スキップしてメイン コンテンツに移動

あなたの知らない戦史シリーズ⑤ イスラエル存続を決めた旧ドイツ機の奇妙な物語

コメントは下にあります。

The Strange Story of How Nazi Fighter Planes Save Israel

イスラエルを救った旧ナチの戦闘機

June 11, 2019  Topic: History  Region: Middle East  Blog Brand: The Buzz  Tags: Nazi Fighter PlanesIsraelIsraeli-Arab WarEgyptPalestine

1948年5月イスラエルが英国植民地支配から独立を宣言した直後に周辺アラブ各国との戦闘が始まった。イスラエルが最初に装備した戦闘機はかつてユダヤ民族撲滅を狙った国のものだった。
ドイツのメッサーシュミットBf. 109(後にMe. 109へ改称)は1937年にスペイン内戦へ投入された時点では最先端の戦闘機だった。フランコ総統の国民党政府の支援でドイツ人パイロットが操縦するBf.109はスペインの制空権を確保しファシスト勢力の爆撃機の邪魔者を排除した。
Bf.109Eは20ミリ機関砲と新型ダイムラー・ベンツ601エンジンを搭載し時速354マイルと高速化された。ポーランド侵攻やフランスの戦いで敵機を駆逐した。
だがバトル・オブ・ブリテンでの英空軍スピットファイヤとの対決ではじめて大きく敗北した。
1942年に入ると両陣営に優秀な新型戦闘機各種が戦場に登場し、109も改修を受けながら終戦に至った。機体の多くが産業化の進んだチェコスロバキアで生産された。同国はナチ・ドイツが1938年に併合していた。ドイツ敗戦後にチェコは109をアヴィアS-199として生産再開した。。
チェコはダイムラー・ベンツ605エンジンの在庫を活用しようとしたが、工場火災でエンジンが使えなくなり、代替策を模索した。結局、ナチ・ドイツのハインケル-111双発爆撃機用のユモ211Fエンジンの在庫を活用することにした。
211Fは戦闘機用エンジンの設計ではない。109の機体に搭載すると問題が連続発生した。出力不足に加え、109が機首に搭載する機関砲と相性が悪く、チェコはMG 151機関砲を主翼下に搭載したがS-199の飛行性能は低下した。
チェコはS-199を532機生産し、チェコ空軍が10年間供用しメゼク(ロバ)の名称がついたのは取り回しがやっかいな性質があったためだ。
パレスチナでは
帝政ロシアの1880年代に激しい反ユダヤ政策があり、欧州のユダヤ人はパレスチナへ移民を開始し、シオニスト運動の一環となりユダヤ社会にナショナリズムが強まった。
移民ユダヤ人はそれまでアラブのイスラム教徒キリスト教と共存していた中東のミズラヒ・ユダヤ社会に加わった。
ユダヤ人口が増えて現地アラブ社会と緊張が高まり、アラブ、ユダヤで領地の取り合いが始まった。当時のパレスチナは英国統治下で、対立の緩和政策が逆に両陣営に不満を募らせた。
流血の衝突が発生するとユダヤ側に民兵組織ハガナが誕生し、最大規模集団をデイビッド・ベンーグリオンが指導した。もっと強硬な集団イルグンをメナヘム・ベギンが率い、過激集団レヒも生まれた。
第二次大戦後に各集団はゲリラ戦で帝国支配に挑み、英軍は1947年にキング・デイビッドホテル襲撃事件を受け同地から撤退した。国連決議でユダヤ、アラブ両勢力の分離を求めたことを受けベン-グリオンは新国家イスラエルの誕生を1948年5月14日に宣言した。
英仏両国は中東地区で脱植民地の動きに出ており、新たに独立したエジプト、ヨルダン、イラク、シリアがイスラエル軍に挑戦してきた。各国はイスラエルを非合法国家と見なしていた。
エジプトは英国から大量の軍事装備を引き継いでおり、スピットファイヤがイスラエル占領下の飛行場を銃撃しはじめ、C-47輸送機を爆撃機に改装しテルアビブを空襲した。
発足したばかりのイスラエル国防軍はハガナ戦闘員を引き継ぎ国家誕生の前から空軍部隊を編成していた。
ハガナは軽量民間機のパイパーカブをシェルートアビール「航空隊」に編入し偵察のみならず爆撃も行っていた。パイロットは爆薬や手榴弾を膝にはさみコックピット横から投下した。もちろんこのまま続けることは無理があった。
海外に展開するイスラエル工作員では軍事装備購入は困難だった。武器禁輸措置のためだ。そこでオットー・フェリックスがチェコ武器商社にアヴァイS-199の売り物をみつけ、価格は当時としては高額の一機18万ドルもし、今日の価値では180万ドルに相当する。価格には機体、弾薬、引き渡し、飛行教習も含まれ、当時のイスラエルパイロットには軍用機操縦の経験が皆無に近かった。
