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歴史に残る機体17 ノースアメリカンF-100スーパーセイバー

歴史に残る機体17 F-100スーパーセイバー

こうやって見ると航空機の歴史はいろいろわからない事象に果敢に挑戦した先人の苦労でいっぱいだとわかります。またA型で成功した機材は以外に少なく、以後BCD...と続いて改良され傑作機といわれるようになったのがわかります。F-100は傑作機とは言えないでしょうが歴史に残る機体でしょうね。台湾の話が出てきますが、実は日本でも一時採用候補になっていたのでは。しかし最後はCAS任務についたというのは悲しいですね。


The F-100 Super Sabre Was the Air Force’s First Supersonic Jet F-100スーパーセイバーは米空軍初の超音速ジェット機And workhorse of the Vietnam War. そしてヴィエトナム戦で大活躍した




1947年10月14日、オレンジ色塗装のベルX-1をチャック・イエーガーが操縦し水平飛行で初の音速飛行を達成した。X-1はロケット推進で実験機だったが、ジェットエンジン技術が進展し超音速戦闘機の実現が見えてきた。

ノースアメリカン社は独自に朝鮮戦争時の最殊勲戦闘機F-86セイバーを超音速機に変えようとしていた。セイバーの主翼後退角は35度で高速飛行に適し機首に大型空気取り入れ口があった。F-100「スーパー」セイバーでは主翼が45度になり、機首空気取り入れ口は整形され楕円形になった。1950年代の最新戦闘機「センチュリーシリーズ」一号機としてF-100には「ハン」のニックネームがついた。100(ハンドレッド)の短縮形だ。

搭載するJ-57-P-7ターボジェットにアフターバーナーがつき、燃料を直接テールパイプに放出した。燃料が大量消費されるがF-100は高高度で時速850マイルの超音速を実現し、F-100でスピード記録が数点生まれた。

空軍は同機を採用しF-100Aが1954年10月に就役した。ただし事故が多発し、空中分解でエースパイロットのジョージ・ウェルチが死亡するなど災難が続き全機飛行停止措置が必要となった。不安定な飛行や制御不能なヨーは小さすぎる尾翼が原因と判明した。

これは解決したがハンには別の問題もあった。高速飛行可能で20ミリ機関砲M-39を四門搭載したものの同機の設計思想は一時代前のままで、空対空ミサイル、長距離レーダーは未搭載で航続距離の短さは落下タンクで補っていた。事故多発のF-100Aは1958年までに順次撤去された。
RF-100Aは高速偵察機としてカメラ四台を機関砲の代わりに搭載し、原型機より成功したと言える。ドイツ、日本へ配備された同型機は東ヨーロッパやおそらく中国北朝鮮の上空50千フィートからスパイ飛行を行った。当時撮影された画像では迎撃機が遥か下方で懸命に追いつこうとしている様子が残っている。高高度偵察飛行は1956年に登場したU-2が交代した。

その後登場したF-100C戦闘爆撃機(476機製造)では主翼を大型化かつ強化し、エンジンも強力なJ-57-P21に換え最高速度は924マイルになりパイロン6箇所に6千ポンドを搭載した。さらに燃料搭載量が二倍になり主翼上に空中給油用プローブがついた。これによりF-100Cは単発機として当時最長距離のロサンジェルス・ロンドン間を1957年5月13日に14時間で飛行している。サンダーバード飛行展示隊がF-100Cを1956年採用し、来場者をソニックブームで驚かしたがその後FAAがこれを禁じてしまった。

F-100Dは1,274機製造され主翼尾翼が大型化されレーダー警報装置もつき、ハードポイントが追加され、AIM-9B熱追尾空対空ミサイルを運用できるようになった。C型D型ともにナパーム弾、ズーニ2.75インチロケット弾、クラスター爆弾、AGM-45ブルパップ初期型、AGM-83空対地誘導ミサイルが搭載可能だった。

NATO配備のF-100飛行隊では戦術核爆弾四種類の運用に備えた。だが高速低空飛行する戦闘爆撃機が自機が投下した核爆弾の爆風から逃げられたのか。通常兵器でも同じ危険があったが。

ハンパイロットは「肩越し」のトス投下で超音速機をバレルロールで上昇させた。ハンのMA-2低空爆撃装置が自動的に爆弾を投下させる間ほぼ垂直に飛行し、核爆弾は弧を描き目標に接近するが機体は上空をロールしつつアフターバーナー全開で反対方向に退避するのだった。

空軍はF-100 ZEL(ゼロ長離陸)もテストし、巨大ロケットブースターを機体下部に取り付け軌道上を一気に離陸する構想だった。この奇妙な発進方式の背景にはNATO航空基地がソ連核攻撃で抹消される危惧があったことがある。テストは成功したがZELが実戦配備されることはなかった。

