ない空対空戦闘記録を誇っている。

 その性能から、極超音速ミサイルAIM-54フェニックスのテストベッドとして使用したり、実際に軌道上の衛星をミサイルで撃ったり、ICBMを背負い新しい衛星を軌道に乗せたりと、SFとも思えるような提案も数多くあった。F-15は、F-15Eストライクイーグルが2000ポンド爆弾で空中のイラクのヘリコプターガンシップを破壊したことがあるほど、圧倒的な戦闘力を誇っている。F-15が片翼で安全に着陸した話、空母に搭載する提案、冷戦時代の設計にステルス性を取り入れる試み...など、本が一冊書けそうなほどだ。

しかし、読者が何歳で、どれだけ記憶が鮮明かにもよるが、1970年代から1980年代にかけて、F-15に関する多くの見出しを目にしたのを思い出すかもしれません。それは、現在のF-35に関する見出しと驚くほどよく似ている。

 その見出しを比べてみよう。

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あるいはこれはどうだろうか。:


しかし、F-35の高い目標が計算能力と低観測性に結びついていたのに対し、F-15は生のパワーが戦闘機として最も切望されていた時代に設計されている。また、F-35と同様に、F-15の限界に挑んだ設計は、当時でも予算に見合ったものではなかった。

 実際、「20世紀で最も成功した戦闘機」のもう一つの候補であるジェネラル・ダイナミクスのF-16ファイティング・ファルコンは、F-15の強力な搭載レーダーを含む高度なエイビオニクスとその驚異的な性能があまりにも高コストだとの懸念で今日まで存在している。

 グレン・ケント退役中将は、J・C・マイヤー副参謀長にF-16の導入を正当化するために、「F-15を増やすのではなく、LWF(F-16)を調達すれば、同じ予算でF-15の1.67倍ものF-16を保有できる」と、自身の回想録『Thinking About America's Defense』に述べている。

 この言葉に聞き覚えがあるとすれば、それは数年前、空軍がF-35を増やす代わりに新規製造F-15を購入することを正当化するため、皮肉にもまったく同じ論理を使ったからだろう。

 「第5世代プラットフォームは第4世代プラットフォームよりも高価なので、容量の観点から、ミッションセットに適切にマッチする機体の組み合わせでより多く購入すればよい」と、ある空軍関係者が2019年にMilitary.comに語っていた。

 この比較には、F-15を信じられないほど高性能なプラットフォームと考える人を思いとどまらせる意図はまったくなく、F-35の課題が数十年前のF-15の課題とまったく同じだと示唆するものでもない。重要なのは、先進的な戦闘機プログラムすべてに、能力構成に関する頭痛の種、即戦力になるのかに関する懸念、そしてコストに関する不満が多数つきまとうということなのだ。

 F-14は非常に優れたプラットフォームでありながら、映画で実力を証明する機会が必要だった。アメリカ空軍のF-15は長年にわたって36回の空対空戦闘で勝利を収め、残りの68回はイスラエル軍パイロットによるものだ。だからといって、F-15戦闘機の性能が落ちるわけではないが、アメリカの国防費に対する効果を考える上では重要なことだけだ。F-15は制空権のチャンピオンかもしれないが、その開発費用を負担した国に、ここ数十年は多くの仕事をする必要がなかった。


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7月13日、F-22Aラプターデモンストレーションチーム初のパイロット、ポール "マックス "モガ少佐の出撃準備をするF-22Aラプターデモンストレーションチーム機整備員 (U.S. Air Force photo/Senior Airman Christopher L. Ingersoll)


1997年4月9日、米空軍とロッキード・マーティンは世界初の真のステルス戦闘機、F-22ラプターを発表した。ロッキードのF-117ナイトホークは、空対空性能に欠ける低調な攻撃機だったが、新しいラプターはステルス性が高いだけでなく、箱から出してすぐ史上最も機動的で高性能な戦闘機の仲間入りを果たした。パイロットたちが「誰でも操縦できる」と言うほど高性能な航空電子機器と、コンピューターによるフライバイワイヤー制御と180度の推力方向制御が生み出す究極の曲技性能を一緒に活用できる。

 F-15イーグルに代わる制空戦闘機として2005年に就役したF-22は、地球上のいかなる戦闘機より優れており、まったく新しい世代の戦闘機の基礎となった。17年後の今日、F-22と並ぶ第5世代戦闘機は3機種しか登場していないが、F-22は頂点に君臨している。実際、F-22は今世紀に入る前に設計が完了したにもかかわらず、地球上でレーダー断面積が最も小さく、最高速度が速いステルス機だ。今日の新型機開発で、F-22は性能比較の物差しであり続けている。

 しかし、これだけ驚異的な戦闘能力にもかかわらず...F-22は空での戦いに一度も勝ったことがない。


F-22 Raptor (U.S. Air Force photo)


もちろん、それなりの理由がある。F-22ラプターが就役したのは、ソ連崩壊から14年後、中国の習近平が軍拡と近代化に再び注力する7年前だ。予算的に不運だったのか、米国は航空戦力の歴史で最も驚異的で高価な制空戦闘機を開発・配備したが、航空戦力を持たない相手との数十年にわたる戦いを傍観することになったのだ。F-22は当初750機発注が計画されていたが、すぐに186機に減らされ、現在ではそれよりもさらに少ない数しか就役していない。

 F-22が経済的に成功したとはとても言えない。空軍が最終的に調達した60機のF-22は、2011年の米ドル換算で1機1億3,700万ドルであった。これは2022年に1機1億8000万ドルを支払うことに相当し、1988年のF-14と同等で、やはりF-35より1機あたり1億ドル高い。F-22の研究開発費と生産終了までに行われるアップグレードをすべて含めると、2011年には1機あたり3億7700万ドル、2022年にはなんと4億4300万ドルという驚くべき数字が出る。



1,000ポンドGBU-32統合直接攻撃弾を投下するF-22ラプター (U.S. Air Force photo)


戦闘面では、2014年9月にF-22が初めて実戦投入され、シリアでISISに1,000ポンドのGPS誘導爆弾を投下した。それ以来、F-22は同様の爆撃や、同じ戦場で連合軍の作戦のための情報、監視、偵察のプラットフォームとして使用されてきた。-航空支配のために設計された任務からは遠く離れている。

 しかし、F-22が空対空戦闘を行わないのは、航空優勢戦闘機としての失敗ではなく、むしろその絶大な成功の証なのだ。F-15が外国の旗の下で空戦勝利のほとんどを獲得したように、F-22の最も強力な部分は、アフターバーナーでもミサイルでも、ステルス性でもない。

 これらの戦闘機を真に成功に導いているのは...評判なのだ。


fighter programU.S. Air Force render of a next-generation fighter.


