2020年3月29日日曜日

やはり中国ウィルスは生物兵器開発から生じたのか

世界の政治経済に大きな影響を与えている発生源が中国なのは明らかなのですが、各国は医療体制の崩壊を食い止め、死亡者を抑え込むのに必死で冷静に発生理由を考える余裕がありません。しかし、事が落ち着けば中国は国際社会から厳しい目にさらされ、中国人が一番恐れる面子の喪失、さらに政治経済体制の変更、または中国の退場につながるのではないでしょうか。そうなるとコロナウィルスなどという名称は笑止千万となります。中国の存在を極力表に出さないよう尽力したWHOも責任を取らされるでしょう。そのため本ブログでは中国ウィルスの名称を今後も続けます。2020年が中国衰退のスタートととなるのかは歴史が証明していくでしょう


COVID-19は生物戦の開発途中に生まれたのか。生物兵器の開発中にウィルスが意図的か偶然から漏出したと米中両国が陰謀説で非難しあっている。こうした事例で生物兵器投入が主張される事が多い。生物戦の試みはあったが、成功事例は稀だ。研究が進歩しても、生物手段の制御、管理がむずかしいため実際の投入となっていない。

生物戦の歴史

伝染病流行を見て、戦争に使えると考える人は常に存在してきた。感染者を敵地へ旅行させる、死体や汚染物を敵地に投入する等だ。実際にこうした策が試されてきたが、成功例はわずかだ。

その中でアメリカ先住民を天然痘に罹患させたヨーロッパの入植者の事例は数少ない成功例だ。とはいえ、効果はごく限られていたとの証拠がある。フォートピット駐留の英軍が天然痘患者の使った毛布をポンティアックの戦いでインディアンに使わせたが、効果は疑わしかった。数十年後に今度はオーストラリア原住民に英軍が同じ戦術を使ったとの記録がある。ただし、アメリカ入植者が先住民へ疾病を持ち込んだのは事実で、その最大の例がメキシコだ。コルテスの現地征服を天然痘流行が助けた。北米でも天然痘はじめ疾病の流行で先住民が減少したところに入植者が入り込んだ。

工業化の時代の初期での戦争で画期的な生物兵器の投入機会が増えた。第一次大戦でドイツは米国の家畜に炭疽菌感染を試みたが失敗している。第二次大戦中の主要国で生物戦の研究開発が続いたが、実際に投入したのは日本とソ連だけだ。日本は中国戦線に集中し、腺ペストやコレラを戦闘員民間人を区別せず流行させようとした。中国側に死者が発生したが、日本軍にも被害が生まれている。戦後も中国ではコレラ大流行が定期的に発生している。

ソ連が1942年にドイツ軍の侵攻を食い止めようと野兎病を生物兵器として投入したとの主張がある。ドイツ軍の夏攻勢の勢いがスターリングラードで衰えたが、感染が意図的に実施されたとする証拠は弱い。

ソ連と米国はそれぞれ生物兵器の大規模開発を戦後に開始し、旧敵側の研究成果を活用した。両国で事故やテストで民間人に被害が発生しているが、大規模流行は回避してきた。冷戦中に米ソが生物兵器を大規模投入したとの証明は難しいが、農作物の収穫を減らす効果がある生物学的手段を投入されたとしてキューバが米国を数回にわたり非難している。

非国家勢力は生物戦で一定の成果を上げてきた。ラジニーシ宗教カルト集団が1980年代のオレゴンでサラダバーにサルモネラ菌を入れようとしたが、大きな成功といえなかった。オウム真理教カルト集団は炭疽菌を1990年代に東京で散布しようとしたが、うまくいかず化学兵器に変更した。9-11事件後に、炭疽菌を郵送する手口で米国人に死者が生まれた。

避けられないリスク

感染を兵器に使うと使用側にも被害が生じるのが最大のリスクだ。上の例でも攻撃開始した時点で攻撃側に罹患発生の場合があり、攻撃防御双方に被害が生じる。

生物兵器攻撃の成功を左右するのは敵味方をどこまで区別できるかだ。自然の免疫性を自軍が有する場合に最大の効果が生まれる。前出のコルテスと原住民の関係がこれに当たる。ただし生物兵器の影響は使用後も残ることがあり、当初の想定を超えた流行が発生することもある。
これ以外に、対象国の政治経済制度がパンデミックの回避能力で攻撃側より劣ると生物兵器が効果をあげやすい。同様に家畜や農産物への攻撃が大規模被害を生む場合がある。ただし、大流行を発生させ敵に大きな損害を与えつつ自らには軽度の影響しか発生しないと考えれば大きなリスクとなり、さらに国際条約上で非難され、違反を指摘される。

