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AC-130が、30年間撃墜されていない背景に湾岸戦争のスピリット03の尊い犠牲の教訓があった。

あなたの知らない戦史(7)1991年湾岸戦争で散ったAC-130H  

ロリダのまぶしい陽光の中、ハールバートフィールド基地の記念碑にひと束のブーケが捧げられた。2021年1月29日、第一特殊作戦航空団が砂漠の嵐作戦中に発生した空軍最大の人員喪失事件の日が今年もやってきた。

 

30年前の1991年1月31日、カフジの戦いでAC-130Hスペクター・ガンシップ、コールサイン・スピリット03がイラクの地対空ミサイルで撃墜された。

 

搭乗員14名全員が戦死し、空軍将官のひとりは各自の犠牲がAC-130の新時代を開いたと述べている。新技術や戦術の導入でその後の戦闘で同機喪失は皆無となった。

 

「スピリット03搭乗員の尊い犠牲で、AC-130改良が始まり新世紀が到来した」とマーク・ヒックス退役少将が2014年夏号のAir Commando Journalに記した。ヒックスは経験豊かな元ガンシップ・パイロットだ。スピリット03撃墜後に出た風説をヒックスは否定している。

 

No enemy has downed an Air Force AC-130 gunship in 30 years. Here’s whyスピリット03慰霊祭が2021年1月29日にフロリダ州ハールバートフィールド基地で執り行われた。スピリット03はAC-130Hガンシップのコールサインでカフジの戦いで撃墜され14名の乗員全員が戦死し、砂漠の嵐作戦中最大の空軍喪失事案となった。(Air Force photo / Senior Airman Miranda Mahoney)

 

 

まず何が起こったかを見てみよう。1991年1月29日、イラク軍がクウェイトから南方のサウジアラビア国境の町カフジを攻撃してきた。襲撃部隊は戦車40両と500名の規模とスピリット03撃墜の記録を2012年の Air Commando Journal に記したAC-130歴42年の砂漠の嵐帰還兵ビル・ウォルター上級曹長が述べている。

 

連合軍部隊は数で圧倒され、カフジに後退したが、米海兵隊偵察チーム2個が取り残された。1月30日夜から1月31日朝にかけ、AC-130ガンシップ二機がスピリット01、スピリット02のコールサインでイラク装甲部隊を攻撃したが、強烈な対空砲火をあびた。

 

三機目のAC-130がスピリット03で数時間後に現場に到着し、上空を周回飛行し待機した。スピリット01および02は帰投することとし、03に対空火砲が手強いと伝えたが、3号機は海兵隊前方航空管制官の要請を受け標的策定を続けた。

 

スピリット03はイラク陣地を攻撃したが、 6:00 a.mに燃料残量が少なくなった。それでも搭乗員は標的への砲撃をやめず、ついに「ビンゴ」燃料になった。基地帰還ギリギリの燃料しかないことを意味する。だが、海兵隊航空管制官が海兵隊へ脅威になるロケット発射装備があるとしたので、スピリット03は捜索を始めた。

 

そして事態は急進展した。

 

No enemy has downed an Air Force AC-130 gunship in 30 years. Here’s whyAC-130 が機体を傾け、回転式機関砲の煙が薄暮の中で目視できる。 1988年撮影。 (Air Force photo / Tech. Sgt. Lee Schading)

 

 

なんの警告なくイラクの小型地対空ミサイルが同機の左主翼に命中し、外部燃料タンク近くが出火しはじめた。パイロットのトーマス・ブランド大尉、ポール・ウィーバー少佐は当初は機体を制御できたが、燃焼が広がり、左主翼3分の2が脱落すると機体はスピンしはじめ制御不能となった。大きなGがかかり、機外脱出は不可能のまま、機体はペルシア湾の浅瀬に墜落した。

 

墜落地点を突き止めるのに一ヶ月かかり、この遅れのため当時の状況で憶測を呼んだとヒックスは記している。「憶測に不満、怒りが加わり今も続く伝説が生まれた」

 

伝説の一つがパイロットで、ウィーバー少佐は1989年のパナマ侵攻作戦に加われなかったため実戦現場を見たいとの思いが強すぎたという風評があるとヒックスは記している。また乗員が燃料低下を気にせず海兵隊部隊を守り戦死したというのも伝説だ。

 

ともに真実ではない、とヒックスは述べている。「ともに部分的には正しいが、誤解につながりやすい」とヒックスは書いている。「スピリット03は敵防空装備で撃墜されたが、その時点で訓練内容通りの業務をしていた」

 

乗員の行動に能力不足や無鉄砲な英雄気取りの兆候は見られなかった、とヒックスは記し、敵ロケット砲装備をすぐ探知する必要もなかったとする。乗員が高脅威地区に日昇後も残るのはリスクで説明がつかない。ただ撃墜の背景に訓練、技術、戦術の不足もあった。

 