まず10機、その後15機と発注していった。イスラエルにはより高性能のP-47サンダーボルトをこれより低価格で提示があったものの買い取りを拒否している。
新生空軍部隊にはパイロット、整備士がともに不足していたのでその場しのぎで志願者、冒険好き、低報酬の傭兵をかき集めた。
第一次戦役でのイスラエル空軍に加わった609名でイスラエル生まれは181名、米国出身が182名、南アフリカ80名、カナダ、英国が各50名程度だった。残りはその他国の出身者で全体の8割りがユダヤ人だった。
1948年5月6日、志願兵の二名、ハガナのパイロット8名がチェコに向かい、S-199の飛行教習を開始した。
テルアビブを救ったガタガタの4機
5月18日、エジプト軍のC-47がテルアビブ中央部のバスターミナルに爆弾を投下し死亡42名負傷者100名超の惨事となった。
教習中のイスラエル軍パイロットは帰国を前倒しで求めてきた。チェコ教官は基本戦闘訓練も修了していないので反対し、経験がなく安全飛行もままならないと諭した。だが志願パイロットたちは中東に移動してしまう。
S-199のフェリー飛行は禁輸措置の為不可能だったので機体は分解され、C-46コマンド輸送機で二回にわけ空輸された。まずコルシカへ飛び、エクロン(現テル・ノフ航空基地)へ移動させるバラク作戦が5月20日に始まった。
あたかもその後の前兆のごとく、S-199一号機は5月23日に全損となった。C-46輸送機が霧の中で着陸に失敗し機内で破損したためだ。これとは別に199を積んだ輸送機が禁輸違反で差し押さえられた。
5月29日にS-199第一陣の組み立てが終わり、新編成101飛行隊が生まれた。ノックオフ機材だったが機体名メッサーシュミットはメッサの略称がつきヘブライ語で「ナイフ」の意味があった。
そのころエジプト軍2,300名がトラックでテルアビブに向かっており、装甲車両とマティルダ戦車、マークVI戦車を伴っていた。部隊はアシュドッドで停止し、橋の破損でイスラエル首都からわずか30キロ地点で足止めを食った。橋を修理し翌朝にテルアビブ占領に向け出発しようとしていた。
飛行テストの時間もないままアヴィア4機が戦闘に投入された。パイロットには英空軍での実戦経験を有するエゼル・ワイツマンやモデチャイ・アロンの他、米海兵隊で沖縄戦に加わったペンシルヴァニアのユダヤ系ルー・レナートがおり、残る一機には南アフリカ空軍出身のエディ・コーエンが乗っていた。各機は小型154ポンド爆弾二発を搭載した。
エジプト軍車輌を見つけるとS-199四機編隊は40ミリ対空砲の射撃をものともせず突入し、三回にわたり通過飛行し爆弾投下し機関銃掃射を試みたがすぐに機関砲が弾づまりし長くつづけれなかった。
コーエンの乗機は対空砲火を浴びたらしくハツォ航空基地近くに炎に包まれ墜落した。アロン機はエアブレーキが故障したが着陸に成功したものの翼端で地面に溝を作ってしまった。
101飛行隊公式史にある「病的な小規模攻撃」でイスラエル空軍は2機喪失しパイロットも一名失ったのだった。
だがエジプト軍は進軍を止め、空からの攻撃におじけづいてしまった。「敵機の猛攻を受け、分断された」とカイロへ連絡が入った。
エジプト軍はその後も空襲をうけるものの6月2日にはイスラエル軍の反抗を斥けている。ただし、テルアビブへの進軍はそれ以降は行っていない。
小規模攻撃ではあったが「現在のイスラエルの存在」に道を開いたという人もいる。エジプト軍部隊の後退が戦役で展開点になったとの解釈もあるが、エジプト軍にテルアビブ侵攻の意図が本当にあったかは不明だ。
とはいえS-199の姿にはインパクトがあり、真価を試される場面が再びやってきた。
翌朝はアヴィア2機でイラク軍隊列に機銃掃射をしたがワイズマン機のコックピットに鳥一羽が衝突、ミルトン・ルーベンフェルド機もエジプト軍と空中接触で重大な損傷を受け機外脱出したものの住民がエジプト軍パイロットと勘違いしあやうく命を落とすところだった。.
5月30日にエジプト軍スピットファイヤが未完成199の2機に機銃掃射したため飛行隊は一週間後にヘルズリヤの新設基地に後退した。
6月3日にはモディ・アロンがテルアビブ上空を飛行するエジプト軍C-47の2機をスピットファイア機の護衛付きで見つけた。16回目の空襲だった。編隊に向け降下しスピットファイアを追い散らしてからC-47を2機とも撃墜した。イスラエル空軍初の空中戦戦果となった。
その後、テルアビブ空襲は下火となった。米人バイロット2名は地元民のワイン、チョコレートのもてなしを受け、ロゴをデザインしてこれが今も残る戦闘機パイロットのヘルメットをかぶった翼のついた骸骨マークだ。
6月8日には米国人マシャル・ギデオン・リクトマンとアロンがエジプト軍スピットファイアと交戦し、偶然にも8年前の英国での戦闘を再現した。リクトマンが一機を撃墜した。

