スキップしてメイン コンテンツに移動

SR-71はMiG-31でも迎撃不能だったのに、スウェーデンが意外な状況でインターセプトしていたという誰も知らないお話。

 伝説のISR機材SR-71ブラックバード(ハブ)を結局どの国も打ち上落とすことが出来ないまま、上空通過飛行を許していた...というお話です。そのSR-71の後継機がいつ生まれるのか、実はもう飛んでいるかもしれません。


(Lockheed Martin)


ロッキードの伝説的機体SR-71ブラックバードは、時代の最先端を走っていた。初飛行から約59年が経過した今日でも、史上最速の乗員付きジェット機という表彰台の頂点に挑む機体はまだ1機もない。ブラックバードはその30年間を通じて、4,000発を超えるあらゆる種類のミサイルを撃ち込まれたが、そのすべてを凌ぎ切ったことで有名である。

しかし、無敵の航空機など存在せず、ブラックバードも例外ではなかった。1971年にはMiG-25のようなソ連の迎撃ミサイルがマッハ3.2の速度を達成し、SA-2のようなソ連の地対空ミサイルはマッハ3.5を超えることが知られていたため、SR-71のマッハ3.2という最高速度は必ずしも競合機よりも速いとは言えなかった。

SR-71とはSFの世界が現実になった機体だった

有名な航空エンジニア、ケリー・ジョンソンが設計したSR-71は、初期のステルス性、綿密な任務計画、そしておそらく最も重要なこととして、圧倒的なパワーの組み合わせによって、だれも見たこともないような高性能な防空システムや迎撃戦闘機を打ち負かすように設計された。

SR-71は、おそらくケリー・ジョンソンが最も成功させた設計と見ることができる。ジョンソンは、第二次世界大戦のP-38ライトニング、アメリカ初のジェット戦闘機P-80シューティングスター、そして最も特筆すべきU-2偵察機といった過去のプロジェクトで、設計手腕は証明ずみだった。実際、U-2計画におけるジョンソンの努力は、今日私たちの多くがエリア51として知っている秘密軍事施設の設立につながった。しかし、ジョンソンのこれまでの努力は画期的なものであったが、アークエンジェル・プログラムが生み出したSR-71は別格であった。

SR-71のマッハ3.2という最高速度が注目されがちだが、ハブがこれほど素晴らしいプラットフォームとなったのは、速度だけではない。結局のところ、ロケットエンジンを搭載したノースアメリカンX-15がマッハ6.7を達成している。しかし、X-15が1回の飛行でカバーできる距離が240マイル程度で、1時間飛行するごとにエンジンの完全リビルドが必要だったのに対し、SR-71は何時間も何時間も弾丸よりも速く飛び続け、滑走路に安全に着陸して翌日の再飛行のために燃料を補給する設計だった。

「マッハ3.2を達成し、それを長時間維持するアイデアは、スカンクワークスにとって最も過酷な仕事であり、私のキャリアの中でも最も困難なものでした。「開発の初期段階で、私は簡単にできることを見つけた人に50ドルを約束した。1,000ドルを提供した方がよかったかもしれません」(ケリー・ジョンソン)。

Lockheed’s Kelly Johnson (Lockheed Martin)


マッハ3以上を長時間維持するブラックバードの能力は、大規模な温度変動に耐えられるエイビオニクス・システム用の新種のワイヤーを発明する必要性など、大量の工学的ハードルを生み出した。エンジニアたちはまた、地上と上空16マイルで機能する新しい油圧作動油を特別に調合する必要もあった。重量と温度の両方の要求を満たすため、機体構造の93%にチタンを使用することが決定された。そこでCIAは一連のペーパーカンパニーを設立し、チタンをソビエトから密かに調達した。

マッハ3の飛行が続くとガラスは半透明になり、パイロットの視界が遮られる。そのため、SR-71の窓は厚さ1.25インチの石英で作られ、音波で機体に溶着された。それでも飛行中、石英窓は非常に熱くなり、乗員は機内食を温めるため、窓から数インチのところに配給品を置いていた。