まとめ

人類の歴史を通じ疾病で死亡した人口は戦争の被害者を上回ってきた。疾病を兵器として投入が試みられてきた。自国内の流行を敵国にしわざと非難されてきた。だが生物戦の成功事例は限られ、逆に国際社会は生物戦へ反感を強めた。将来において国家なりテロ集団が生物兵器を効果的に使う方法を発見する可能性はあるものの、本当に効果を生むかは推測の域を出ない。■

Robert Farley, a frequent contributor to TNI, is a Visiting Professor at the United States Army War College. The views expressed are those of the author and do not necessarily reflect the official policy or position of the Department of the Army, Department of Defense, or the U.S. Government.

この記事は以下を再構成したものです。

Does Coronavirus Prove Biological Warfare Is Coming?

March 28, 2020  Topic: Security  Blog Brand: The Buzz  Tags: CoronavirusBiological WarfarePandemicMilitaryWar

2020年3月28日土曜日

中国の廉価版輸出専用戦闘機JF-17にF-16のDNAが入っている

https://www.reutersconnect.com/all?id=tag%3Areuters.com%2C2013%3Anewsml_GM1E96C1U5301&share=true

JF-17戦闘機は輸出用の機材。中国は同機の改良を行ってきた。そのJF-17に米F-16のDNAが入っているとはどういう意味か。

JF-17「サンダー」多任務戦闘機は中国の輸出用機材の成功例だ。最初から輸出想定で開発され、供用までの道は決して平坦ではなかったがし、開発期間は数十年に及び米国もその途中で関与している。設計面ではMiG-21とF-16ファイティングファルコンを融合させた。最新型JF-17では性能をさらに上げている。だがJF-17誕生に米国がどう関与したのか。古い設計の機体が十分に通用するのだろうか。

JF-17はパキスタン空軍が運用する成都航空機(CAC)製J-7戦闘機のアップグレード構想から生まれた。パキスタンはソ連に対抗するアフガニスタンのムジャヒディン支援で中継役を務めていた。米国はパキスタンへの防衛協力に前向きだったが、ソ連の次世代軽量戦闘機MiG-29配備を見たパキスタンは対抗可能な機種を求めてきた。

ここから生まれたプロジェクトセイバーIIでJ-7近代化改修をCACとグラマンが共同実施した。セイバーIIはJ-7の機体延長、空気取り入れ口の変更を主にした。ただしセイバーIIでは米戦闘機はおろかMiG-29の水準にも到達できず、セイバーIIは打ち切りとなった。

だがこの3国は1980年代末にと「スーパー7」事業を立ち上げた。今回は翼幅を延長し、F-16に近くしたほか、以前の空力学的改良も採用した。グラマンは1989年に天安門事件を理由に事業から抜け、事業はその後10年を中国とパキスタンの交渉を横目に薄氷を踏む展開となった。1992年には事業採算の事前評価が行われ、結果が良好だったため開発合意書が締結された。

1998年、中国とパキスタンはスーパー7事業を再開した。費用はパキスタン政府とCACの折半とし、機体名称はJF-17に変更された。グラマンが抜け、新しいエンジンが必要だった。ロシアのミコヤン設計局から解決策としてクリモフRD-93エンジンが提示された。これはMiG-33用のエンジンだったが同機開発は中止となっていた。

もうひとつ革新的な技術が開発中に加わった。境界層隔壁なしの超音速空気取入口(DSI)で、その後改良を加え現行のJF-17に採用されている。試作一号機が2003年に初飛行した。2006年には機体は完成度を高め量産に入ろうとしていた。

パキスタン向け第一陣はブロックIと呼ばれ、ブロックIIのJF-17は改良が加わり、複合素材で軽量化した他、空中給油機能、フライ・バイ・ワイヤの全面的採用し、レーダーも変更した。中国からRD-93の代わりに自国開発のWS-13の提示があったが、パキスタンはロシア製エンジンに固執した。

ブロックIIIで中国はAESAレーダー搭載をめざし、エイビオニクスや兵装互換性も改良したいとする。標準型JF-17ではMIL-STD-1760標準のデータバスが一部で使え、西側や東側兵装と互換性がある。ただし、JF-17の弱みは搭載機関砲で、MiG-21以来の銃身二本のGSh-23のままだ。同機関砲は他機種の兵装より劣る。ただし、近代戦での機関砲の使用頻度を考えると、さしたる問題ではないかもしれない。

