2019年5月19日日曜日

事実の記録のため 米イラン緊張の高まりの中でトランプ政権のとった動き

Report to Congress on Current U.S.-Iran Tensions

米イラン緊張状態の現況を米議会に伝える報告書の内容

May 17, 2019 9:56 AM

2019年5月16日付で議会調査部がまとめた米イラン緊張のエスカレーションに関する報告書をお伝えする。

報告書より

米イラン間の緊張がここ数週間で緊張しているのはトランプ政権がイランに「最大限の圧力」をかけるべく施策を実行してきたためでイラン指導部も対応策を発表している。米側の動きにはイラン革命防衛隊(IRGC)の海外テロリスト集団(FTO)への指定、イラン産原油購入国への制裁再開、イラン核開発で認められている部分を援助する国への制裁適用猶予の廃止、イラン産品取引への制裁措置がある。米政府関係者はイランとつながる脅威が米軍及び米国権益に発生する可能性があるため追加軍事力派遣に踏み切ったと説明している。ただし5月16日付け報道ではドナルド・トランプ大統領はエスカレーション回避に外交手段を優先する姿勢だという。


米イラン間の緊張増大に関し議会から追加情報開示を求める声が出ている。議会はより広範な視点で対イラン政策を検討するかイランへの軍事力行使の可能性を検討するだろう。

イランへ圧力をかける政権の動き
イランの経済、行政に圧力を増大すべく政権が示してきた動きを以下列挙する。

  • 2019年4月8日、政権はIRGCを外国テロリスト組織(FTO)に指定し、イラン国会はこれに対し在中東の米中央軍(CENTCOM)及び関連部隊をテロリスト集団と指定する法案を可決した。
  • 2019年5月2日、政権はイラン原油購入への米制裁の適用例外扱いを終了し、イランの原油輸出を「ゼロ」にするとした。
  • 2019年5月3日、政権はイランの自由及び拡散防止法 (IFCA, P.L. 112-239)でJCPOAが認める備蓄上限を超える分のイラン製重水や低濃縮ウラニウムの移動を認めてきた措置を終了した。
  • 2019年5月5日、イランが協調勢力に米軍人や装備集積地を襲撃する準備をさせているとの報道を根拠に国家安全保障担当大統領補佐官ジョン・ボルトンからUSSエイブラハム・リンカン空母打撃群の現地派遣を前倒しするとともに爆撃機部隊もペルシア湾岸に展開すると発表があった。
  • 5月8日に大統領は大統領令13871を発出し政権が指定するイランの鉄、鉄鋼、アルミ・銅製品の取扱が大きい個人団体の在米資産を凍結すると発表。対象製品はイラン輸出のおよそ1割を占めるが、域内企業が製品大部分の仕向地となっており米制裁措置の適用は容易ではない。
報告書全文は hereをクリックしてください。

いざというときに頼りになるデルタフォースはこうして生まれた

The U.S. Army's Delta Force: How This Secret Group of Deadly Soldiers Came to Be 米陸軍デルタフォースはこうして生まれた