ヴィエトナム戦争での大活躍---MiG撃墜一号記録を作ったのか

1961年4月、F-100D部隊がフィリピンからタイヘ移動し東南アジアでの米軍ジェット機の初の展開となった。戦闘投入は1964年が初めてで北ヴィエトナム対空陣地制圧にむかった。その後1965年3月2日にF-105戦闘爆撃機の援護としてローリング・サンダー爆撃作戦に加わった。ドナルド・キルガス大尉操縦のF-100はタインホア鉄橋攻撃に加わっていたがヴィエトナムのMiG-17四機編隊が雲中から突如現れた。これがヴィエトナム戦初のジェット空戦となった。MiG-17は米戦闘機より低速かつミサイル未搭載だが強力な機関砲三門でF-105一機を撃墜し2機目に甚大な損害を与えた。

キルガスは落下タンクを捨て急旋回しながらMiGの後尾につこうとした。ソ連製戦闘機は垂直降下しキルガスを誘おうとした。F-100は大型機のため機体引き起こしができなくなる。高度わずか7千フィートでキルガスは機関砲四門を浴びせた。以下本人による記録である。

「MiGの垂直尾翼上に閃光を目にしたと思うとすぐにMiGの姿が消えた。速度は580ノットだったと思う。トンキン湾の飛沫を浴びた、と大袈裟に言うつもりはないがぎりぎりのところで機体を引き起こした」

その日、MiGは三機喪失したが、二機はヴィエトナム側対空火砲の誤射のためだった。三番機の運命が不明だがキルガスが同機を仕留めたと主張しているのは正しいのかもしれない。ただし空軍は「可能性あり」としか認めていない。

その後旧式化したF-100は北爆任務から外され、南ヴィエトナム出ヴィエトコン相手に戦う地上部隊の支援に回された。1967年、州軍部隊四個飛行隊がF-100Cで現地に派遣された。最盛時にはスーパーセイバー490機が南ヴィエトナム上空を舞い連日地上支援ミッションを平均二回こなしていた。事前に計画された標的の攻撃以外に近接航空支援を必死に求める声に臨機対応した。
複座F-100F練習機の7機が初の「ワイルド・ウィーゼル」に改装され敵防空レーダー探知に投入された。EF-100Fにはレーダー受信機二式が搭載され敵レーダーの位置を探り、ロケットポッドで位置を知らせ随行するF-105に攻撃を任せた。その後AGM-145シュアライク・レーダー追尾ミサイルも搭載し、自機でレーダー施設を排除できるようになった。この試行で9箇所を破壊したものの二機を喪失した。実験成果に喜び空軍はF-4やF-105をワイルドウィーゼル任務に投入した。

F-100Fは「高速前線航空統制」任務にも投入され後部座席から敵を探知し、位置を煙幕弾で味方航空部隊に知らせた。コールサイン「ミスティ」の高速FACは優勢な防空体制の上空を飛び、その他の低速観測機では危険な任務だった。

スーパーセイバーは爆弾やナパーム弾40百万ポンドを投下し、合計360,283ソーティーをこなし1971年に現地から撤退した。この実績はF-4ファントムやF-105を上回る。F-100パイロットは代償も払った。戦中の喪失機材は242機でうち敵火砲により186機、基地攻撃により7機を失った。

ただしスーパーセイバーの極端に高い事故率はコンプレッサー失速や主翼破損、さらに一貫して発生したヨーの不安定さが原因で深刻だった。全生産2,294機のうち889機を喪失し324名のパイロットの命を奪った。

その他運用国での実績

フランス、デンマークでもF-100D型、F型を運用し、フランスはアルジェリア反乱勢力への空爆に投入した。台湾もF-100A戦闘機仕様118機を導入しその後レーダー探知機やサイドワインダーミサイルを搭載した。中国のMiG相手の空戦や大陸上空のスパイ飛行もこなしたと言われる。

トルコもF-100C型、D型、F型200機以上を受領し、Su-15と交戦多数を行い、少なくとも一機を地対空ミサイルで喪失している。スーパーセイバーの500ソーティで1974年7月のキプロス介入を支援したが対空火砲で6機を喪失しさらに2機が事故で失われた。750ポンド爆弾でニコシア空港を空爆し、ヘリコプター強襲作戦を上空援護し、誤爆でトルコ駆逐艦コチャテプを撃沈した。

晩年

米州軍では1980年までスーパーセイバーを運用した。退役後の325機はオレンジ色に塗装されQF-100標的無人機としてミサイル試射に投入されたが、今でも飛行可能な状態のF-100が数機残る。

米国初の超音速ジェット機は戦闘機としては卓越した存在ではなく、恐ろしいほど高い事故率にみまわれたものの革命的な新技術の先駆けで新戦術も生んだ。だがヴィエトナムで苦戦する地上部隊の支援という地味な仕事についたのである。■

Sébastien Roblin holds a Master’s Degree in Conflict Resolution from Georgetown University and served as a university instructor for the Peace Corps in China. He has also worked in education, editing, and refugee resettlement in France and the United States. He currently writes on security and military history for War Is Boring.
Image: Wikipedia

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