F-15は、ソ連戦闘機で高性能なMiG-25を想定してドッグファイトを行う設計だった。この点で、両者は比類ない成功を収め、その結果、両者とも支配するために設計された大規模戦闘に巻き込まれることはなかったのである。

 冷戦が多くの人が懸念したような熱戦にならなかった理由は数え切れないほどある。しかし、両者の睨み合いの中で、軍事戦略としての抑止力が絶大な威力を誇示しすぎたとはいえない。

 B-21レイダーやNGAD戦闘機など極秘開発に関する記事を掲載するたびに、「中国やロシアといった国家の競争相手の手に渡ることが明らかなのに、なぜ米国は情報を公開するのか」というコメントやメッセージをいただく。この質問に対する答えは簡単で、国防総省がこれらの情報で中国やロシアを封じたいのだ。

 秘密兵器は戦闘が始まるまで何の価値もない。紛争の結果に大きな影響を与える可能性はあるが、米国はそもそも紛争が始まるのを防ぐことを優先している。そして、騒がしい大学生が集まる混雑したバーで過ごしたことのある人ならわかるように、喧嘩を避ける最も効果的な方法は、喧嘩に勝つ準備ができているように見せたり振る舞うことであることが多いのだ。過剰な補整をする男子学生や中国軍のような悪役は、ドウェイン・ジョンソンみたいな男やウエストバッグに銃を入れた男には支配力を主張しようとはしない - 負けるリスクが高すぎるからだ。彼らはもっと簡単な獲物を探す。

 例えば、中国がベトナムのような反撃能力の乏しい国から石油掘削基地を強引に奪取するように。あるいは、ロシアがウクライナに侵攻したのも、数日で倒せると考えた弱敵とプーチンが認識したからだ。地政学の世界では、薄暗いダンスフロアや近所のバーと同じで、認知度がものを言う。


fighter program(U.S. Air Force photo)


1980年代から90年代にかけ、アメリカの戦闘機の圧倒的な強さを前に、誰も空で対決しようとしなかった。実際、ペルシャ湾戦争でF-14の恐ろしさがイラク戦闘機に伝わっていなければ、F-14はもっと多くの空対空戦闘機を仕留めていただろうし、待機していた米F-15に直接飛び込んでいっただろう。21世紀になっても、アメリカのF-22ラプターは、「誰も戦いたがらない戦闘機」というマントルを背負い続けている。外交官が会議室で地図に線を引くとき、人々を立ち上がらせ、注目させるのは声のトーンではない。その線は、アメリカの莫大な国防費を投入した最も強力で有能な軍事力によって支えられていることを理解するためだ。

 F-22のようなプラットフォームと対決することを考えるとき、アメリカの反対勢力たちの喉にできるしこりは、簡単に数値化できるものではない。ドルやセントで直接測れないし、目立つものでもない。

 しかし、現実には...そのしこりが、大規模紛争がない間の戦闘機プログラムで成功の唯一かつ本当の尺度なのだ。実際に戦争が始まるまでは、それ以外のことは解釈次第だ。■



How do you actually measure the success of a fighter program? - Sandboxx

Alex Hollings | October 20, 2022



Alex Hollings

Alex Hollings is a writer, dad, and Marine veteran who specializes in foreign policy and defense technology analysis. He holds a master’s degree in Communications from Southern New Hampshire University, as well as a bachelor’s degree in Corporate and Organizational Communications from Framingham State University.

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ロシアが逆襲する可能性。ウクライナが行き詰まる可能性。戦局は予想どおりに進展しない。

  

TOS-1 firing. Image Credit: Creative Commons.

8月下旬以来、ウクライナは旧占領地数千平方キロメートルらロシア軍を追い出しており、ロシアが支配中のケルソン市を奪還する新たな取り組みの開始まで数日と報じられている。多くの人はロシア軍を見限り、ウクライナの勢いは「不可逆的」で、ゼレンスキー軍が今年末までに戦争に勝利すると示唆している。まともなアナリストは、戦争がまだ終わっていないことを認識する一方で、ほとんど考慮されていないウクライナの危険性が高まっている可能性を指摘している。

2月にロシアが侵攻を開始したとき、当初はキーウが包囲され、政権が奪取される危険があると思われていた。しかし、ロシア軍幹部が戦略面で驚くほど無能であること、またロシア軍が現代の機動戦へ備えをほとんどしていないと露呈するのに時間はかからなかった。

ロシアはなぜ2月に決定打を出せなかったのか?

ロシアは開戦冒頭で戦争の最も基本的な原則の1つを破った。カール・フォン・クラウゼヴィッツは、18世紀プロイセンの将軍で、不朽の戦略書『戦争論』を著したが、軍事指揮官は「すべての兵力を無秩序に投入」してはならず、「決定的瞬間のための決定的集団」に集中させるものだ、と説いた。クラウゼヴィッツは、決定的な地点」を特定し、そこに投入した後は、「最も大胆にそれを利用しなければならない」と述べている。ロシアは、ウクライナとの戦争開始時に、ほとんど反対のことをした。

4100万人の広大な国の征服に20万人足らずの兵力を割り当てたプーチンは、小さな兵力を4つの進攻軸に分け、力を分散させてしまったのである。もし、モスクワが一地域を主戦場とし、兵力を集中させていたら、ゼレンスキー部隊を圧倒することに成功し、ウクライナ軍(UAF)の戦闘力を崩壊させていたかもしれない。しかし、ロシア軍は戦力を分散させることで、ウクライナ軍の進攻をあらゆる場所で封じ込め、4つの作戦を速やかに停止させたのである。

プーチンの攻勢が停滞すると、各軸の兵力が不足し、ウクライナの反撃に弱くなった。最初に陥落したのは、キーウとハルキウ近郊のロシア機甲部隊だった。プーチンは兵力不足の現実に直面し、いち早く北方から撤退し、ドンバス地方を重点戦力に定め、東方に兵力を集中させた。その本丸を支えるため、プーチンはハリコフ東部と南部ケルソンに戦力外通告を行い、ドンバスの脇腹を固めたのである。