陸軍デルタフォースは創設以来30年以上がたち、その間にハリウッド映画数本が製作されたが、今でも一般大衆の眼が届かない最上級の特殊部隊である。ペンタゴンは同部隊の詳細はごくわずかしかあかしておらず、組織の全体像はともかく隊員総数も不明のままだ。
正式には第一特殊部隊作戦分遣隊Dとして陸軍の一部となっており役所仕事のしがらみから脱せず過去の活動記録の一部は公開されている。
米陸軍は当初デルタフォースを「世界各地に展開可能な部隊で国際テロ活動含む重要局面で適切に対応が取れる部隊」として想定していたのが陸軍戦史センター所蔵の1977年の提案説明でわかる。
同センターには陸軍各部隊の出自記録も保存されており、戦史とともに戦功もわかる。これまでの地上戦全てで動員され活躍した部隊を把握している。
だがデルタフォースと海軍のSEALチームシックスの出自を探ると1970年代の政治的波乱状況にたどり着く。当時のワシントンはテロ活動が欧州や中東で激しくなる状況を目の当たりにしていた。
1972年にパレスチナ戦闘員が世界を驚かせた。イスラエルのオリンピック選手をミュンヘンで襲撃したのだ。急進派小集団やバスク民族分離主義派が爆弾テロや暗殺をヨーロッパ各地で繰り広げていた。
そんな中一人の陸軍士官が上部を動かしデルタを創設した。その人の名前はチャーリー・ベックウィズ大佐である。
1960年代にベックウィズは英国の22特殊空挺任務(SAS)連隊に加わりマレーシアにいた。ベックウィズはデルタのヒントをSASから得た。
「今回提案の組織は高度に専門化された部隊として相当の職位の組織として小規模チーム構成で高度訓練を受け、心理的に対応準備ができた隊員で現場判断を下せるものとする」と創設前の資料にある。
こうした目標設定は多分にベックウィズがSAS隊員を参考にまとめたものだ。特に隊員選定方法に好印象を受けた。
「(SAS)連隊とは結局個々人の隊員で構成し、単独になることを楽しめる隊員で自らで考え行動できるものとして強い精神と決意を有するもので構成している」とベックウィズは自叙伝デルタフォースに記したが本人は1994年に死去している。
分析には組織構成案もつき、組織装備表(TOE)とある。陸軍ではこの資料を出発点に配備人員数を決定したり装備品を選定するのが常だ。
デルタフォースも例外ではない。1978年7月時点で正式なTOEがついており将校21名下士官151名とある。
提案の組織は2つにわかれ、事務手続きを担当する部門と実際に作戦投入される部隊だった。状況により医官、情報官、無線通信担当を事務部門から派遣しミッションを実施する。
作戦部門はE分遣隊と呼ばれ20名単位のチーム四個で構成するF分遣隊も指揮下においた。
この呼称は特殊部隊をABCの各分遣隊とする基本構造にならったものだった。12名体制の作戦分遣隊は通常は「Aチーム」と呼び、陸軍のエリート部隊の単位だ。
チームの規模拡大でデルタへ配属される将校が増え、通常の特殊作戦部隊より高位の者が配属された。現在の陸軍歩兵中隊は隊員130名以上が配属で将校は5名に過ぎない。
「作戦の性質上秘匿性が高度で必要とされる特殊技能訓練も高度になるためこの構造が許される」と検討案にある。「必要な能力水準は新兵や任官まもない中尉レベルでは得られにくい」
デルタの将校に大尉未満はいない。下士官では最低でも2等軍曹だ。
F分遣隊の下士官が中心の「実行者」となると検討案は記述。F分遣隊は20名規模のチームであらゆる任務をこなす。
英陸軍のエリート部隊と同様にこうした「組織内戦闘員」は「単独工作員」の行動を求められると検討案は見ていた。
ベックウィズと違い陸軍は特殊部隊隊員は訓練に長時間を使い外国では友軍と共同作戦すべきと考え、強襲作戦の単独実施は想定しなかった。現在でも陸軍特殊部隊は米同盟国と共同作戦体制維持に相当の時間を費やしている。
デルタが当初の組織でいつまで維持されていたかは不明だ。公式戦史は1979年以降の更新がない。
その翌年に同部隊はテヘランでイラン革命以後人質になっていたアメリカ市民の救出作戦に失敗した。強襲作戦は中止され特殊部隊隊員8名が死亡している。
現在の同部隊は高度に訓練を受けた隊員千名程度の構成だろうとNot a Good Day to Die: The Untold Story of Operation Anacondaの著者ショーン・ネイラーが記している。
最近の事例では2014年7月にシリアのイスラム国戦闘員に拉致された米ジャーナリストのジェイムズ・フォーレイ他人質を同部隊が奪還している。ただし翌月にスンニ派過激主義集団がフォーレイを殺害した。

デルタの構成がどうであれ、ベックウィズの遺産が今も影響を与えているのは明らかだ。■

2019年5月18日土曜日

あなたの知らない戦史シリーズ、太平洋戦線で米潜水艦が果たした特殊任務とは



Some of the Top Secret Ways Submarines Helped Win World War II

第二次大戦勝利に米潜水艦が果たした秘密任務とは
Especially in the Pacific.