スピードとステルス性を兼ね備えたSR-71は、非常にタフなターゲットだった

SR-71のレーダー断面積は比較的小さく、スピードも非常に速いため、地上ベースの防空システムにとっては非常に難しいターゲットだった。報告によると、全長107フィートのブラックバードのレーダー断面はわずか22平方インチ(0.1メートル四方)であった。その時点で、最高速度がマッハ3.5でハブよりも速いSA-2ミサイルを発射しようとしても、事実上失敗に終わった。ミサイルが飛来する頃には、SR-71は射程圏外にいたのだ。

しかし1970年までに、ブラックバードは航空界の高速リーダーボードとソ連支配地域の上空で新たな競争相手を得た。

MiG-25は、当時アメリカが開発していた核搭載可能な超音速爆撃機への対抗策として、ソ連が秘密裏に開発したものだった。当時Ye-155として知られていたこの新型高速迎撃機の噂は、1964年には早くもアメリカに届いていたが、ソ連が時速1,441マイルで世界速度記録を更新したと発表したおかげで、この計画が表沙汰になった1965年に、注目を集めた。しかし、アンクル・サムがソ連の新型スーパーファイターを初めてはっきりと目にすることになったのは1967年のことだった。

巨大なエアインテーク、広大な翼、ピクニックができるほど大きな双発エンジンのアウトレットを備えたこの戦闘機を見て、アメリカの防衛機関はすぐに懸念を抱いた。そして、そこから悪化の一途をたどることになる。1971年、MiG-25は、イスラエル軍によってシナイ半島上空での偵察飛行中にマッハ2.5から2.83の速度を記録した。イスラエル軍のF-4が迎撃を試みたが、80,000フィート以上の上空を飛行していたミグがマッハ3.2を超えたと報告されている。

SR-71とMIG-25のマッハ3.2での飛行方法はまったく異なる

書類上では、MiG-25はアメリカのSR-71ブラックバードに匹敵するように見えたが...。

ソ連のMiG-25は、強力な(しかし気難しい)トゥマンスキーR-15ターボジェットエンジンに修復不可能なダメージを与えるような短時間の全力疾走で、マッハ3.2という高速を達成することができた。一方、SR-71は、冷気を直接アフターバーナーに送り込むバイパスチューブを備えた独自のプラット&ホイットニーJ58ターボジェットエンジン(J58は「ターボラムジェット」と呼ばれることもある)と、それまでのどのジェットエンジンよりも高温に耐えることができる世界初の方向性固化タービンブレードのおかげで、苦労せず何時間もその速度を維持することができた。

言い換えれば、MiG-25は大きな犠牲を払ってでもマッハ3を超えることができるかもしれないが、SR-71は楽々マッハ3で飛行していたのである。その結果、ソ連のパイロットがブラックバードが向かってくるという知らせを受けたときには、その機体が消えてしまう前に、自分たちの機体を空中に浮かせ、その尾を引くチャンスはほとんどなかった。

ソ連のMiG-25パイロット、ビクトル・ベレンコ中尉が1976年に西側に亡命した後に説明したように、MiG-25として知られるフォックスバットは、マッハ3以上の持続速度で叫んで通り過ぎるSR-71と接近できるほど速く上昇することができず、たとえできたとしても、空対空ミサイルには両者の距離を縮めるのに必要な推力が不足していた。SR-71に真正面からぶつかっても、ハブの接近率はフォックスバットの誘導システムには手に負えなかったとベレンコは説明した。

「ソ連機が到達できない高度まで上昇し、上空を悠々と旋回したり、ロシア機が追いつけない速度で颯爽と飛び去ったりした」とベレンコは説明した。

あるソ連のMiG-31パイロットがSR-71をロックオンしたと主張したが......

