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歴史に残る機体31 ノースアメリカンF-100スーパーセイバーは初の超音速ジェット戦闘機でセンチュリーシリーズの一番手、高い事故率に苦しみつつも、ベトナムで活躍した。

 歴史に残る機体31


 

 

1947年10月14日、オレンジ色に塗ったベルX-1をチャック・イエーガーが操縦し、

水平飛行で初めて音速の壁を破った。X-1はロケット推進の実験機だったが、ジェットエンジン技術も進んでおり、超音速飛行の実現もまもなくとの期待が高まっていた。

 

ノースアメリカンは自社事業でF-86セイバーを超音速仕様に進化させようとしていた。セイバーは35度後退翼で高速度性能を実現した。F-100「スーパー」セイバーでは45度にし、機首の空気取入口は押しつぶした台形状になった。1950年代当時の新鋭機「センチュリーシリーズ」で一番手となったF-100についたニックネームは100を短くした「ハン」だった。

 

エンジンはJ-57-P-7 ターボジェットでアフターバーナーつきで、高高度で時速850マイルを実現した反面で燃料消費も著しかった。F-100は速度記録を更新した。

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空軍はF-100Aを1954年10月に供用開始したが、事故が多発し、空中分解でエースパイロットのジョージ・ウェルチが死亡し全機飛行停止となった。尾翼が小さすぎることで不安定になり制御不能なヨーが発生したためだった。

 

この問題は解決したものの、ハンには別の欠陥もあった。高速発射可能な20ミリM-39機関砲4門を搭載したものの、想定がすでに旧式になっていた。空対空ミサイルはまだなく、長距離捜索レーダーもないまま、短距離性能の欠点を補うため落下式燃料タンクを追加した。事故多発のF-100Aは早くも1958年に第一線を退いた。

 

RF-100A高速偵察機にはカメラ4基を機関砲の代わりに搭載し、短期間ながら成功作とされた。ドイツ、日本に配備され、高度50千フィートという高高度で東欧、中国、北朝鮮上空を飛んだ。当時は同機に追いつく迎撃機がなかったが、1956年に更に高高度を飛ぶU-2に交代した。

 

その後登場したのがF-100C戦闘爆撃機で476機が生産され、主翼を延長強化し、エンジンを強力なJ-57-P21 とし、最高時速が924マイルとなり、パイロン6箇所に6千ポンドの兵装を搭載した。さらに燃料搭載量が2倍になり、空中給油用のプローブもついた。これを利用しF-100Cの三機編隊が単発機として最長距離記録となったロサンジェルス-ロンドン間飛行を14時間で1957年5月13日に実行した。サンダーバーズ飛行展示チームがF-100Cを1956年に採用し、ソニックブームで地上の群衆を驚かせるのが常だったが、FAAにより禁止された。

 

F-100Dはさらに洗練され、1274機を製造し、尾翼主翼をさらに引き伸ばし、レーダー警告装置を搭載し、機体下部にハードポイント7つ目が追加され、AIM-9B熱追尾空対空ミサイル運用が可能となった。C型D型で搭載可能な兵装はナパームキャニスター、ズーニ2.75インチロケット弾、クラスター爆弾、AGM-45ブルパップ・AGM-83の対地誘導ミサイルまで多岐にのぼった。

 

NATOに配備されたF-100飛行隊は戦術核兵器4種類を運用し待機した。だが、核爆弾投下の場合に高速機といえども爆発の影響を受けずに脱出できたのか。通常兵器でも同様にリスクがあったが。

 

ハンパイロットは「肩越し」トス投下方式を訓練し、超音速バレルロールで上昇するのだった。機体が垂直に近づくと機内のMA-2低高度爆撃装備が核爆弾を自動投下する。爆弾が弧を描き落下すると、スーパーセイバーはロールしアフターバーナーを点火し反対側に逃げるのだった。

 

空軍はF-100でZEL(ゼロ距離発進)も試し、巨大ロケットブースターを機体下に装着し、トラックの荷台から発進させた。この方法を試したのはNATO航空基地がソ連の核攻撃で破壊された場合の代替離陸方法が必要だったからだ。テストは順調に進んだがZELが実際に採用されることはなかった。

 

Vietnam Workhorse—and First MiG Kill of the War?