ニラ湾の夕日は感動的だった。太陽が水平線の下に沈むと空は色を変えていき、ついに暗黒になった。だが1942年1月のUSSシーウルフ乗員には空の変化を楽しむ余裕はない。湾の海底に潜み夜の帳が下りるのを待っており、これで安全に浮上できる。
7:30 pmにフレデリック・ワーダー少佐が下令し潜水艦は静かな海面に現れコレヒドール島に慎重に接近し南ドックに向かった。シーウルフは係留され乗員が貨物を搬送した。対空砲弾36トンで同島の防衛に使う。
真珠湾攻撃から一ヶ月未満で、シーウルフは三回目の戦闘哨戒についていた。同艦が第二次大戦中に米潜水艦隊が実施した300回近くの「特殊任務」の口火を切った。
貨物を下ろすとシーウルフは25名の乗客を乗せジャワ島東部沿岸のスラバヤまで搬送した。ワーダー艦長は自艦がトラック扱いからバスになったと感じただろう。だが乗客はVIPで開戦初頭に航空機移動が不可能になった航空搭乗員を運び新たに戦闘に加わるようにするのが任務だった。
惨憺たる開戦初頭の日々にアジア艦隊所属潜水艦各艦は同様の任務に忙殺されて司令官トーマス・ハート大将がワシントンに文句を伝えたほどだ。「潜水艦が退避や輸送など各種任務に使わされている」とし高官の移動、パイロットの輸送、極秘無線傍受部隊やフィリピンの金銀20トンを搬送した。また弾薬、糧食も詰めるだけ運んでいた。ハート大将は特殊任務のため本来の攻撃任務ができなくなると見ていたがワシントンは気にしていないようだった。
コレヒドールに最後に向かったのは5月3日のUSSスペアフィッシュで27名を収容した。同島は三日後に日本軍に占領された。

巡洋潜水艦と機雷敷設潜水艦
当時の最新鋭「艦隊潜水艦」はディーゼル電気推進式で全長311フィート排水量1,525トンだった。海軍はにはこれを上回る規模の潜水艦が3隻あった。機雷敷設用のアーゴノート、巡洋潜水艦ナーワル、ノーチラスで全長は370フィート以上排水量は4,000トン超で6インチ砲二門を搭載した。1927年から30年にかけての建造で大型で低速の各艦は水中戦に不向きだった。アーゴノートに至っては潜行時間は4分から5分しかなかったといわれる。
戦闘に不適とはいえ3隻は攻撃任務に投入され、艦体の大きさから特殊任務に注目されていた。.
まず1942年夏にノーチラスとアーゴノートが海兵隊員をマキン環礁に次上陸させた。これは、一週間前に全面侵攻が始まったばかりのガタルカナルから敵の注意を逸らす目的があった。海兵隊員252名が両艦の魚雷室に詰め込まれ、魚雷は全部撤去され寝床になった。
8月16日早暁にエバンス・カールソン大佐指揮下の第二強襲大隊はゴム舟艇で沿岸に上陸し日本軍陣地を破壊した。海兵隊員が上陸するとノーチラスは6インチ砲の盲撃ちで砲弾を打ち込み、日本の警備艇1隻と3,500トン輸送艦を沈めた。
ノーチラスと姉妹艦ナーワルは同様の任務に10ヶ月後に投入され、アリューシャン列島強襲作戦で陸軍偵察隊214名をアッツ島に上陸させた。マキン島と同様に大型潜水艦が輸送任務の威力を見せつけた。