元ソ連軍パイロットのミハイル・ミャグキー大尉は、MiG-31でSR-71をロックオンすることに成功したが、航空機がソ連領空を侵犯していなかったため、撃墜しなかったと主張している。しかし、この証言はアメリカ側からは確認されておらず、ソ連のパイロットが射撃の判断に慎重なことで知られていたわけではないことは注目に値する。

たとえば1983年、大韓航空のボーイング747がSu-15に迎撃された。Su-15は機関砲で数発の威嚇射撃を行ったが、パイロットは民間旅客機であることをはっきりと認識できたにもかかわらず、情報を司令部に報告しなかった。実際、報告によれば、戦闘機は無線で旅客機に連絡しようともしなかったという。

「2列の窓を見て、ボーイングの民間機だとわかっていた。しかし、私にとっては何の意味もなかった」。ソ連のパイロット、ゲンナディ・オシポビッチ大佐はニューヨーク・タイムズ紙にこう語っている。「ボーイングタイプの飛行機であることを地上に伝えなかった」。

その後、オシポビッチは747の後方に位置し、2発のK-8赤外線誘導空対空ミサイルを発射、航空機を破壊し、乗客269人全員を死亡させた。当時のソ連指導部が、撃墜はアメリカが企てた挑発行為だと非難していたのを見ると、ソ連領空外でSR-71を確実にロックしたソ連の戦闘機パイロットが、突然国際法を完全に理解するようになるとは思えない。

SR-71をロックオンした唯一の外国人戦闘機はスウェーデン人だった

特別な訓練を受けたスウェーデン空軍のJA-37ヴィゲン・パイロットたちである。彼らは、比較的低速で飛行速度の低いヴィゲンがこの栄誉を得ることができたのは、その卓越した作戦計画と技術的スキルのおかげであると大いに称賛に値する。

しかし、これらの迎撃が可能だったのは、米空軍がスウェーデンを脅威として認識していなかったからであり、そのため、迎撃を防ぐ作戦計画をほとんど立てていなかったからだ、という見方もできる。言い換えれば、スウェーデンのヴィゲンは、必ずしも実際に回避しようとしていたわけではないブラックバードの迎撃に成功したということができる。実際、ほんの数年前まで機密扱いのままだったある事件では、SR-71を迎撃するために派遣されたヴィゲンが、SR-71のエンジンの1つが爆発したことに気づくと、すぐに護衛に移行した。ブラックバードが急速に速度と高度を失う中、2組のヴィゲンがローテーションで出入りし、味方空域に到達するまでソ連の迎撃から守った。

ヴィゲンのパイロットたちは、アメリカ軍機を即席で守った功績により、最終的にアメリカ空軍航空勲章を授与された。これは、軍用航空界で多くの人々を動かしている競争心でさえ、世界のトップエイビエイターが共有しているプロフェッショナリズムと相互尊重を克服することはできないという貴重な思い出となっている。■

Why Russia's Mach 3.2 MiG-25 couldn't catch the Blackbird | Sandboxx


  • BY ALEX HOLLINGS

  • NOVEMBER 9, 2023


コメント

このブログの人気の投稿

フィリピンのFA-50がF-22を「撃墜」した最近の米比演習での真実はこうだ......