 

1961年4月、フィリピン配備のF-100Dがタイ王国へ移動し、東南アジアに初めて米軍ジェット機が配備された。実戦出動の機会がなかったが、1964年に北ベトナム対空陣地制圧に出動した。1965年3月2日にローリングサンダー作戦でF-105戦闘爆撃機の援護を開始した。

 

1965年4月4日にはドナルド・キルガス大尉操縦のF-100がタンホア橋空襲部隊の援護にあたっていると、北ベトナムのMiG-17の四機編隊が雲の中から現れ、ベトナム戦初の空対空戦闘がはじまった。MiG-17は速力が劣りミサイルも搭載していなかったが、強力な機関砲三門がF-105を撃破し、二機目にも甚大な損害を与えた。

 

キルガスは燃料タンクを落下し、急角度で方向を変えMiGの後方に回ろうとした。ソ連製機体は垂直に降下し、キルガスを誘い込んだが、重量が大きい大尉の機体では引き起こしがそのうち不可能となる。高度7千フィートでキルガスは機関砲を使った。

 

「煙と閃光がMiGの垂直尾翼上に見えたが、すぐ何も見えなくなった。580ノットで飛んでいた。トンキン湾のしぶきが見えたと大袈裟に言うつもりはないが、ぎりぎりで機体を上昇させた」

 

当日にMiG三機を撃墜したが、二機はベトナム軍地上砲火によるものだった。3番目の機体がキルガスの相手で、実戦で初のMiG撃墜事例のはずだったが、空軍は「可能性濃厚」としただけだった。

 

その後のF-100は地上部隊支援任務で南ベトナムに回された。1967年にF-100C配備の州軍飛行隊が配属された。最盛期には南ベトナムに490機ものスーパーセイバーが展開し、毎日平均地上支援ミッション2回をこなし、予め設定した標的を攻撃したほか、地上部隊の求めに応じ近接航空支援をおこなった。

 

空軍は複座のF-100Fを初の「ワイルドウィーゼル」に投入し、敵防空レーダーを探知させた。EF-100Fにはレーダー受信機2つを搭載し敵レーダーの位置をわりだし、位置を随行するF-105に攻撃させた。その後のウィーゼル任務ではAGM-145シュライクレーダーホーミングミサイルでレーダーを撃破した。試行結果に満足した空軍はウィルドウィーゼル任務にF-105やF-4を投入した。F-100Fは「高速前方航空統制機」になり敵を探知すると煙ロケットで印をつけ僚機に攻撃させた。コールサイン「ミスティ」の高速FACは防空体制が整った危険地帯上空を飛んだ。

 

スーパーセイバーは高テンポで戦闘投入され、爆弾、ナパームの投下量は40百万ポンドに上り、出撃は360,283回になって1971年に戦場から離れた。この規模はF-4ファントム、F-105のいずれよりも多い。代償もあったベトナムでのF-100喪失は242機にのぼり、対空火砲で186機、基地駐機中に7機を失った。

 

ただし、スーパーセイバーの事故率は高く、コンプレッサー作動中止、主翼損壊、ヨー不安定などのほうが多くの犠牲者を生んだ。全生産2,294機中で889機が事故喪失で324名の生命を奪った。

 

フランス、デンマーク両国がF-100D、F型を運用し、フランスはアルジェ反乱分子の制圧に投入した。台湾もF-100Aを118機導入し、レーダー警報装置及びサイドワインダーミサイル運用能力をその後付与した。台湾機は中国のMiGと対決したほか、危険なスパイ任務にも使われたといわれる。

 

トルコはC型D型F型を200機以上調達し、ソ連領空への侵入にも投入され、Su-15迎撃機を振り切ったといわれるが、地対空ミサイルで一機を喪失している。1974年7月のキプロス介入作戦ではトルコは地上砲火で6機を、さらに事故で2機喪失した。トルコ機は750ポンド爆弾でニコシア空港を空爆し、ヘリコプター侵攻部隊を上空援護し、自軍の駆逐艦コチャテップをギリシア艦と誤認し沈めている。

 

州軍航空隊ではスーパーセイバーを1980年まで共用した。用済みとなった325機はオレンジ色塗色のQF-100標的無人機になりミサイルテストの標的となったが、現在でも数機が飛行可能な状態で保存されている。

 

米国初の超音速機は戦闘機として決して卓越した機体ではなかったが、甘受しがたい事故率を記録したものの、革命的な新技術を駆使し、戦術も生み出し、最終的に地上部隊支援機としてベトナム戦に活躍したのだった。■

 

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The F-100 Super Sabre Was America’ First Supersonic Jet

February 4, 2021  Topic: Security  Blog Brand: The Reboot  Tags: F-100Air ForceMilitaryTechnologyWorldWar

by Sebastien Roblin

Sébastien Roblin holds a Master’s Degree in Conflict Resolution from Georgetown University and served as a university instructor for the Peace Corps in China. He has also worked in education, editing, and refugee resettlement in France and the United States. He currently writes on security and military history for War Is Boring. This article first appeared three years ago.

Image: Wikipedia


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