この再配置は、モスクワの立場からすれば、当初こそ理にかなっていた。5月から7月初めにかけて、ロシアはドンバスの大部分を占領し、7月3日にリシチャンスクを占領し最高点を記録した。しかし、8月になるとロシア軍の死傷者が増え始め、侵攻軍の規模が小さいこともあって、攻撃の勢いがなくなっていった。 侵略されたという心理的打撃から立ち直ったUAFは、プーチンの弱点につけ込んだ。

ウクライナの反撃

開戦当初に数十万人を動員したウクライナは、南北に秘密裏に攻撃隊形を組んだ。そしてプーチンがやらなかったことをやり、ロシアの最も弱いところ、ドンバス方面の南北に戦闘力を集中させ、大量の兵力でロシアの弱い戦力編成を圧倒し、ハリコフ地方では最大で8対1の優位に立った。

この動きはプーチンの意表をつき、ハリコフ、ケルソン両地域でロシア軍戦線を後退させた。しかし、結局はウクライナと同様、ロシアもショックから立ち直り、北はオスキール川付近、南はケルソン市に隣接するドニプロ川沿いの防衛を固めた。

ウクライナ軍の前進に対し、プーチンは9月、占領したウクライナ領土を併合する政治的な動きと、30万人に及ぶ予備兵動員の軍事的な動きを見せた。ゼレンスキーは、ロシア軍がまだ弱く、大規模な援軍が到着する前にケルソンを奪取しようと、早ければ来週にも自軍に圧力をかけようとしている。しかし、ウクライナは、ケルソンの守備隊の救援に来るロシア軍よりも、もっと大きな潜在的脅威に直面している

次に来るもの

プーチンは遅まきながら戦力を分散させた最初の誤りを認識し、ドンバス地方を最優先としたが、配下の将軍たちは攻勢をかける方法について、驚くほど知識と創造性に欠けていた。ウクライナ守備陣を孤立させ、攻撃しやすい弱点を突くのではなく、ウクライナが8年の歳月をかけて構築した防御の歯牙に、ロシア軍将兵は正面から突っ込んでいったのだ。

この作戦は(ほぼ)成功したが、ロシアが被った人的・物的損害は甚大だった。もしプーチンと軍部のトップが、創造性の欠如を再び繰り返し、無頓着にもさらに10万人の軍隊を送り込みウクライナ軍に正面攻撃を加えれば、戦場はロシアとウクライナの血に染まるだろうが、結局はウクライナ軍を倒すだけの力がないかもしれない。

もしロシアがその選択をすれば、UAFは(多大な人的犠牲を払いながらも)嵐を切り抜ける正当な機会を得ることができるだろう。一方、ロシアが戦略的失敗から学び、戦史と戦闘の基本に注意を払えば、ゼレンスキー軍は大きな危険にさらされる可能性がある。

 

ウクライナにとって最大の脅威は北西にある

2月に戦争が始まったとき、ドンバスのウクライナ軍は真東を向き、十分に建設され強化された防衛陣地にあり、ロシアの正面攻撃に備えていた。まさにその通りになった。ウクライナは精神的に攻撃に備え、ロシアのロケット砲と大砲の灼熱の攻撃を受けながらも、驚くべき勇気と粘り強さを見せた。

ウクライナは徐々に降伏したが、前進する敵軍に割高な代償を与え、最終的にロシアの駆動を停止させた。現在の状況では、ウクライナは予想されるロシアの次の増援に備え、東または北から(ベラルーシから)キーウに向かう正面攻撃に再び精神的な備えをしているようだ。ゼレンスキーは、ベラルーシ国境から侵入するロシアの新たな攻撃から首都を守るため、部隊の一部を再配置している。

ロシアが大規模な機動部隊を支援するために必要な大規模兵站を備蓄していることは分かっている。9月だけで、クレムリンはウクライナと国境を接する6地方に、22万トン以上の燃料を積み上げたのである。モスクワは、プーチンの動員によって生まれた大部隊の展開の場を整えつつある。問題は、その一撃がどこに到達するかだ。

プーチンがドンバスで使った方法を再現し、基本的にキーウに向かいウクライナ防衛の牙城を再び切り崩そうとすれば、昨年2月のようにUAFの執拗な攻撃で再び消耗する危険性がある。ゼレンスキーの部隊と住民は、ロシアによるキーウ占領の試みは、どんなに時間がかかっても再び阻止できると確信している。しかし、もしプーチンが失敗を繰り返さず、ゼレンスキーが予期しないところを攻撃してきたらどうなるか。

ロシアがウクライナの軍備や弾薬の生産能力の大部分を破壊して久しいので、キーウは西側からの供給に全面的に依存している。したがって、ウクライナの戦争遂行能力にとって最大の脅威は、西側国境から内陸部の軍事拠点までの供給ルートの安全性である。プーチンがこの脆弱性を認識すれば、ベラルーシ経由で再び軍を集結させ、キーウを迂回しウクライナの西側国境に攻撃を仕掛けてくるかもしれない。

ウクライナ最大の弱点は、ベラルーシからルツクを経由してリヴィウに至るロシアの動きである。現在、ウクライナ軍の大部分は、南東部のケルソン、東部のドンバス、北東部のハリコフに集結しロシア軍に対抗しているが、西部に大規模な部隊はほぼ存在しない。

一つのシナリオは、プーチンが、ロシアが次の波をどこに送るかで、キーウの想定を裏付ける形で攻撃隊形を配置することだ。ドンバス東部に兵力を集中させ、キーウの北、ベラルーシにさらに大きな兵力を集中させるかもしれない。そうすれば、ロシア軍がドンバスに侵攻し現在の攻勢を強化し、キーウに向け大軍を南下させ、首都を奪う動きに見せかけることができる。

ロシアが攻勢に出る前に、ゼレンスキーは南方から部隊を移動させ、ドンバス方面を強化し、キーウを守るために予備兵力を投入しなければならないところだった。ロシアはその後、ドンバスに兵力を移動させ、ウクライナ東部軍全体を固定し、攻撃を撃退しようとするかもしれない。一方、北側のロシア軍はキーウではなく、西のルツクを目指し、最終目標はリヴィウで、西側からの補給路を断ち切るため攻撃を仕掛けるだろう。ウクライナの将軍たちがロシアの西方大移動に気づいたときには、軍隊の再配置はほとんど不可能になっているだろう。