JF-17最大の利点は価格だ。わずか15百万ドルという基本価格にかなう機体は中古機材も含め存在しない。ブロックIIもほぼ同額で、ミャンマーは単価16百万ドルで導入している。貧乏国でもこれだけの低価格で比較的新型の機材を入手できる。その価格で本当に戦闘に対応できるかは未実証だが、パキスタンは同機の性能に満足しているようだ。中国は旧世代の格安戦闘機MiG-21を改良してF-16の設計要素を盛り込むことで現代の要望にあう機体を完成させたのである。■

Charlie Gao studied political and computer science at Grinnell College and is a frequent commentator on defense and national-security issues. This first appeared in 2020 and is being reposted due to reader interest.
Image: Reuters

この記事は以下を再構成したものです。

Why China's Jf-17 Fighter Has American F-16 "DNA"

A complicated history.
March 26, 2020  Topic: History  Region: Asia  Blog Brand: The Buzz  Tags: ChinaAir ForceMilitaryTechnologyJetFighterJF-17Pakistan


2020年3月26日木曜日

歴史に残る機体23 MiG-17「フレスコ」



戦闘機に匹敵する性能こそなかったものの、MiG-17は驚くほど軽快で、旧式かつ低速で武装も劣っていたにもかかわらず、ヴィエトナム戦で米軍機を多数撃墜している。

その出自

MiG-15は高性能小型機でF-86と互角に戦った。だが、欠点があった。マッハ1に近づくと飛行が安定しマッハ0.92で自動的に減速してしまうのだった。ロールスロイス製エンジンをカウンターエンジニアリングした高性能エンジンだったが重量は重くなった。

それでもMiG-15は朝鮮半島でB-29を狩ったし、その後の調査では米側の撃墜数は水増しされており、実際にはMiG-15は米戦闘機との撃墜数はほぼ同数だった。改良が必要だった。

MiG-15を原型に
MiG-17では相当の改良が加えられMiG-15の発展型になった。

まず、アフターバーナーが着いて推力が増加した。主翼・尾翼の後退角が増えた。主翼は強化され、マッハ1付近でも変形しにくくなった。この結果、操縦制御性が高まった。

ヴィエトナム
北ヴィエトナムがMiG-17の性能をフルに発揮した。小型で低速のMiG-17は米側のリパブリックF-105サンダーチーフ、F-4ファントムを相手に軽量かつ操縦性が優れていた。低速での優位性が効果を上げた。

技能にたけたヴィエトナムパイロットとロシア人パイロットの手にかかりMiG-17は輝いた。米側もMiG-17数機をイスラエル経由で入手し、性能を評価し、有効な戦術を検討した。

機密解除のNSA文書が評価結果を以下伝えているのはショックとも言える。「交戦した海軍パイロットはフレスコC(評価対象のMiG-17)との一回戦で全員負けている」

同文書はMiG-17の性能をこう持ち上げている。
「東南アジアでMiG-17F相手の戦術戦では大部分が低空域でフレスコCの低主翼荷重と8g構造限界が最高の性能を発揮できる。傑出した操縦性もこの空域で効果を発揮し、旧型ながら単純構造の同機は高性能新型装備にも脅威だ」

さらに続いた功績
1万機を超えるMiG-17が量産され中国、ヴィエトナム、ソ連、東ドイツ、ポーランド等の空軍部隊で供用された。

米国でもMiG-17が販売されていた時期がある。連邦航空局のウェブサイトを見ると数機が米国内で合法的に保有されているのがわかる。

小さな戦闘機MiG-17には今でも驚かされる。■

この記事は以下を再構成したものです。

 

Russia's MiG-17 Fighter Was an Aerial Terror



March 25, 2020  Topic: Security  Blog Brand: The Buzz  Tags: RussiaMilitaryTechnologyWorldMig-17Vietnam War


2020年3月23日月曜日

SR-72登場の前に極超音速機の概念、歴史をおさらいしておく

SR-72ですが、いつ姿を表すのでしょうか。また極超音速機を爆撃機に転用する構想が実現するのでしょうか。いずれ明らかになるでしょう。その前に、極超音速機の系譜をたどってみましょう。