フィリピンゲリラ部隊の支援
1943年に特殊作戦は新段階に入った。1月に特殊工作員6名がフィリピン中央部ネグロス島にUSSガジョンにより潜入した。暗号名プラネットパーティとしてイエズス・ビラマー大尉(フィリピンの英雄パイロット)が指揮し、通信傍受体制を確立しダグラス・マッカーサー大将の南西太平洋戦域司令部 (SWPA GHQ)があるオーストラリア・ブリスベーンに情報を伝えるのが任務だった。
ビラマー大尉は現地ゲリラ部隊で武器弾薬が不足する状態を知った。これにGHQが対応し2月にUSSタンバーが装備品70千ポンドと現金1万ドルをミンダナオに搬送した。ブリスベーン司令部ではフィリピン向け定期輸送ルートの創設を検討していた。
ガジョン同様に、タンバーも工作員を搬送し、指揮官はフィリピン通の海軍予備士官チャールズ・パーソンズ少佐で、1921年に現地赴任し、地形に詳しい知識の持ち主で各方面に知己があり広く尊敬を集める人物だった。潜水艦から下船すると少佐は各島の状況を調べ、ゲリラ部隊指揮官と話し、世論を形成した。フィリピン情勢でマッカーサーの耳目となったのだ。
SWPAはその後も人員物資を補給したが、間に合わせの小規模だった。4月にガジョンは4名補給品3トンをパナイ島に搬送した。7月にトラウトが偵察部隊をミンダナオに送り込み、脱走捕虜4名を救出しその四ヶ月後にパーソンズも収容した。
1943年8月20日にパーソンズは長文報告をマッカーサーに送り日本軍占領下のフィリピンの現状を伝え、現地反乱勢力に米国はどう支援すべきかの持論を述べた。そのひとつに潜水艦によるゲリラ部隊への補給支援活動があった。これがGHQで検討され別のフィリピン通コートニー・ホイットニー大佐がマッカーサーの友人として注目し、事態は動き始めた。
スパイロン誕生
それまで海軍はフィリピンゲリラ作戦に潜水艦の常時投入へ及び腰だった。ホイットニーは協力が得られないことに不満を感じ、マッカーサーに本件をフランクリン・D・ローズベルト大統領に直訴するよう勧めた。それでも第7艦隊司令官アーサー・S・カーペンダー中将の説得に6週間かかり、海軍が情報部隊の搬送に携わり沿岸監視体制で日本艦船の動きを把握することになった。情報は哨戒中の潜水艦に貴重な内容となり、カーペンダーは上司のアーネスト・J・キング大将(米艦隊総司令官)にノーチラス級潜水艦をSWPAの隷下に置き二隻を各島への輸送任務に当てるべきとの提言を出し、承認を受けた。
パーソンズ少佐は知見を買われ潜水艦補給のしくみを確立する任務を与えられた。後ろ盾にホイットニーと第7艦隊情報部長アーサー・H・マッコラム大佐がいた。いつの間にか部隊はスパイ戦隊略称スパイロンと呼ばれ、ブリスベーン司令部からパーソンズは現地反抗勢力の伝える物資リストを調整した。物資集積が完了するとオーストラリア北部の港湾都市ダーウィンで潜水艦に搭載された。
ナーワルは同年遅くにスパイロンに合流し整備を受け魚雷発射管を撤去し貨物搭載量を増やしたが、念の為魚雷10本を残した。
1943年10月23日にはUSSナーワルはフランク・D・ラッタ少佐指揮のもとオーストラリアを出港しミンドロ、ミンダナオに向かった。スパイロン初任務で陸軍無線情報チームの二名、貨物92トンさらにパーソンズ少佐を搬送した。補給品は銃火器弾薬手榴弾、無線機、医薬品のほか煙草、潤滑油、軍服、タイプライターリボン、カーボン紙(反抗勢力には立派な行政組織があった)から聖餐用聖餅、宣伝工作資料、チョコレート(包装紙はマッカーサーの’I Shall Return’の文句入り)まで多様だった。
航海は11月10日までは何事もなかった。同日10:35pmに見張員が3隻の艦艇に護衛された日本の油槽船1隻を発見、距離は12千ヤードだった。ラッタ艦長は攻撃を決意し、距離が3,100ヤードまで縮まるのを待ち魚雷四本を発射したが全部外れた。
護衛艦に発見追尾され、1隻が火砲を開いた。ラッタ艦長は全速を命令し、19ノットで(同艦の設計速度は17ノットが最大)でボホール海を通過し距離を広げた。
二日後に同艦はミンドロ島北西沿岸のパルアン湾に到達し貨物半分と陸軍チームを陸揚げした。
ナーワルはミンドロ島北のナシピットへ向かった。狭い港湾での操艦中に座礁してしまう。一時間未満で航行可能となったが日本軍が警戒する水域では乗員には神経が休まらない時間となった。ドックに着くとフィリピン人楽団が「錨を上げて」で歓迎した。
残る貨物の陸揚げには数時間かかったが復路に32名がオーストラリアに戻るため乗艦した。パーソンズはそのままゲリラ部隊に残った。
ナーワルは11月22日にダーウィンへ戻り、三日後にフィリピンに貨物90トン便乗者11名を乗せ出港した。今回は特筆すべき出来事もなく貨物は短時間で陸揚げし、7名の乗客とパーソンス少佐が乗りオーストラリアに12月2日帰港した。今回は退屈な航海とならずラッタ艦長は日本貨物船1隻を襲撃し沈めている。