ポーランドから陸路が断たれれば、ウクライナが数カ月にわたり戦力を維持することは事実上不可能であった。西側諸国がUAFに軍需物資を送るため利用できる唯一のルートは、カルパチア山脈を越えてスロバキアとルーマニアの国境に至る、極めて困難で制約の多い道である。ドンバスのウクライナ軍は、HIMARsシステム用の砲弾とロケット弾をすぐに使い果たし、装甲兵器の代替品も手に入らなくなる。

一方、ロシアは自軍への補給線が途絶えることなく、全戦線で容赦なく打撃を与えることができる。そうなれば、ロシアの兵器と兵力の膨大な量と、ウクライナ側の弾薬供給の減少が相まり、ゼレンスキー軍が干上がり、ウクライナが交渉による解決か完敗かの選択を迫られるのは時間の問題となる。

ウクライナはどうすればリスク軽減できるか

記事執筆の時点では、ロシアは手の内を明かしていない。プーチンは、ウクライナと国境を接するロシアの地域で戦闘マシンを増強しており、各集結地から、さまざまな方向、さまざまな目標を攻撃する可能性がある。プーチンは、疑わしい(あるいはまったく忌まわしい)戦略・作戦決定を続け、UAFが成功する可能性が最も高い地域と方法で攻撃を行うかもしれない。

しかし、配下の将軍連も筆者と同じ脆弱性を見て、上記のシナリオを指示する可能性がある。このような事態はゼレンスキーには致命的であるため、予防策と緊急時対応策の策定を開始しなければならない。ウクライナに数ヶ月のうちに正念場が訪れ、ゼレンスキーは耐え難い選択を迫られることになる。

今後数週間でUAFがケルソンを奪取しても、あるいはロシアが死守しようが、プーチンの動員部隊が配置につき、攻撃開始の準備が整えば、さほど影響はない。ゼレンスキーにとっては最高の状況でも、とてつもない難題に直面することになる。9月に入ってからの戦果は、人的にも装備でも多大な犠牲を生じている。損失分を補充し、新部隊を訓練するのは時間がかかる。しかし、ウクライナは単に損失を補うだけでなく、予想されるロシアの攻撃に対応するため、兵力を大幅に増強する必要がある。

 

T-84

Ukraine T-84 Tank. Image Credit: Creative Commons.

スターリンは第二次世界大戦中、「量に質がある」と言い、大量の兵力を送りドイツ軍を打ち負かすことを正当化したと言われている。例えばクルスクの戦いで赤軍はドイツ国防軍を最大規模の戦車戦で破ったが、代償としてソ連軍兵士80万人が犠牲になった。プーチンは、T-62やT-72といった旧式戦車やその他の旧式の装甲を装備した動員兵を大量に送り込み、ウクライナの守備を圧倒する可能性がある。そうなると、ゼレンスキーはできるだけ早く戦力を整備し、最善の策を講じなければならない。

その作業は、多くの人が考えているよりはるかに難しい。ゼレンスキーと参謀本部は、ロシアが最初の経路を再現し、圧倒的な規模でUAFの守備を圧倒しようとする可能性に備えなければならない。しかし、また、上記のような最も危険な行動に対する緊急対策案を考案しなければならない。前者に失敗すれば、膨大な数の死傷者が生まれ、戦争が長引く可能性がある。後者に失敗すれば、ウクライナは数ヶ月で戦争を放棄することになる。

時間が限られている以上、ウクライナは北部での攻撃活動を停止し、ドンバス部隊とともに、ロシアの次の攻撃を想定した要塞や多層防御施設の建設に直ちに着手すべきだ。キーウは、ケルソン攻略の期限を定め、できるだけ早く同地にも防衛施設を建設することだ。いずれにせよ、この冬、ウクライナの北、東、南の各軍はロシアの再攻撃を受ける可能性が高い。

一方、ゼレンスキーはキーウ西側に予備軍の構築を開始すべきである。この部隊は機動性があり、相当数の装甲車、歩兵、自走砲を含むものとすべきだ。予備軍は東西の重要な鉄道線路近くに配置すべきだ。もしロシアが従来のやり方で北からキーウを攻撃すれば、同部隊は都市防衛に移動できる。もしプーチンが予想外のことをやってウクライナとポーランド国境に移動すれば、ゼレンスキー予備軍は鉄道でリヴィウやルツクを守るため素早く移動できる。それでも成功は保証されないが、適切な場所に部隊を配置し、既存のコンティンジェンシー・プランがないと、ロシアの西への予想外の進出を阻止できる可能性は非常に低い。

結語

これが戦争だ。戦争は恐ろしいものであり、優れた人間を野獣に変え、触れた人すべてに肉体的、精神的な苦い傷跡を残す。戦闘は通常、混沌とし、予測不可能で、経験したことがない人には想像できないストレスの多いものであり、「簡単な答え」は存在しない。ケルソンとハリコフの戦闘で何が起ころうとも、戦争の帰趨を決めるのはその次である。ゼレンスキーは、ダイナミックな出来事に対応し大きなプレッシャーに直面する。

どのような選択をしても、その結果、自軍はリスクを負うことになり、唯一の正しい答えは存在しない。しかし、生死を分ける決断を迫られる。ロシアはこれまで、最高レベルで、衝撃的レベルの無能ぶりを示してきた。しかし、ロシア軍には粘り強さがあり、善戦する能力もある。ゼレンスキーは、そのロシアのコインの両面の出現に備えなければならない。

ウクライナは、圧倒的な数と火力で勝利への道を切り開こうとする敵と、失敗から学び、その後の戦いでより強く、より巧みに戻ってくる、向上する敵との対峙に備え準備しなければならない。西側諸国は最近のウクライナの成功に陶酔しているが、ウクライナは戦略的優位性を有する敵に直面している。

ゼレンスキーがロシアの猛攻を切り抜けられるかは、プーチンの危険な動きにどれだけ対応できるかに大きく依存する。■

 

Could Russia Try to Take Kyiv Again? The War in Ukraine is Far From Over - 19FortyFive


ByDaniel Davis

 

Author Expertise: Now a 19FortyFive Contributing Editor, Daniel L. Davis is a Senior Fellow for Defense Priorities and a former Lt. Col. in the U.S. Army who deployed into combat zones four times. He is the author of “The Eleventh Hour in 2020 America.” Follow him @DanielLDavis. 