  Wikimedia Commons フィリピン空軍のかわいい軽戦闘機FA-50が米空軍の獰猛なF-22を演習で仕留めたとの報道が出ていますが、真相は....The Nationa lnterest記事からのご紹介です。 フ ィリピン空軍(PAF)は、7月に行われた空戦演習で、FA-50軽攻撃機の1機が、アメリカの制空権チャンピオンF-22ラプターを想定外のキルに成功したと発表した。この発表は、FA-50のガンカメラが捉えた画像とともに発表されたもので、パイロットが赤外線誘導(ヒートシーキング)ミサイルでステルス機をロックオンした際、フィリピンの戦闘機の照準にラプターが映っていた。  「この事件は、軍事史に重大な展開をもたらした。フィリピンの主力戦闘機は、ルソン島上空でコープ・サンダー演習の一環として行われた模擬空戦で、第5世代戦闘機に勝利した」とPAFの声明には書かれている。  しかし、この快挙は確かにフィリピン空軍にとって祝福に値するが、画像をよく見ると、3800万ドルの練習機から攻撃機になった航空機が、なぜ3億5000万ドル以上のラプターに勝つことができたのか、多くの価値あるヒントが得られる。  そして、ここでネタバレがある: この種の演習ではよくあることだが、F-22は片翼を後ろ手に縛って飛んでいるように見える。  フィリピンとアメリカの戦闘機の模擬交戦は、7月2日から21日にかけてフィリピンで行われた一連の二国間戦闘機訓練と専門家交流であるコープ・サンダー23-2で行われた。米空軍は、F-16とF-22を中心とする15機の航空機と500人以上の航空兵を派遣し、地上攻撃型のFA-50、A-29、AS-211を運用する同数のフィリピン空軍要員とともに訓練に参加した。  しかし、約3週間にわたって何十機もの航空機が何十回もの出撃をしたにもかかわらず、この訓練で世界の注目を集めたのは、空軍のパイロットが無線で「フォックス2!右旋回でラプターを1機撃墜!」と伝え得てきたときだった。 戦闘訓練はフェアな戦いではない コープサンダー23-2のような戦闘演習は、それを報道するメディアによってしばしば誤解される(誤解は報道機関の偏った姿勢に起因することもある)。たとえば、航空機同士の交戦は、あたかも2機のジェット機が単に空中で無差別級ケージマッチを行ったかのように、脈絡な

主張:台湾の軍事力、防衛体制、情報収集能力にはこれだけの欠陥がある。近代化が遅れている台湾軍が共同運営能力を獲得するまで危険な状態が続く。

iStock illustration 台 湾の防衛力強化は、米国にとり急務だ。台湾軍の訓練教官として台湾に配備した人員を、現状の 30 人から 4 倍の 100 人から 200 人にする計画が伝えられている。 議会は 12 月に 2023 年国防権限法を可決し、台湾の兵器調達のために、 5 年間で 100 億ドルの融資と助成を予算化した。 さらに、下院中国特別委員会の委員長であるマイク・ギャラガー議員(ウィスコンシン州選出)は最近、中国の侵略を抑止するため「台湾を徹底的に武装させる」と宣言している。マクマスター前国家安全保障顧問は、台湾への武器供与の加速を推進している。ワシントンでは、台湾の自衛を支援することが急務であることが明らかである。 台湾軍の近代化は大幅に遅れている こうした約束にもかかわらず、台湾は近代的な戦闘力への転換を図るため必要な軍事改革に難色を示したままである。外部からの支援が効果的であるためには、プロ意識、敗北主義、中国のナショナリズムという 3 つの無形でどこにでもある問題に取り組まなければならない。 サミュエル・ P ・ハンチントンは著書『兵士と国家』で、軍のプロフェッショナリズムの定義として、専門性、責任、企業性という 3 つを挙げている。責任感は、 " 暴力の管理はするが、暴力行為そのものはしない " という「特異な技能」と関連する。 台湾の軍事的プロフェッショナリズムを専門知識と技能で低評価になる。例えば、国防部は武器調達の前にシステム分析と運用要件を要求しているが、そのプロセスは決定後の場当たり的なチェックマークにすぎない。その結果、参謀本部は実務の本質を理解し、技術を習得することができない。 国防部には、政策と訓練カリキュラムの更新が切実に必要だ。蔡英文総統の国防大臣数名が、時代遅れの銃剣突撃訓練の復活を提唱した。この技術は 200 年前のフランスで生まれたもので、スタンドオフ精密弾の時代には、効果はごくわずかでしかないだろう。一方、台湾が新たに入手した武器の多くは武器庫や倉庫に保管されたままで、兵士の訓練用具がほとんどない。 かろうじて徴兵期間を 4 カ月から 1 年に延長することは、適切と思われるが、同省は、兵士に直立歩行訓練を義務付けるというわけのわからない計画を立てている。直立歩行は 18 世紀にプロ