取扱が大変だった機体


6月11日に国連が停戦を求めてきた。イスラエルにとってはアヴィア5機を追加する時間が生まれ、うち一機は損耗機と交替した。その他にもP-51マスタング2機、B-17爆撃機2機をプエルトリコ経由で密輸入した。休戦は一ヶ月で終わり空戦はさらに続いた。
7月6日にはモーリス・マンのS-199がキブツを爆撃中のシリア軍T-6テキサン練習機を撃墜したが、ウィングマンのライオネル・ブロックがもう一機のテキサンを追撃中にゴラン高原に墜落している。シリア戦史ではテキサンの後部銃手が撃墜したことになっている。
二日後にエジプト軍のエル・アリシュ航空基地への機銃掃射で米人ボブ・ヴィックマンのメッサは海上墜落したが対空砲火によるものか自機の機関銃がプロペラを破壊したためとみられる。
7月18日にはアロンは撃墜三機目となるスピットファイアを落としたが、航空団司令サイード・アフィ・アル・ジャンズリの乗機だった。
だがイスラエル空軍パイロットへの最大の脅威は敵戦闘機や対空砲火でなくアヴィア自体だと判明した。
S-199の降着装置は狭い配置のため着陸時に安定性が低く、転回してやすい問題はBf. 109時代から変わっていなかった。隣国イエメンの農夫にはひっくりかえったアヴィアの姿は日常茶飯事になった。問題を悪化させたのはキャノピーが横方向にロックされパイロットが自力で開放できないことだった。
MG.151機関砲も弾づまりを頻発した。機首の13ミリMG 131機関銃は同調機構が故障となることが多く理由は不明だった。この場合、アヴィアパイロットは自機のプロペラを破損してしまう。
もともと大型爆撃機用のプロペラは大型でトルクが左偏向して離着陸が危険になった。S-199の事故率は非常に高くイスラエルパイロットの間でアヴィアの着陸時に成功するか賭けが流行したほどである。アヴィアを別の機体と一緒に飛ばす際は、着陸に失敗して生まれる機体破片で他機に支障がないようアヴィアの着陸は必ず最後とされた。
S-199は整備性も悪く、25機あっても稼働可能機が4機以上そろうことはなかった。志願整備士では同機の油圧系統に有効な対応は難しく、危険なオーバーヒートを招くエンジンも同様だった。
7月18日に国連は二回目の停戦を命じた。両陣営とも交渉する気はなく、狂ったように兵力を募集し停戦中に再整備、装備を調達するのだった。イスラエル工作員はスピットファイヤIX型50機の契約をまとめた。高性能の同機は単価わずか23千ドル(2016年価格では230千ドル)で1948年9月に同国に到着し始めた。停戦二回目が10月15日に終了すると新型スピットファイアでイスラエル空軍は航空優勢を確立した。
ただし、事故の続発でパイロットにも犠牲が生まれた。10月15日、飛行隊司令になったモデチャイ・アロンのS-199にエンジントラブルが発生し着陸時に着陸装置が降りなくなった。
エンジンから白煙を吐きながら199は突如として機首を下げ滑走路に激突し炎に包まれた。妊娠中のアロンの妻は恐怖の念で様子を見ていた。
同日中にあと2機のアヴィアが着陸に失敗しもう一機は対空砲火による損傷を受け胴体着陸した。
ローマで差し押さえ処分だったS-199最終号機が到着したのは11月で、S-199はその後も戦闘に投入された。11月には離陸に失敗し全損となった機体もあり、12月にはプロペラを損傷した機体がかろうじて生還している。101隊はラマト・ディヴィッドで同年冬に再編成されたが新司令はチェコ製戦闘機の供用を中止した。
1948年のアラブ-イスラエル戦は1949年3月に終了した。翌年にイスラエル軍は旧型機の用途廃止を決定した。
アヴィア199は25機のうち、敵砲火で5機を喪失、6機は着陸の失敗で喪失、3機は離陸時の転覆で喪失し、一機は自機プロペラの射撃で墜落したと見られ、別の一機はコックピットを鳥と衝突し、2機は輸送中に喪失した。これ以外に補修可能な程度の損傷が発生している。
ワイズマンはその後もスピットファイアに機種を変えて実績を重ねた。1949年1月7日には中立のはずの英軍テンペスト戦闘機隊を故意に攻撃して撃墜したとの嫌疑がかけられた。その後国防大臣になり、1993年から2000年まで大統領を務め、在任中はパレスチナ自治区の平和形成を強く求めた。
今日では101隊はF-16をハツェリム航空基地で運用している。S-199で唯一の残存機はイスラエル空軍博物館に展示されている。■
This article by War is Boring originally appeared at War is Boring in 2016.
Image: Wikimedia
イスラエルが国連決議を度々無視するのはこうした経緯もあるのですね。イスラエルについてはついこちらも気持ちが高揚させられるのはなぜでしょう。自分たちの未来を自分で確保しないといけないのがユダヤ民族の宿命なのでしょう。