2022年10月23日日曜日

ハインラインのスターシップ・トゥルーパーズ第9章 ジョニーが新兵訓練をついに修了


第9章



ここには敗者の居場所などない。そこに行って勝利するタフな男たちが欲しい!。- ジョナス・イングラム提督、1926年 


平坦な土地で泥足でできることはすべてやった後、さらに荒らっぽい訓練のため、グッドホープ・マウンテンとマウント・ワディントンの間のカナディアン・ロッキーに移動した。キャンプ・サージャント・スプーキー・スミスは、キャンプ・カリーとよく似ていたが(険しい環境は別)、ずっと小さかった。第3連隊は、当初2,000人以上いたのが、今は400人以下だった。H中隊は小隊に編成され、大隊は中隊のようにパレードを行った。しかし、まだ「H中隊」と呼ばれ、ジムは小隊長ではなく、「中隊長」だった。汗をかいた分、個人指導が多くなった。分隊の数より伍長教官の方が多く、最初は260人いたのがたった50人になり、ズイム軍曹がおれたち一人一人をアーガスの目で見ていた。ヘマをしたら、すぐ後ろに彼が立っていることがわかった。


ただし、コレだけ絞り込むとそれなりの内容になる。5人のうち残った1人はほとんど兵士で、ズイムは兵士にしようとしているようだった。軍曹はおれたち全員の名前と顔を把握しており、各人がどの武器、どの装備でどんな進歩を遂げたかを正確に記録したカードファイルを頭の中に持っているようだった。しかし、笑顔の下にはベリルの鎧があった。ズイムとフランケル大尉のどちらが優秀な兵士なのか、おれにはわからなかった。つまり、徽章を取り去り二等兵として考えた場合だ。確かに二人とも他のどの教官よりも優れた兵士だったが、どちらが優れていたのだろうか。ズイムはパレードのように正確かつスタイリッシュにすべてをこなし、フランケル大尉はゲームのようにダッシュと気合で同じことをした。結果はほぼ同じで、フランケル大尉が言うほど簡単なものではなかった。豊富な教官陣が必要だった。スーツで跳ぶのは、平地では簡単だった。しかし、花崗岩の垂直な壁を飛び上がり、2本のモミの木の間を通って、最後の瞬間にジェット制御を無効にしなければならない場合は、大きな違いだ。


荒涼たる演習地でのスーツ訓練で、2名死亡、1名医療除隊と、3名も大きな犠牲者を出した。しかし、岩壁はスーツなしではもっと厳しく、ラインとピトンで挑んだんだ。アルパイン・ドリルが何の役に立つのかよくわからなかったが、おれは口をつぐんで、押しつけられたことを覚えるのを学んだ。おれは学んだが、それほど難しいことではなかった。1年前に、もし誰かがおれに、ハンマーと小さなスチールピンと物干し竿だけで、ビルの真っ白な壁みたいな平らで垂直な岩の固まりを登れると言ったなら、おれはそいつの顔を見て笑っていたことだろう。訂正。おれは水平派だ。しかし、この時までに、おれは変わっていた。しかし、どれだけ変わったかが分かってきた。キャンプ・スプーキー・スミスでは、町に出る自由があったんだ。


そうそう、キャンプ・カリーでは、最初の1ヶ月間だけ「自由」があった。つまり、日曜の午後、勤務小隊に所属していなければ、教務係テントでチェックアウトし、夕方の召集に間に合うように、キャンプから好きなだけ遠くへ歩いて行けた。しかし、ジャックラビットを除けば、歩いて行ける距離に何もなかった。女も、劇場も、ダンスホールも、その他もろもろ。テントも軍曹も、長靴の中にいる親友の醜い顔さえも見えないほど遠くへ行けるというのは、実に重要なことだ。その特権を失う可能性はあった。キャンプに制限されることもあれば、自分の中隊のように制限され、図書館にも行けず、誤解を招く名前の「レクリエーション」テント(主にパーチェジセットと同様の野趣に富んだもの)にも行けないこともあれば、厳しい制限を受けて、自分の存在が他に必要ないときにテントにいなければならない場合もあった。この最後の場合は、通常、寝る以外テントにいる時間がないほど過酷な追加任務が加えられるので、それ自体にあまり意味がない。それは、アイスクリームの上にのせるチェリーのように、自分が日常のおふざけではなく、MIメンバーにふさわしくないことをした、そのため汚れを洗い流すまで他の隊員との付き合いができないことを本人と世間に知らせる飾りだった。しかし、キャンプ・スプーキーでは、任務の状況、行動の状況が許せば、町に出られたんだ。


シャトルバスは、毎週日曜日の礼拝(朝食後30分に繰り上げられた)の直後にバンクーバーまで走り、夕食の直前とタップ前に再び戻ってきた。教官は土曜の夜を街で過ごせたし、任務が許せば3日間のパスももらえた。おれは、シャトルバスから降りたところで、自分が変わってしまったのを実感した。ジョニーは、もうこの世界になじめなくなっていた。民間人の生活はすべて驚くほど複雑で、信じられないほど不潔に思えた。バンクーバーを悪く言うつもりはない。人々は魅力的で、M.I.が街にいることにも慣れていて、隊員を歓迎してくれた。ダウンタウンには兵隊のためのソーシャルセンターがあり、毎週ダンスが開かれ、一緒に踊るジュニアホステスやシニアホステスが、内気な少年(おれのように周りに女性のジャックラビットしかいない数ヶ月間をすごしてみろ)を紹介し、パートナーの足を踏ませるように配慮してくれた。しかし、おれはソーシャルセンターに行かなかった。美しい建物、あらゆる種類の不要なもの(その中に武器はない)で埋め尽くされた陳列窓、走り回るか散歩しているすべての人々、好きなように行動して、同じ格好をしている人は一人もいない。そして女の子たちにほとんど立ち尽くして見とれていた。そう、女の子だ。