実ではないが、SR-72は成功作SR-71、さらにその先達の流れを汲んでいる可能性があり、完成すれば世界最速の機材になる。
青天の霹靂という表現がぴったりだったのは、ロッキード・マーティンのスカンクワークスがSR-71の後継機を発表したときのことだ。名機と呼ばれるマッハ3飛行のSR-71偵察機は計算尺で設計された機体ですでに退役している。
発表されたSR-72はマッハ6とSR-71の2倍で飛行し、空気取入口を通過する空流の速度がSR-71の速度と等しくなるほどの高速機だ。
そのSR-72の実証機材は2017年7月に完成していたと言われる。
Aviation Weekによればスカンクワークスは高温高出力域でターボジェットを運転する方法を開発し、まずマッハ2.5に加速する。ラムジェット-スクラムジェットがこの後を担当し、作動にはマッハ3以上が必要だ。ロッキード・マーティンは解決方法を得たというが、内容は述べていない。
ターボジェットはブレイド多数を回転して入ってくる空気を圧縮加熱してから点火しガスを排出する機構だ。ラムジェットはもともと高速なので空気自体が高温高圧になっており燃料と点火できる。スクラムジェットとは「超音速燃焼ラムジェット」の略で入ってくる気流が超音速で移動している。
極超音速中はソニックブームは発生しないが、機体前縁を通過する気流が高速となり溶鉱炉と同じ温度まで加熱される。
SR-71でも飛行中の空気との摩擦のため地上で機体パネルの接着が緩んでいても飛行中に膨張していた。
マッハ5超の極超音速飛行の可能性がこれまで70年に渡る研究の原動力であった。ナチが新兵器として実用化を狙っていた他、想像力を刺激してきた。

ジルバーフォーゲル構想 
オイゲン・ゼンガーは時速数千マイルの航空機構想に博士論文で初めて取り組んだ。1933年のことである。ロケットエンジンの冷却用に低温燃料を再循環させる画期的な発想に注目したのがヒトラー政権だった。ヴェルナー・フォン・ブラウンと並びゼンガーも第三帝国の軍事力整備を求められた。
フォン・ブラウンのV-2弾道ミサイルは超音速兵器となり、ロンドンやアントワープの市民に事前警告の余裕はなかった。ゼンガーのジルバーフォーゲル(銀鳥)が実現していればニューヨークやシカゴなども破壊されていたかもしれない。
この銀鳥は対蹠点爆撃機とも呼ばれ、奇抜な発想をひとつにまとめ、その後も長く記憶に残った。ドイツ航空省が試作機製作に踏み切れなかった理由もそこにあった。ナチのスペースプレーン最終形は全長91フィートのリフティングボディで推力100トンのロケットモーターに液体酸素と燃料を併用するというものだった。
全長2.5マイルの巨大モノレール軌道上のそりにロケットを載せ、パイロット1名のみ搭乗する爆撃機はマッハ2で離昇してから銀鳥自体のロケットを点火し高度70マイルでマッハ19に加速する。
どこかで聞いた話と思った方がいるのではないか。実はこの構想は1950年代のSF映画『地球最後の日』で採用された。
機体は高高度で加速してから大気圏に戻り、その後再び大気圏外に戻る。ゼンガーたちは銀鳥の飛翔距離を14千マイルと試算し、滑空しながら遠距離地点を爆撃できるとした。
ただその後出た計算結果を見ると、銀鳥が飛行すればスペースシャトル・コロンビアの事故と同じ運命に見舞われたはずだ。
銀鳥の任務は戦略爆撃とテロ活動の組み合わせだった。4トン爆弾一発で相当の威力があるが、米本土が突然爆撃を受けるとなれば心理的な影響も大きい。当時は標的にアルミ精錬所や航空機工場を想定していた。
だがゲーリングの航空省はゼンガー構想を相手にせず米本土攻撃には別の構想を優先した。ヨシフ・スターリンが同構想を戦後に検討し、NKVDにゼンガーたちの拉致を命じたが、失敗した。
極超音速飛行技術の出発点はヒトラー時代にあったのだ。