コメント

このブログの人気の投稿

漁船で大挙押し寄せる中国海上民兵は第三の海上武力組織で要注意

目的のため手段を択ばない中国の思考がここにもあらわれていますが、非常に厄介な存在になります。下手に武力行使をすれば民間人への攻撃と騒ぐでしょう。放置すれば乱暴狼藉の限りを尽くすので、手に負えません。国際法の遵守と程遠い中国の姿勢がよく表れています。尖閣諸島への上陸など不測の事態に海上保安庁も準備は万端であるとよいですね。 Pentagon reveals covert Chinese fleet disguised as fishing boats  漁船に偽装する中国軍事組織の存在をペンタゴンが暴露   By Ryan Pickrell Daily Caller News Foundation Jun. 7, 3:30 PM http://www.wearethemighty.com/articles/pentagon-reveals-covert-chinese-fleet-disguised-as-fishing-boats ペンタゴンはこのたび発表した報告書で中国が海洋支配を目指し戦力を増強中であることに警鐘を鳴らしている。 中国海上民兵(CMM)は準軍事組織だが漁民に偽装して侵攻を行う組織として長年にわたり活動中だ。人民解放軍海軍が「灰色」、中国海警が「白」の船体で知られるがCMMは「青」船体として中国の三番目の海上兵力の位置づけだ。 CMMが「低密度海上紛争での実力行使」に関与していると国防総省報告書は指摘する。 ペンタゴン報告書では中国が漁船に偽装した部隊で南シナ海の「灰色領域」で騒乱を起こすと指摘。(US Navy photo) 「中国は法執行機関艦船や海上民兵を使った高圧的な戦術をたびたび行使しており、自国の権益のため武力衝突に発展する前にとどめるという計算づくの方法を海上展開している」と同報告書は説明。例としてヘイグの国際仲裁法廷が中国の南シナ海領有主張を昨年7月に退けたが、北京はCMMを中国が支配を望む地帯に派遣している。 「中国は国家管理で漁船団を整備し海上民兵に南シナ海で使わせるつもりだ」(報告書) 中国はCMMはあくまでも民間漁船団と主張する。「誤解のないように、国家により組織し、整備し、管理する部隊であり軍事指揮命令系統の下で活動している」とアンドリュー・エリク...