こんなに素晴らしいとは思ってもみなかった。服装が違うだけでなく、違いに初めて気づいたときから、女の子を認めていたんだ。男の子が「女の子は違う」と知りつつも嫌いになる時期は、おれの記憶では一度もなく、ずっと女の子が好きだった。でも、その日、おれはずっと当たり前のように思っていたことに気づいた。女の子というものは本当に素晴らしい。角に立って、通り過ぎるのを見るだけでも楽しい。彼女たちは歩かない。少なくともおれたち同様の歩きはしない。どう表現したらいいのかわからんが、もっと複雑で、まったく愉快だ。足だけでなく、あらゆるものがさまざまな方向に動く......しかも、そのすべてが優雅だ。警察官が来なければ、まだそこにつっ立っていたかもしれない。警官はおれたちを見定め、「やあ、君たち。楽しんでいるかね?」と話しかけてきた。おれはすぐに警官の胸リボンを読み、感心した。「はい!」「サーなんて言わなくていいんだよ。ここではあまりすることがない。ホスピタリティー・センターに行ったらどうだ?」警官は住所を書いて、パット・レイヴィー、キトン(子猫)・スミス、おれの3人に渡した。警官はおれたちに「楽しんで来いよ」と言ったが、シャトルに乗り込んだとき、ズイム軍曹がおれたちに言ったのがまさにこれだった。しかし、おれたちはそこに行かなかった。パット・レイヴィーは、幼い頃シアトルに住んでいたことがあり、ふるさとを見たいと言っていた。彼はお金を持っており、一緒に行ってくれるならシャトルバス運賃を払うと言った。シャトルバスは20分おきに運行されているし、通行証もバンクーバーに限ったものではない。スミスも一緒に行くことにした。シアトルはバンクーバーとあまり変わらず、女の子もたくさんいて、楽しかった。しかし、シアトルはM.I.が大勢いることにあまり慣れておらず、夕食の場所として、波止場そばのバー・レストランであまり歓迎されない場所を選んでしまった。おれたちは酒を飲んでいない。子猫スミスは晩飯のお供にビールを何杯も飲んだが、気さくでいいやつではなかった。ジョーンズ伍長は、初めての白兵戦訓練でうんざりしてこう言った。「子猫ならもっと強く殴るぞ!」。で、このニックネームがついた。


シアトルは水上輸送量が多いので、他の客は商船の船員だった。当時は知らなかったが、商船の船員におれたちは嫌われているんだ。彼らのギルドが、自分たちの商売を連邦公務員同等に扱わせようとして、うまくいかなかったこともあるが、背景に何世紀も前に遡る歴史があると聞いている。おれたちと同じくらいの年齢で、任期を務めるのにちょうどいい年齢の若者もいたが、こいつらはその選択をしていなかった。まあ、おれも入隊前はあんな感じだったんだろう。そのうち、後ろのテーブルで、若い二人組と商船の船員二人組(服装から判断して)が、おれたちに聞こえるように話していることに気づいた。それを繰り返すのはやめよう。おれたちは無言だった。 


そのうち話しはもっと個人的なものになり、笑い声も大きくなり、その場の誰もが静かに耳を傾けていたが、子猫がおれに囁いた。「ここから出よう」。おれはパット・レイヴィーの目をとらえ、彼はうなずいた。おれたちには何の罪もない。ここは、お金を払った分だけ居られる場所だ。おれたちは立ち上がり、その場を離れた。そいつらはおれたちの後を追って出てきた。パットはおれに「気をつけろよ」と囁いた。おれたちは歩き続け、振り返らなかった。奴らはおれたちに襲いかかってきた。おれは首の横にチョップを入れ、仲間を助けるために振りむいた。しかし、もうおわっていた。4人が来て、4人が倒れていた。子猫が2匹を処理し、もう1匹はパットが強く投げすぎて街灯にたたきつけてしまった。おれたちがまだ立ったまま、どうしたものかと迷っていると、すぐ警察が来た。字警官の一人はおれたちに告訴するか聞いてきたが、おれたちはその気になれなかった。子猫は無表情で15才の顔をして、「つまずいたんでしょう」と言った。「なるほどね」と警察官は同意し、飛び出した手からナイフをつま先で離し、縁石に当てて刃を折った。「さて、君たちは逃げた方がいい...もっと山の手だ」。おれたちは立ち去った。パットも子猫も、何とも思っていないようでよかった。民間人が軍人を襲うのは大変なことだが、何ということだろう。奴らはおれたちに飛びかかり、罰を受けた。全部チャラだ。しかし、おれたちは殺さず無力化する訓練を受けているので、反射的にできた。それは良いことだ。終わるまで何も考えなかった。それでも、自分がどれだけ変わったかはじめてわかった。駅まで歩いて戻り、バンクーバー行きシャトルに乗った。


キャンプ・スプーキーに移動するとすぐ投下練習が始まった。一度に1小隊が交代で(つまり1個中隊)、ワラワラ北部のフィールドにシャトルで降り、宇宙船に乗り投下し、演習をして、ビーコンで帰還する。1日がかりの作業だ。山越え、北極の氷の中、オーストラリアの砂漠、そして、修了前には、月面に投下されたカプセルがわずか3メートル上に置かれ、脱出時に爆発した。 


死傷者も出たが、カプセルに入るのを拒否する者もいた。何回も降下していても、パニックになり拒否する者もあった...教官はそいつに優しく、病気がなかなか治らない友人に接するように接していた。おれはカプセルに入ることを拒否したことはなかったが、震えについて確かに学んだ。おれは毎回震え、そのたびにバカみたいに怖くなった。今でもそうだ。でも、落ちなきゃキャップトルーパーじゃないんだ。ある隊員がパリを観光していたときの話だ(たぶん嘘だろう)。そいつはアンヴァリッドを訪れ、ナポレオンの棺を見下ろし、そこにいたフランス人衛兵に言ったという。「これは誰なんだ」。そのフランス人はあきれ果てた。「ムッシュー、知らないんですか?これはナポレオンの墓です。"ナポレオン・ボナパルト" "史上最高の軍人ですよ」。 隊員は考えた。そして、「それで、どこに降下したんだい?」それはほとんど間違いない。そこに大きな看板があって、ナポレオンが誰であったかを正確に教えてくれるからだ。でも、キャップトルーパーとはそういう風に思うんだ。結局、おれたちは修了できた。ほとんどすべてを書き残していなかったな。武器について一言も触れていないし、すべてを投げ出して3日間山火事と戦ったときのことも、練習警報について触れなかったが、すべて本当にあったことで、終わるまで気づかなかった。しかし、天気は起こっている間は興奮しても、振り返るとかなり退屈に思える。年鑑からどんな天気でも取り出して、どこにでも貼り付けることができる。連隊は2009人でスタートし、187人が修了した。14人は死亡(1人は処刑されて名前が抹消)、残りは辞職、降格、転属、病気退院などだった。マロイ少佐が短い演説をし、おれたちは修了証をもらい、最後の審査を通過し、連隊は解散した。隊旗は、(3週間後に)数千人の市民に、自分たちが暴徒ではなく組織であることを伝えるのにn必要になるまで、ケースに入れられた。おれは「訓練ずみ隊員」となり、シリアルナンバーの前は「RP」のかわりに「TP」を付ける資格を得た。大事な日だ。今までで一番大きな日だ。(第9章終わり)