日本海軍のz作戦指令書類を回収
スパイロンは幸先よい出だしを切った。補給ミッションは4ないし5週間隔で実施された。1944年7月にはノーチラスが加わり輸送力が倍増された。フィリピン大統領マニュエル・L・ケソンからゲリラ支援の強化を求められたローズベルト大統領がノーチラス投入を決めたようだ。8月には小型のシーウルフ、スティングレイもスパイロンに加わった。
スパイロンと別にその他艦も特殊任務でフィリピンに関わった。通常の戦闘哨戒の任務を解かれ緊急脱出任務に投入されることが多かった。1944年3月にはUSSアングラーがパナイに派遣され開戦以来とどまっていた民間人58名を収容したが任務には緊急性があった。日本軍が宣教師と家族17名を虐殺しており、マッカーサーは同島に残る米国民を一刻も早く退避させたかった。
5月にはUSSクレヴェイルがネグロスに派遣され宣教師、民間社員、脱走捕虜40名を収容した。だが同艦の派遣理由は別にあった。一ヶ月前にゲリラ部隊が書類かばんを入手し日本海軍の機密書類多数を見つけた。高官の乗る水上機が墜落していた。反抗部隊がマッカーサーに謎の書類を入手したと無線で伝えた。GHQは潜水艦を急派し回収することとした。クレヴェイルはたまたま一番近い場所にいたのだ。
40名収容は本当のミッションを隠す口実となった。実はナーワルかノーチラスがあと数週間以内に全員を収容予定だった。マッカーサー司令部で書類は翻訳分析された。内容はZ作戦指令で西太平洋防衛の戦闘戦略だった。米軍は情報を利用して6月のサイパン侵攻やフィリピン海海戦を有利に戦った。
スパイロンから救命連盟へ
1945年初頭までにフィリピンの大部分は米軍支配に戻り、スパイロンは解隊され特殊作戦は再び通常の潜水艦作戦の一環として実行された。
中部太平洋での攻勢が1943年末に始まると別の特殊作戦が開始された。日本が占拠する島しょ部への空襲で潜水艦も沖合に配置され墜落機のパイロットを救助した。その後18ヶ月に潜水艦部隊の半数近くが救命連盟と呼ばれた作戦に動員された。中でも一番有名なのがUSSフィンバックが1944年9月にグラマン・アヴェンジャー雷撃機パイロットを救助したことで、ジョージ・H・W・ブッシュ中尉だった。
ヘルキャット
大戦末期の数ヶ月も艦隊潜水艦部隊は特殊作戦に従事した。情報収集チームの上陸は東南アジア各地で展開されたが、1945年4月にティグロンとロックは奇妙なミッションが与えられ、搭載する5インチ砲でルソン海峡にあるバタン島の敵無線交信所の破壊を命じられた。
同じ頃に数隻は新型周波数変調(FM)方式ソナーでの機雷探知実験に投入された。1945年6月にはFM方式装置を導入した潜水艦数隻はヘルキャットと呼ばれ日本海南方を守る機雷原を突破して15日間で28隻を沈めたがUSSボーンフィッシュを喪失した。
潜水艦特殊作戦を最後に実行したのがUSSキャットフィッシュだった。1945年8月15日、同艦はFMソナーで九州沖で機雷を探査していた。一個も見つからなかったが同日の夜遅くに浮上すると無線員が至急電を受信した。「終戦との知らせを受けた」と艦長は日誌に書いた。「通信は全員に伝わった。いまや「いつ帰国できるか」が話題だ」
輝かしい功績
戦後に潜水艦部隊の戦史がまとめられると大きな反響を呼んだ。日本の喪失艦船の55パーセントは潜水艦の功績だった。特殊作戦も大成果だった。哨戒任務の15パーセントが特殊任務関連だった。
パーソンズのスパイロンは貨物1,325トン331名を送り、民間人が大部分の472名を救出した。パーソンズ自身はフィリピンに8回渡っている。1948年にSWPAはスパイロンを総括し「貨物潜水艦による効率の良い輸送の重要性を過小評価気味すべきではない。ゲリラ抵抗活動には『生命線』になった」とした。ナーワルは9回の輸送ののち1945年1月に任務を解かれた。6回輸送したノーチラスは同年4月に本国へ戻った。スパイロンは1隻を喪失した。シーウルフが1944年10月に生存者なく海中に没したが米軍による誤射の可能性が高い。
救命同盟は504名の航空搭乗員の生命を守った。
こうして数百回におよぶ特殊任務で米潜水艦部隊は第二次大戦で各種任務をこなし、乗員は大きな危険にさらされた。だがその努力で太平洋方面の戦闘勝利に大きな役割を果たしたのである。■