海自の次期イージス艦ASEVはここがちがう。中国の055型大型駆逐艦とともに巡洋艦の域に近づく。イージス・アショア導入を阻止した住民の意思がこの新型艦になった。

  Japanese Ministry of Defense 日本が巡洋艦に近いミサイル防衛任務に特化したマルチロール艦を建造する  弾 道ミサイル防衛(BMD)艦2隻を新たに建造する日本の防衛装備整備計画が新たな展開を見せ、関係者はマルチロール指向の巡洋艦に近い設計に焦点を当てている。実現すれば、は第二次世界大戦後で最大の日本の水上戦闘艦となる。 この種の艦船が大型になる傾向は分かっていたが、日本は柔軟性のない、専用BMD艦をこれまで建造しており、今回は船体形状から、揚陸強襲艦とも共通点が多いように見える。 この開示は、本日発表された2024年度最新防衛予算概算要求に含まれている。これはまた、日本の過去最大の529億ドルであり、ライバル、特に中国と歩調を合わせる緊急性を反映している。 防衛予算要求で優先される支出は、イージスシステム搭載艦 ( Aegis system equipped vessel, ASEV) 2隻で、それぞれ26億ドルかかると予想されている。 コンピューター画像では、「まや」級(日本の最新型イージス護衛艦)と全体構成が似ているものの、新型艦はかなり大きくなる。また、レーダーは艦橋上部に格納され、喫水線よりはるか上空に設置されるため、水平線を長く見渡せるようになる。日本は、「まや」、「あたご」、「こんごう」各級のレーダーアレイをできるだけ高い位置に取り付けることを優先してきた。しかし、今回はさらに前進させる大きな特徴となる。 防衛省によると、新型ASEVは全長約620フィート、ビーム82フィート、標準排水量12,000トンになる。これに対し、「まや」クラスの設計は、全長557フィート強、ビーム約73フィート、標準排水量約8,200トンだ。一方、米海軍のタイコンデロガ級巡洋艦は、全長567フィート、ビーム55フィート、標準排水量約9,600トン。 サイズは、タイコンデロガ級が新しいASEV設計に近いが、それでもかなり小さい。Naval News報道によると、新型艦は米海軍アーレイ・バーク級フライトIII駆逐艦の1.7倍の大きさになると指摘している。 武装に関して言えば、新型ASEVは以前の検討よりはるかに幅広い能力を持つように計画されている。 同艦の兵器システムの中心は、さまざまな脅威に対する防空・弾道ミサイル防衛用のSM-3ブロックII...

次期高性能駆逐艦13DDXの概要が明らかになった 今年度に設計開始し、2030年代初頭の就役をめざす

最新の海上安全保障情報が海外メディアを通じて日本国内に入ってくることにイライラしています。今回は新型艦13DDXについての海外会議でのプレゼン内容をNaval Newsが伝えてくれましたが、防衛省防衛装備庁は定期的にブリーフィングを報道機関に開催すべきではないでしょうか。もっとも記事となるかは各社の判断なのですが、普段から防衛問題へのインテリジェンスを上げていく行為が必要でしょう。あわせてこれまでの習慣を捨てて、Destroyerは駆逐艦と呼ぶようにしていったらどうでしょうか。(本ブログでは護衛艦などという間際らしい用語は使っていません) Early rendering of the 13DDX destroyer for the JMSDF. ATLA image. 新型防空駆逐艦13DDXの構想 日本は、2024年度に新型のハイエンド防空駆逐艦13DDXの設計作業を開始する 日 本の防衛省(MoD)高官が最近の会議で語った内容によれば、2030年代初頭に就役開始予定のこの新型艦は、就役中の駆逐艦やフリゲート艦の設計を活用し、変化する脅威に対し重層的な防空を提供するため、異なるコンセプトと能力を統合する予定である。  防衛装備庁(ATLA)の今吉真一海将(海軍システム部長)は、13DDX先進駆逐艦のコンセプトは、「あさひ」/25DD級駆逐艦と「もがみ」/30FFM級フリゲート艦の設計を参考にすると、5月下旬に英国で開催された海軍指導者会議(CNE24)で語った。  この2つの艦級は、それぞれ2018年と2022年に就役を始めている。  13DDX型は、海上自衛隊(JMSDF)が、今吉の言う「新しい戦争方法」を含む、戦略的環境の重大かつ地球規模の変化に対抗できるようにするために必要とされる。防衛省と海上自衛隊は、この戦略的環境を2つの作戦文脈で捉えている。  第一に、中国、北朝鮮、ロシアが、極超音速システムを含むミサイル技術、電子戦(EW)を含むA2/AD能力の強化など、広範な軍事能力を急速に開発している。第二に、ウクライナにおけるロシアの戦争は、弾道ミサイルや巡航ミサイルの大規模な使用、EWやサイバー戦に基づく非対称攻撃、情報空間を含むハイブリッド戦争作戦、無人システムの使用など、新たな作戦実態を露呈したと説明した。  新型駆逐艦は、敵の対接近・領域拒否(A2/A...