 

日本がSM-6を導入。

 


SM-6 launches from guided-missile destroyer USS John Paul Jones on Aug. 29, 2017. MDA Photo

 

務省からの議会通達によると、日本は450百万ドルの兵器購入パッケージの一部として、アメリカに続きスタンダードミサイル6を配備する最初の国になるようだ。

 木曜日付の通達によると、日本は議会承認を待ち、レイセオンSM-6ブロックIsを最大32基の購入が条件付きで承認された。

 「提案されている売却は、地域の潜在的な敵対者に対する日本の防空・弾道ミサイル防衛能力を向上させる。また、日米安全保障同盟に最新・最先端の能力を提供し、日本の防衛における米軍への依存度を下げ、日米の軍事的相互運用性をさらに向上させる。日本には該当ミサイルを自国軍に吸収することに何ら困難はない」と通達に書かれている。

 この通達は、日本、韓国、オーストラリアのミサイル購入を条件付きで承認した2017年の米国防総省の決定を受けたもので、当時USNIニュースが報じた。

 3カ国はいずれも、イージス戦闘システムのベースライン9を搭載した誘導ミサイル艦を実戦配備している。ベースライン9では、艦船のセンサーに加え、他の艦船や航空機からの照準情報がSM-6に入力できる。

 

 

 オーストラリアのホバート級誘導弾駆逐艦3隻、日本のあたご級、まや級駆逐艦2隻、韓国の世宗大王級駆逐艦3隻がベースライン9を搭載する。

 SM-6は、対空戦、対地戦、限定的な弾道ミサイル防衛能力の3モードを備えるが、すべての機能が3カ国すべてで利用できるとは限らない、とUSNI Newsは理解している。

 特に、米海軍とミサイル防衛庁MDAは、終末期の弾道ミサイルに対するSM-6ミサイルの有効性を証明するため、何度もテストを行っている。

 昨年、当時MDAのイージス弾道ミサイル防衛プログラム執行官だったトム・ドゥルガン少将は、SM-6を「極超音速ミサイル防衛での主要な防衛能力」と呼んでいた。

 日本の駆逐艦も弾道ミサイル防衛用SM-3を搭載している。 日本は弾道ミサイル防衛任務に特化した2万トン級艦艇二隻を建造すると、USNI Newsは先月報じた。■

 

Japan Set to Buy SM-6s in Potential $450M Deal, Says State Deptartment - USNI News

By: Sam LaGrone

October 20, 2022 6:34 PMUpdated: October 20, 2022 

 

About Sam LaGrone

Sam LaGrone is the editor of USNI News. He has covered legislation, acquisition and operations for the Sea Services since 2009 and spent time underway with the U.S. Navy, U.S. Marine Corps and the Canadian Navy.

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米中央軍がアラビア海にSSBNが哨戒中と居場所を公表した意味。戦略ミサイル原潜の位置は極秘情報なのだが....

 

CENTCOM

 

哨戒中の核弾道ミサイル潜水艦の所在をあえて明らかにするのは極めて異例だ

 

 

中央軍は、アラビア海で米海軍オハイオ級核弾道ミサイル潜水艦の存在を公表するという極めて異例の措置を取った。この発表は、司令部トップのマイケル・クリラ米陸軍大将 Gen. Michael Kurillaが、同地域で活動する米軍の重要な能力を視察に訪れたとの枠組み内で行われた。しかし、これはアメリカの同盟国協力国だけでなく、イランやロシアといった潜在的な敵対勢力に向けたメッセージとも考えられなくはない。

 中央軍(CENTCOM)が本日発表したプレスリリースによると、米第5艦隊と海軍中央軍(NAVCENT)の責任者であるブラッド・クーパー米海軍中将Vice Adm. Brad Cooperは、アラビア海の非公表の場所で、USSウエストバージニアを訪問したクリラ大将と幕僚の一行に参加した。報道発表では、クリラ、クーパー、その他がどのように潜水艦にたどり着いたのか、また具体的にいつ訪問したのかについて言及はない。

「USSウェストバージニアの乗組員に徹底的に感銘を受けた。各員は、米軍最高レベルのプロ意識、専門知識、規律の体現だ」と、クリラ大将は声明で述べた。「潜水艦は核三本柱の至宝であり、ウエストバージニアはUSCENTCOMとUSSTRATCOM(米戦略軍)の柔軟性、生存性、即応性、能力を海上で実証している」。

 

 

オハイオ級弾道ミサイル潜水艦「USSウェストバージニア」を訪問し、潜望鏡を覗く米中央軍司令官マイケル・クリラ陸軍大将。 CENTCOM

 

 

米海軍は現在、オハイオ級弾道ミサイル潜水艦(SSBN)を14隻保有している。オハイオ型SSBNは当初、核搭載の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)「トライデント」を最大24基搭載する設計だったが、ロシアとの軍備管理協定の一環で、最大搭載数は20基に削減された。現在のトライデントD5ミサイルは、MIRV(multiple independently targetable reentry vehicle)で、1基あたり最大14個の核弾頭を搭載できる。

 オハイオ級では、誘導弾潜水艦(SSGN)に改造された4隻が就役している。最大154発のトマホーク陸上攻撃型巡航ミサイルを搭載できることで知られているが、オハイオ級SSGNは実際には様々な無人システムを展開し、特殊作戦部隊の母艦として、水中情報融合センターや司令部として機能する多目的艦といったほうがいい。