ライトスタッフ
米国でもマッハ5超の飛行実現にむけチャック・イェーガー少佐がまず音速の壁に挑んだ。
1950年代にX-15で極超音速飛行にむけ設計、素材、手順に取り組んだ。1960年代のX-15パイロットはマッハ6で宇宙空間に向け飛行していた。だがトム・ウルフがライトスタッフで叙情たっぷりに記述したようにX-15の有人飛行型式はマーキュリー、ジェミニ、アポロのカプセルに道を譲った。
ただ米空軍も半世紀前にX-20ダイナソアで極超音速飛行を実現する手前まで行った。銀鳥に加え、その後のスペースシャトルやSR-72につながる系譜である。タイタンミサイルで宇宙に打ち上げ、宇宙カプセルに似た軌道を飛行し、戦闘機の様に着陸するX-20は銀鳥の夢を実現するはずだったが、ロバート・マクナマラ国防長官により打ち切りとなった。
スペースシャトル開発はX-20の研究成果を利用した。今日ではそのスペースシャトルも引退しているが、極超音速飛行機で世界で最も知られている存在だ。シャトルはマッハ23で宇宙空間に飛び、帰還時には「翼のついたレンガ」のように降下飛行した。
シャトルの大気圏再突入時には超高温の処理が必要となり、SR-72も同様だろう。表面にわずかな亀裂があれば機体や乗員を喪失しかねない。
米国での最新の極超音速研究では迅速長距離打撃兵器体系として空中、海上、海中からペイロードを発射してからロケット推進で巡航速度まで加速する方法に焦点を当てている。
スペースXのファルコン1ロケットも極超音速ペイロード打ち上げ手段として予算を投入して実現したものだ。
そこで、SR-72の登場だ。ロッキード・マーティンが製造に成功すれば、全く違う飛行形態になる。通常の滑走路を離陸着陸し、弾丸より早く、しかも経済負担可能な範囲で飛行する技術は急速に世界に普及するだろう。V-22オスプレイの投入でイラクはロードアイラインド州ほどの移動範囲に縮小された。SR-72ならインド太平洋はカリフォーニア州の大きさに縮むのではないか。■

この記事は以下を再構成したものです。

The Air Force Might Be Getting a Mach 3 SR-72 Bomber

That would be amazing.
March 20, 2020  Topic: Technology  Region: Americas  Blog Brand: The Buzz  Tags: SR-72MilitaryTechnologyWorldU.S.SR-71 BlackbirdAir Force

2020年3月22日日曜日

画期的な小型ターボジェットエンジンの登場で装備品の様相に変化が生まれる

巡航ミサイルのエンジンはもともと小型でしたが、さらに小型化を目指しているのですね。ただしスウォームに応用するにはもっと小型化が必要なのでしょう。小型化といえば日本の得意分野ですね。クレイトスはここに来て登場頻度が高くなってきました。

空軍は低コスト巡航ミサイル開発のため低コスト小型エンジンの開発を進めているが、同エンジンは広く応用されそうだ。

米空軍は画期的な小型・低コストのターボジェットエンジンのテストの成功を発表した。テストはグレイウルフGray Wolfと呼称される事業の一環で安価な巡航ミサイルの実現を狙う。

テストに成功したのはテクニカルディレクションズTechnical Directions Inc. (TDI)のTDI-J85エンジン。同社は無人機メーカー、クレイトスの事業部。空軍研究実験本部(AFRL)がグレイウルフに携わり、F-16ヴァイパーに同エンジンを搭載した写真を公開した。写真ではグリフォンエアロスペースのロゴが写っている。AFRLは2017年にグレイウルフ事業を発表し、ノースロップ・グラマンロッキード・マーティン両社にテスト機材の提供で契約交付していた。

「今回のテスト成功で同エンジンさらにウェポンシステム全体への信頼性が増進した」とAFRLがまとめた。「TDI-J85開発は巡航ミサイル開発と並行作業で難題だったがAFRL、TDI、ノースロップ・グラマンとの共同作業が大きな成果を示した」

USAF
TDI-J85を推進手段に導入したノースロップ・グラマンのテスト機材がF-16ヴァイパーの主翼下に搭載された。

TDI-J85は推力200ポンドで本体重量はわずか28ポンド。これに対しウィリアムズF107ターボファンエンジン(AGM-86B空中発射式巡航ミサイルALCM他トマホーク対地攻撃巡航ミサイルに採用)の推力は600ポンドで重量は67ポンドある。

TDI
TDI-J85エンジン


「TDI-J85エンジンは飛行中始動に成功したほか、高高度での作動も実証した。同エンジンは性能要求を満たし、燃料消費率も予測通りの実績を示した」「累計作動時間から設計耐久性へ信頼度が高まった」とAFRLは発表。

「エンジン設計では最終価格と整備性に主眼を置き大量生産を想定した。エンジン性能が実証された」「この大きさ、価格のエンジンでこの高度で作動に成功したのは初」(AFRL)