Originally Published December 3, 2018.

2019年5月17日金曜日

よくわからない米空軍の軽攻撃機調達への道、もはや関心が薄れてしまったのか

Air Force to give Sierra Nevada Corp. a sole-source contract for light-attack planes, but Textron will also get an award 米空軍はシエラネヴァダコープを単一供給先とする軽攻撃機契約を交付する意向だがテキストロンにも別契約を交付する

レパノン軍が運用するスーパー・トゥカーノ April 11, 2019. (Ibrahim Chalhoub/AFP via Getty Images)



空軍は5月8日にA-29スーパートゥカーノをシエラネヴァダコープエンブラエルから導入する意向と発表した。だがテキストロンのAT-6ウルヴァリンへ懇願書を出していることも認めた。
空軍はシエラネヴァダ=エンブラエル(SNC-Embraer)チームに今月中にも通知し今会計年度内に契約交付する意向だ。
「AT-6は別の調達事業にしたい」と空軍広報官アン・ステファネックがDefense Newsに伝えてきた。ステファネックは各型を2機ないし3機購入しネリス空軍基地(ネヴァダ)で試験する他、特殊作戦部門もハーバートフィールド(フロリダ)で試す意向があるとも述べた。
今年はじめに空軍は軽攻撃機実証は正式な調達事業にする準備ができていないのを認め、テキストロンのAT-6、SNC=エンブラエルA-29は選択肢として残し35百万ドルでテストを2020会計年度まで続けるとしていた。
一部アナリストや議会関係者は空軍の進め方があまりにも遅いことを批判しており、事業を中止するつもりなのかとの疑いを強めているが、議会には新型攻撃機調達に乗り気な動きがある。
ただし空軍参謀総長デイヴ・ゴールドフェイン大将は実証テストにより軽攻撃機の性能を空軍や外国部隊のニーズに合わせ現実的にできると主張。同大将は調達決定は22年度ないし24年度にしたいとも付け加えた。
「海兵隊からも加わりたいとの声がある」とゴールドフェイン大将は述べ、「同盟国や協力国も招き入れ、いただいた権限により試作機を入手しておりテストを続けて共同運用に向けたネットワークを拡充させていきたい」
軽攻撃機は「安価かつ既存機種で世界規模で活躍できる非正規戦環境に投入可能な機材で過去25年の実戦経験から必要とされるものだ。さ空軍特殊作戦軍団 (AFSOC) でも近接戦闘航空支援で活用できる機材になる」と空軍は説明してきた。
空軍によればAT-6及びA-29調達予算は160百万ドルの試算で議会は2016年の事業発足以来200百万ドルを認めてきた。■

なんかやる気がない感じまんまんなのですが、当方が注目していたテキストロンのスコーピオンは全く目がありませんので関心も低下sておりました。中国との対決を念頭におく空軍にとってもはやアフガニスタンやイラクの戦場で痛感された低強度戦用の小型機など大切な予算を食いつぶす邪魔な存在にすぎないのかもしれません。