技術面ではセンサー、火器管制が旧式のままで高度、飛行速度以外は精度が低かったとヒックスは記している。これが戦術に影響し、敵砲火にさらされる危険が増えるフライトパスをとってしまったという。悪いことにスピリット03が敵攻撃にさらされた際のフレア投射装置が旧式でレーザー方式の携帯型地対空ミサイルには対応できなかった。機体防御装備の改良が長年後回しになったつけを払わされた格好だ。だが「砂漠の嵐終了後に改修がおこなわれ、チャフ、フレア放出装置が新型になり、赤外線ミサイル発射警報装置がつき、電子対抗装置も一新した」という。

 

No enemy has downed an Air Force AC-130 gunship in 30 years. Here’s whyAn AC-130 スペクター・ガンシップがフレアを放出している。June 3, 2011, Cannon Air Force Base, New Mexico. (Air Force photo / Airman 1st Class Ericka Engblom)

 

 

ビル・ウォルター上級曹長は Task & Purposeへのメールで砂漠の嵐作戦後のAC-130全機にAN/AAR-44 ミサイル接近警報装置が導入されたと述べている。これは携行式防空装備 (MANPADS) のミサイル発射を探知し、乗員に危険を伝え、フレアを自動放出する機能がある。作動には乗員の介入が不要なので、攻撃下での貴重な数秒を無駄にしなくてすむ。

 

スピリット03撃墜を受け各種技術で改良が進んだとヒックスは記しているが、戦術を変えないままでは効果が限定された。乗員は予測不能な飛行経路をとり、機体を敵に晒す時間を最小限にしながら、戦闘地点付近を高度を上げて飛行し、敵弾命中の確率を下げるようになった。

 

不要な通信手順を減らし、航法装置の機能を改良し、暗視ゴーグルを導入した他、酸素マスクをつけたままで高高度飛行に対応した。AC-130機内は与圧していない。

 

「火器管制機能とセンサー機能の向上で本当に助かったが、あくまでも戦術面を重視し、意味のある結果を求めるためだだった」(ヒックス)

 

ウォルターも同様の意見だ。

「教訓の本質は飛行中は常時攻撃を受ける覚悟がいることだ。スピリット03搭乗員はこの点で訓練を受けていたとはいえ、太陽が上る状態でMANPADSミサイルの目視照準を回避するのは無理だっただろう」「ミサイル接近が見えていたら、回避行動とデコイフレアが現場にいた他の2機同様に防御してくれたのではないか。残念ながらミサイルを見つけた乗員は皆無だった」

 

とはいえ、過剰対応も防ぐべきだとヒックスは警句を鳴らす。スピリット03喪失を受けAC-130部隊に昼間のミッションを放棄するものがあらわれたという。低速のスペクターは日中は敵に狙われやすい。だが昼間ミッションを中止したため、アフガニスタンで航空支援を受けられず地上部隊に死傷者が発生した。砂漠の嵐作戦の前年にスペクターが作戦投入されていた事実をヒックスは指摘しており、また夜間飛行が完全に安全と言い切れないという。

 

だがスピリット03後にもAC-130の被害が発生している。1994年に、第16特殊作戦飛行隊のスペクターがケニア沖合に墜落した。機関砲の高性能弾薬が発射前に機内爆発したためで、乗員8名が即死、9人目も負傷がもとでその後死亡している。この痛い犠牲の教訓をもとに以後30年間にわたりAC-130はテロ戦闘に数千時間も投入されながら、戦闘中喪失が皆無となっている。

 

スペクター全機は2015年に退役したが、スプーキー、スティンガーII、ゴーストライダーの各型がスピリット03撃墜の教訓を活かし、活動を続けている。

 

「AC-130部隊は準備不足のまま砂漠の嵐作戦に投入された。その後は平時活動に戻り、容易な環境のもと、近代化改修も後回しにされていたが、スピリット03喪失の衝撃が牽引力となり、戦術方法の再編でAC-130はアフガニスタン、イラク双方で黄金時代を迎えた」とヒックスが記している。

 

「一連の事態がスピリット03喪失につながり、長時間の研究結果がAC-130搭乗員の訓練シラバスにつながっている。あの運命の日の教訓が乗員訓練に生かされていることこそスピリット03の遺産だ」

 

スピリット03の乗員全員は以下の通り。

Maj. Paul Weaver

Capt. Thomas Bland Jr.

Capt. Arthur Galvan

Capt. William Grimm

Capt. Dixon Walters, Jr.

Senior Master Sgt. Paul Buege

Senior Master Sgt. James May II

Tech. Sgt. Robert Hodges

Tech Sgt. John Oelschlager

Staff Sgt. John Blessinger

Staff Sgt. Timothy Harrison

Staff Sgt. Damon Kanuha

Staff Sgt. Mark Schmauss

Sgt. Barry Clark

 

 

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No enemy has downed an Air Force AC-130 gunship in 30 years. Here's why

No enemy has downed an Air Force AC-130 gunship in 30 years. Here’s why

“The lessons passed on to crews trained since that fateful day are the true legacy of Spirit 03.”

BY DAVID ROZA FEBRUARY 05, 2021

David Roza covers the Air Force and anything Star Wars-related. He joined Task & Purpose in 2019, after covering local news in Maine and then FDA policy in Washington D.C. He loves referring to himself in the third-person, but he loves hearing the stories of individual airmen and their families even more. He also holds the unpopular opinion that Imperial stormtroopers are actually excellent marksmen. 


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