AFRLはTDI-J85の単価を発表していないが、上記F107では2014年時点で190千ドルだった。

TDIは小型ジェットエンジン技術の開発に注力しており、2013年に空軍予算150万ドルを交付され、「小型低コスト推進手段」の名称で開発を開始していた。契約は2016年まで継続され、その後グレイウルフ事業が立ち上げられた。

低コストで燃料消費率が高いエンジンが同事業の中核で空中発射式巡航ミサイルの全体コスト引き下げを目指す。最新の2021年度予算要求ではAGM-158A共用空対地スタンドオフミサイル(JASSM)とAGM-158BJASSM-射程拡大型(JASSM-ER)の概算単価は126.6万ドルで批判の的となっていた。

コスト削減以外に燃料消費効率が引き上がれば搭載燃料を増やさず長距離を飛翔でき、燃料搭載を減らした分だけペイロードを増やしても有効射程が犠牲にならない。

空軍は「250カイリ超の巡航性能」を有する低コスト巡航ミサイルの実証をめざす。この距離はJASSMの有効射程に近いが、JASSM-ERや今後登場するAGM-158DのJASSM-XR、AGM-86BALCM、トマホークの性能より短い。

エンジン改良は空中発射式巡航ミサイル以外にも可能だ。TDI-J85はその他の新世代装備、おとり、無人機に応用できる。

空軍が目指すグレイウルフの全体像ははっきりしない。2019年6月に空軍は当初想定していたネットワーク化大量投入小型装備への応用は断念しゴールデンホードGolden Hordeと呼ぶ別事業を立ち上げると発表した。

USAF
グレイウルフ事業の当初の説明資料

グレイウルフ事業が終了しても、画期的なTDI-J85が別事業に応用されるのは確実だ。TDIは米軍の別契約で低コストかつ低燃費エンジンの開発に取り掛かっている。

いずれにせよ、空軍が画期的な低コスト巡航ミサイル開発をめざしているのは確実で、その他装備の開発にも大きな影響が出そうだ。■

この記事は以下を再構成したものです。

Air Force's Gray Wolf Program Tests Game-Changing Small Low-Cost Jet Engine
The Air Force funded the development of the engine as part of a project to develop low-cost cruise missiles, but it could have wider applications.
BY JOSEPH TREVITHICKMARCH 20, 2020


2020年3月21日土曜日

イスラエルのイラク原子炉空爆(1981年)から学べる点とは---イラン攻撃はあり得るのか

イラクがこの時点で脅威だったのは事実ですが、イスラエルの独断での行動が非難対象になったのはなんとも皮肉です。当時と違い現在は国連など相手にせず単独行動をとっても批判の量が減っていると思いませんか。さて、イラン攻撃が何度も話題に登るイスラエルですが、本当にテヘラン攻撃に踏み切る可能性はあるのでしょうか。マサダコンプレックスや大戦中の大量虐殺の記憶が生々しいイスラエルの人たちの思考方法は実に明確で、自信に満ちていますね