2019年5月16日木曜日

★米国がMiG-29を一度に29機入手した事情とは

The Secret Story of How America Got Its Hands on 29 Russian MiG 29s

Wow.
May 8, 2019  Topic: Security  Region: Europe  Blog Brand: The Buzz  Tags: U.S. IntelligenceU.S. MilitaryRussiaCIAMiG 29
連が崩壊した1991年遅く、新たに独立した各国に赤軍の膨大な装備品の山が残されていた。
なかでも小国モルドバ共和国の空軍の事例が最も興味を引く。同国にはMiG-29フルクラム34機、Mi-8ヒップヘリコプター8機その他輸送機数機が残された。小国にしては相当の陣容だ。モルドバの総人口はは355万人しかない。
だがモルドバにこれだけの機材を維持する余裕がなく、さらに経済は不況に入っていた。一方で米国はモルドバがMiG-29をイランへ売却しイラン空軍戦力が増強するのを恐れていた。またモルドバから技術がイランの競合国に渡るのも気がかりだった。
そこで1997年に米国はMiG-29入手を図った。その際に使った最強のツールは...金銭だった。米政府はMiG-29を21機購入し、うち14機がC型で、B型1機、A型6機の構成だった。C-17輸送機で各機をオハイオ州デイトンに搬送した。
これにより同機をテヘランが入手するのを防ぎ、米国にソ連製戦闘機で最高性能の機材を検分する機会がうまれた。モルドバには人道援助40百万ドルのほか、陸軍用トラック他非殺傷装備が手渡された。
モルドバは残る機材はエリトリアとイエメンに売却した。米国に移ったMiG-29は訓練部隊や情報機関のほか米空軍の「開発拠点」に配属され国民の目から隠れたとAir & Space Magazineが伝えている。
MiG-29は当時としては操縦性に優れた威力の高い機体だった。アーチャーAA-11ミサイルは1990年代で目標ロック機能がありヘルメット搭載の標的照準装置で機体進行方向と反対にも飛ぶ点で米製装備より優れていた。ただしペンタゴンがAIM-9Xミサイルを2003年に導入し、あわせてヘルメット搭載ディスプレイも登場させたので優位性は消えた。
フルクラムはエイビオニクスや情報管理装備が貧弱でパイロットは外部情報をわずかしか把握できす、紙地図を見て自機位置を把握する始末だった。総じてMiG-29は航空技術面で優秀だったとはいえ21世紀に入るとアップグレードがないまま急速に陳腐化した。
ところで1997年には別の国もMiG-29を入手している。イスラエルで、3機の単座フルクラムを国名非公開の東欧諸国から数週間借り上げた。
ロシアからアラブ諸国へ渡った戦闘機でMIG-29が最高性能機材だったためイスラエルは喜んでこの機会を活用し同機の性能評価をしたはずだ。MiG-29はイラクからその後シリアに納入されている。.
イスラエルのテストパイロットは同機に深く感銘した。普段から慣れ親しんだ米製機材と異なりMiG-29操縦は楽だった。パイロットに代わりコンピュータが着陸させてる機能も特筆ものだった。
「パイロットがヴァーティゴで上下感覚がなくなっても機体を安定させる」機能がシステムにあった。「西側に同様装備はなく、あくまでもパイロットに状況判断させる西側設計設計思想との違い」を見たという。
テストパイロットの一人はフルクラムの性能は「F-15やF-16と同等かそれ以上だ。操縦性に優れエンジンの重量推力比は高い。空戦ではこの機体に気をつけないといけない。訓練を積んだプロの手にかかれば手強い相手になる」
米国は同機の評価を進めながらイランに空軍力拡充させなかった。現在はMiG-29運用国は世界各地に広がり、東欧、中東、南アジアが中心だ。
ポーランドは米製F-16とフルクラムを併用している。イスラエルが2011年にポーランド運用中のMiG-29の補修、近代化改修契約を請け負ったのは興味を引く。イスラエルがフルクラムをどこから調達したかは今でも不明だ。■
This piece first appeared in WarIsBoring here.
Image: Creative Commons.

2019年5月15日水曜日

韓国イージス艦は北朝鮮ミサイルのレーダー追跡を完了できなかった

コメントは下にあります。

Report: Radar in South Korea network could not track missiles 韓国レーダーは北朝鮮ミサイルを追尾できなかった