 中央ヨーロッパ軍(CENTCOM)が、オハイオ型SSBNの所在を公式開示したことは、それだけで極めて異例だ。海軍は一般的に、潜水艦活動については堅く口を閉ざし、特にアメリカの核抑止力の三本柱である弾道ミサイル潜水艦の位置に関しては、その傾向が強い。

 さらに、CENTCOMはクリラ大将が到着したとき、USSウェストバージニアがアラビア海でどこを航行していたかを正確に明らかにしていないが、同大将一行を受け入れるため浮上しなければならず、固有のリスクと情報収集の脆弱性が存在したことになる。潜水艦、特にオハイオ級のような大型潜水艦は、浮上すると操縦性が制限され、さまざまな危険がある。CENTCOMがプレスリリースと発表したウェストバージニアが浮上している写真(この記事の冒頭に掲載)には、目立った特徴は見られないが、今回の訪問では様々な戦力保護措置がとられていた可能性が高いようだ。

 

 

CENTCOM司令官クリラ陸軍大将(右から2人目)、米第5艦隊/海軍中央司令部ブラッド・クーパー海軍中将(左から2人目)一行がUSSウエストバージニアを訪問した。CENTCOM

 

 

オハイオ級潜水艦は、過去にメッセージ発信に使われたことがあるが、一般的にはSSGNがその目的に使われてきた。1月、ロシアのウクライナへの全面侵攻に先立ち、海軍はオハイオ級SSGN USSジョージアのキプロス寄港を公表するという、やはり異例の措置を取った。

 2020年末から2021年初めにかけても、ジョージアはイランとの関係が特に緊迫していた時期に、ペルシャ湾とアラビア海を結ぶホルムズ海峡を水上航行する姿を珍しく公表していた。2021年5月、この航行中にジョージアと護衛艦に嫌がらせをするイラン艦に対し、米沿岸警備隊巡視船が警告射撃をし、浮上航行する潜水艦が直面する潜在的なリスクが浮き彫りにされた。

 海軍がオハイオ型SSBNの動向を発表することは、非常に稀ではあるが、全くないわけではない。The War Zoneは当時、2021年6月に同じくオハイオ級SSBNのUSSアラスカが英国王立海軍のジブラルタル基地を訪問したと海軍が発表したことがいかに異例であったか指摘した。ミサイル原潜が同地に入港するのは20年以上ぶりのことで、当時多くの人が「実は侵略の前触れかもしれない」と心配したウクライナ周辺のロシアの演習が終了し約2カ月後のことだった。

 

USSアラスカが2021年6月、英海軍基地ジブラルタルで停泊した。William Jardim

 

ウィリアム・ジャルディム

 

こうしたことを考えると、クリラ大将のウエストバージニア訪問は、今週に公式発表されたバーレーンやオマーンへの訪問とは、明らかに異なるニュアンスを含んでいる。米国と中東諸国、特にイランとの間にさ緊張関係があるときに、CENTCOM司令官が同潜水艦に出向いたという発表をしたのは意味がある。

 ここ数週間、イランは、いわゆる「自爆ドローン」を含む無人機の納入を通じて、ウクライナの紛争にロシア側につき、より積極的に介入している。また、イラン当局者は我々が予測したように、同国がロシアに数百の短距離弾道ミサイルを売却する計画であるとロイターに語ったと報じられている。

 さらに、米国政府のイラン特別代表で、論争の的になっている核開発プログラムに関して対イラン交渉を主導するロバート・マリーRobert Malleyも、月曜日に、この交渉は無期限に停滞しているようだと述べたばかりだ。その直接的な理由は、9月に首都テヘランでヒジャブを着用していないことを理由に逮捕されたジナ・アミニ(別名マーサ・アミニ)が死亡したことをきっかけに、イラン政府が抗議デモの広がりに対し暴力的な弾圧を続けていることだ。

「(核協議は)議題にもなっていない。動きがないし、焦点になっていない」と、マリーは月曜日にCNNのベッキー・アンダーソンとのインタビューで語った。「現時点では、イランで何が起きているかに焦点が当たっている」。

 米国政府に対し、この地域で強さと存在感を示したいと思う国が他にもある。アメリカの表向きのパートナーでありながら、石油輸出国機構(OPEC)石油カルテルによる減産決定を後押しし、価格を押し上げることになったサウジアラビアもそのひとつだ。この行動は、ウクライナ戦争で欧米のエネルギー関連などの制裁を受けているロシアにとって有益に働くとの見方が強い。また、ウクライナの最も有力な国際パートナーである米国や欧州各国にも悪影響を及ぼす可能性があり、ワシントンとリヤドとの間に亀裂が生じている。

 また、アラビア海におけるウェストバージニアのプレゼンスは、単にそこにいることを示すことほど重要でない可能性もある。ロシアのプーチン大統領がウクライナ紛争の流れを変えるため核兵器を使用する可能性があるかについては、活発な議論が行われているが、ここ数週間、この可能性に対する懸念が高まっているのは確かだ。プーチン自身の発言も、懸念を払拭するには至っていない。

 抑止力よりもリスクの方が大きいとの議論も活発だが、米軍は現在、収量を大幅に低減させたW76-2弾頭を備蓄している。W76-2は、トライデントD5でのみ使用可能で、少なくともある程度の配備が確認されている。特に、ロシアのような国による限定的な核攻撃をよりよく抑止するため、柔軟な核オプションが必要であるとの議論に基づいて開発されたものだ。

 アラビア海でのウェストバージニアの異様な姿は、地政学的な摩擦を他にも引き起こす要因となる。米軍は中国を主要な「ペースメーカー」と見なし、10年以内に人民解放軍が台湾に軍事介入する可能性について、定期的に懸念を表明している。また、北朝鮮の一連の挑発的なミサイル発射や懸念される軍事行動が、新たな核実験につながるとの懸念も強まっている。

 USSウェストバージニアに関する米中央司令部発表が、どのようなメッセージであるにせよ、それがどのように解釈されるかは未知数だ。

 しかし、アラビア海に米軍の最も破壊的な攻撃プラットフォームが存在すると公言したことは、極めて異例であり、核三本柱がそこにあり、必要ならいつでも使えるということを明確に示している。■

 


Highly Unusual Disclosure Made Of U.S. Ballistic Missile Submarine's Presence In Arabian Sea

BYJOSEPH TREVITHICK|PUBLISHED OCT 19, 2022