どの国も動かない中、イスラエルが作戦を実施し、核兵器製造用と思われたイラクの施設を空爆した。
イラクがサダム・フセイン独裁体制のもとで核兵器の入手を画策していることを1970年代末に国際社会は知るに至った。発電用の原子炉購入を隠れ蓑にしようとしていた。当時のイラクは領土拡張の野望と、「シオニストの本拠地」イスラエルへの敵意を隠す素振りもなかった。フセインは1968年にイラク大統領の座に上り詰める前20年にわたりバース党で戦闘や暗殺の現場に立っていた。
大統領に就任したフセインはイラクを核保有国にして、イスラエルが保有しているとされる核兵器に対抗せんとした。フランスと締結していた条約を利用し1975年にフランスから原子炉をチグリス川のほとりアル-ツワイタ研究施設に建造するため資材を購入することとした。ここは首都バグダッドからわずか12マイルしか離れていない。フランスは同時に濃縮兵器級ウラン72キロの売却も承認し、原子爆弾一個分の製造が可能となる量だった。専門家は原爆完成を1980年代初頭と見ており、イスラエル首都のテルアビブへ投下すれば10万名が死亡すると推定した。
世界はこの売却に警戒した。米国は英国と外交上の懸念を示し、国連の国際原子力エネルギー機関はイラクの核開発事業への査察を増やした。だが西側はアラブ世界の排除には気乗りせず、1973年の石油禁輸措置の記憶が新鮮だった。そうなるとフセインのめざす核武装でまっさきに脅威を受けるイスラエルは独自に対応が必要となった。その第一波が1979年4月でイスラエル情報機関モサドの工作員がフランスからイラクへ移動途中の炉心部をラ・セーヌ=シュル=メールで差し押さえた。工作員は倉庫を爆破し、炉心部品を損傷させた。イラク関係筋はフセインが怒り狂うのを恐れ、損傷した部品の受け取りに合意した。
このあと15ヶ月に渡りイラクやアラブ各国で主要原子力科学者がイスラエルにより暗殺され、イスラエル科学者もヨーロッパ訪問中に暗殺されている。そのやり口も喉を切り裂く、自動車事故を装う、流感のような疾病に急に罹患する、血液に毒を注射するなど各種で、イラクの研究活動は減速したがフセインは進展を強く求めた。原爆製造を聞かれ、「ラクダに乗ることしか知らない国民がどうやって原爆を作れるんだ」と大統領は白白とのべていた。一方でフランスには93%濃縮ウラン72ポンドの引き渡しを求め、実現するまでは支払いせず、石油輸出も差し止めると脅かした。フランスは契約履行に合意した。
イランイラク戦争勃発から9日後の1980年9月30日に第二波がきた。イスラエルはF-4Eファントム二機編隊でイラクを空爆し、建設途中の原子炉を標的とした。ファントムはロケット2発を発射し原子炉格納容器を損傷したものの、完全破壊に至らなかった。現場にいたフランス、イタリア建設要員は避難し、工事は止まった。
その後、イスラエル首相メナヘム・ベギンは次の選択肢を検討し、原子炉空爆もその一つだった。実施すれば大きな影響が出る懸念があり、さらにイスラエル-イラクを往復すると1,100マイルを超え、イラクがイランと戦闘中とはいえ、報復攻撃も十分ありえた。さらに重要なことにベギンはエジプト大統領アンワル・サダトが気がかりだった。1979年キャンプ・デイヴィッド和平条約である。攻撃実施はエジプトとの条約違反にはならないが、エジプトは1982年4月までにシナイ半島からのイスラエル撤退を求めており、その動きは予測不可能だった。

バビロン作戦
ベギンはリスクを秤にかけ、イラクが核武装したらイスラエルには耐えがたいので、先制攻撃は実施の価値があると判断した。急襲作戦が最良と見たのはイラクがイランとの地上戦継続で弱体化していると判断したためだ。原子炉運転の開始前のため、攻撃しても放射能汚染はバグダッドまで広がらないと考えた。1981年3月末にモサドが外国人作業員の帰国が始まったと報告してきた。また原子炉建造工事の再開も判明した。ベギン政権は外科的空爆の実施を5月はじめに設定した。暗号名はバビロン作戦に決まった。
モサドはフランスが濃縮ウラン全量をイラクに発送したのを把握した。遅れたが実行日は1981年6月7日日曜日の日没時間近くと決まった。日曜日にしたのは原子炉工事にあたる外国人作業員100-150名が現場を離れると判断したためだ。さらに日没時間を選んだのは万一撃墜パイロットが発生しても戦闘捜索救難チーム(CSAR)のCH-53ヘリコプターで夜通し捜索活動が展開できるからだった。午後3時にCH-53各機が待機位置につく。ヨルダン国境から100マイル西の地点だ。乗員にはミッション内容は告げられず、捜索隊は各国の領空に侵入してもよく、パイロットを救難するとだけ命令された。4時に、米国製F-16の8機編隊がシナイ砂漠地帯のエチオン航空基地を離陸した。370ガロンの燃料タンクを追加搭載して飛行距離を伸ばした。
機体重量を考慮しサイドワインダーミサイルは2本に減らし、ジャミング装置も取り外した。それでも離陸重量は設計仕様の2倍程度になった。空爆用にMK-84爆弾(2,000ポンド)2発を搭載し、爆撃工程は極力単純化した。爆撃隊援護にF-15の8機編隊が付き、イラクのレーダー妨害もこなした。またボーイング707指揮統制機がイスラエル上空を周回飛行し、イーグルが通信を中継した。
各機は途中でアラブ航空基地7箇所を迂回した。ヨルダンのF-5E、イラクのミラージュ4000、MiG-23、MiG-25による迎撃を考慮する必要があった。アル-ツワイタには対空火砲陣地やSAM-6が配備されていた。シナイ半島を離陸した攻撃隊はアカバ湾を東に横断し、サウジアラビア北部を通過し、ヨルダン国境付近でイスラエルは対空レーダーが有効でないと把握した地点を通った。イスラエルにはサウジアラビアが当日稼働させる米製空中早期警戒機は一機のみとの情報も入っており、警戒対象はペルシア湾とわかっていた。無線交信は予め設定した通過地点五箇所のみとし、交信も英単語のみとした。英語が航空界の共通語なので傍受されても民間航空の交信と理解されるだろうとした。
8名のF-16パイロットは集中訓練を受け選抜され、二組に編成された。
編隊は高度100フィートを360ノットで飛行し探知を逃れた。サウジアラビアを横切り、バグダッドへ進路変更した。攻撃は数分で終わった。F-16は二機ずつで、5,000フィートまで4秒で上昇し、急降下して原子炉側部に爆弾投下した。事前練習通りだった。一発目が命中すると建屋に穴が開き、2発目以降が原子炉を直撃した。16発のうち14発が原子炉を精密に攻撃した。空爆を目撃したフランス人作業員はイスラエルの精密攻撃は「驚くべきもの」と表現している。空爆で作業員8名が死亡し、1名はフランス人技術者だった。