北朝鮮はロシアのイスカンデル短距離核搭載可能弾道ミサイルと似たものを発射した。Photo by KCNA/UPI | License Photo

週実施された北朝鮮のミサイルテストで早期警戒体制を強化しているはずの韓国が探知したのはその一部のみとの現地報道が出ている。.
EDailyの5月13日記事で、ピースアイ早期警戒統制機やイージス艦で発射後のミサイルを探知できなかった可能性がある。韓国軍当局はイージス駆逐艦がミサイルを追尾できなかった原因を「現在調査中」だという。
ミサイルは韓国空軍の早期警戒レーダーが主に追尾しグリーンパインミサイル防衛レーダー装備がその中心と思われる。
今回の記事の前に韓国統合参謀本部が「車両」が発射地点を移動する字状況を把握いていたと発表していた。
韓国国会議員Lee Eun-jaeは5月10日に地上走行車両の動きを探知できたのは発射数分前だったと述べた。
だが13日に韓国軍当局はLee議員の言及に触れ北朝鮮の動きを探知したのは発射前ではなく発射後一分の時点だったと訂正している。
韓国のピースアイ機材は2011年から供用開始し4機が在籍するが一機は補修作業中だ。
北朝鮮が発射したミサイルは260マイル、170マイルそれぞれ飛んだ。発射地点は北西部のKusongだった。
News 1は5月13日に韓国軍の話として飛翔体分析はまだ終わっていないとし、一方で韓国内外の専門家は今回発射されたミサイルはロシアのイスカンデル短距離核運用可能弾道ミサイルとの見方でほぼ一致している。
Kyungnam University(慶南大学)のKim Dong-yupは今回発射されたミサイル2月28日の北朝鮮軍パレードで登場していた装備と同じと述べた。
同ミサイルは射程370マイルで迎撃手段を回避できるといわれる。■

韓国軍、なんとなく頼りない感じですね。
まさか韓国軍まですっかり政権の影響を受けて北朝鮮に対する警戒心を説いてしまっているはずはないと思いますが、いざというときに役立たないのなら軍のあり方を根本的に問い直す必要があるのではないでしょうか。では日本や米国はどこまで探知追尾していたのかは未だ不明ですが、肝心な情報は公開しないはずなので誰にもわかりません。

ところで未だに飛翔体と言葉を濁している向きがありますが、ミサイルなのでミサイルとちゃんと呼びましょう。

2019年5月14日火曜日

J-20機首部分の写真からわかる同機の性能と運用思想


What Do These Close-Up Pictures of China's J-20 Stealth Fighter Tell Us?

May 5, 2019  Topic: Security  Blog Brand: The Buzz  Tags: ChinaJ-20Stealth FighterStealthPLAAF

2018年8月1日の人民解放軍創設日に中国は次世代戦闘機J-20の高解像度写真のウェブ公開を黙認した。
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As usual, photos of J-20 are posted online to celebrate the Army Day on 1 Aug.


今回のJ-20画像で機体の様子がよくわかる。なかでもセンサー形状がロッキード・マーティンがF-35ライトニングIIに搭載する電子光学式目標捕捉装置(EOTS)と酷似していることに注目だ。.
これには理由がある。2007年の事、ロッキード・マーティンはサイバーで中国ハッカー集団にF-35関連の技術文献を盗まれ対応に迫られた。その際の詳細はエドワード・スノーデンが暴露しており、航空技術における中国の技術窃盗で氷山の一角と言われる。2017年にも中国ハッカー集団はオーストラリアのF-35契約企業にねらいをつけ更に多くの情報を盗み出している。
ロッキード・マーティンとJ-20の装備の相違点は少ないが、J-20の装備が機首下についていることから同機な想定任務が長距離対地攻撃と迎撃の双方だと思われる。ただしJ-20のEOTSはF-35より性能が劣るようだ。それはJ-20のEOTSの配置位置と大きさからわかる。
J-20は秘密のベールに覆われているもののエンジンはSu-27と同じAL-31F双発なのは確実だ。だが国産(信頼性は低い)WS-10Bへの換装もありうる。ロシア製エンジンが入手難であり、より強力なWS-15が慣性するまでのつなぎかもしれない。またJ-20にはF-22のステルス形状と似る点もあり、内部も同様かもしれないが、主翼や空気取り入れ口は独特のものだ。さらにJ-20は全域ステルスではない。インド空軍はSu-30MKIの電子スキャンレーダーでJ-20追尾に成功したと主張している。
J-20は部隊配備が始まったといわれるが、J-15艦載機で発生した問題を見ればF-22に対抗する同機は中国が宣伝するような完全装備の万能戦闘機と程遠いのかも知れない。前にもあった話のように聞こえないか。■