「許しがたい近視眼的侵略行為」
攻撃は2分間で終わり、大型タムズI型原子炉が破壊された。小型のタムズII原子炉の精密装置と工事基盤が使えなくなった。イラクの対空陣地要員は空爆時に食事中でレーダーは切っていた。反応が遅れたためSAM-6は一発も発射されなかった。逆に対空火砲の巻き添えでイラク地上部隊に死者が出た。予想通りサウジのAWACSはペルシア湾を向いており、イスラエル部隊は探知されなかった。攻撃隊はエチオン基地に午後7時に帰投し、復路でも敵機との遭遇はなかった。この時のパイロットの一人イラン・ラモンはイスラエル初の宇宙飛行士になり、2003年2月のコロンビア宇宙シャトル事故で死亡している。
世界はイスラエルを一様に非難した。普段はイスラエルに心情的に近いレーガン政権も今回は非難の側に回った。米国連大使ジーン・カークパトリックは空爆を「ショッキング」と表現し、ソ連のアフガニスタン侵攻になぞらえた。フランスはイスラエルの行為を「受け入れがたい」とし、現場で生命を落とした自国技術者を英雄とたたえた。英国は「国際法の深刻な違反」と糾弾した。ニューヨーク・タイムズ社説はイスラエルの抜き打ち攻撃でフランス製原子炉をバグダッド近郊で破壊したのは「許しがたく近視眼的な侵攻」と決めつけた。国連安全保障理事会決議はイスラエルによる攻撃を全会一致で非難した。とはいえアラブ世界では抗議の声が高かったものの、イスラエルが報復攻撃を受けることはなかったし、国連決議もイスラエルを制裁しなかった。(米国が拒否権をちらつかせたためである)ロナルド・レーガン大統領は今回の事件に対していたずらっぽく、「血気盛んな坊やはいつまで立っても変わらない」とだけ述べた。
サダム・フセインは被害者面をして「平和愛好国すべてがアラブに援助を差し伸べており、ゆくゆくは核兵器を取得」し、イスラエルの攻撃的な傾向を打ち破りたいとした。同時に当日のアル-ツワイタでの防御のお粗末さへの批判をかわそうとイスラエル攻撃にフランスが関与していたと主張した。その数カ月後に、爆撃現場にあらわれ、ピストルを腰にイラク科学技術陣に「こんなことで怖気づいてたら、本当の撃ち合いに対応できない」と告げ、お説教はしたものの懲罰はしなかった。おそらくその理由として、原子炉を地下建設する案を自ら却下したことがあったのだろう。
国際世論は厳しかったがイスラエルは屈しなかった。「イスラエルに謝罪の理由がない」とベギンは空爆後の記者会見で述べた。ベギンは「イラクはイスラエルに三発でも四発でも原爆投下することに躊躇しないはず」と発言。3週間がたち、ベギン率いる強硬派リクード党は世論調査で圧倒的支持を得て、さらに数カ月後に米国がこっそりとF-16の販売再開を持ちかけてきた。米軍が1991年、2003年にイラク侵攻をしたが、イラクの核報復攻撃はまったく懸念されずにおわった。イスラエルによる果敢なアル-ツワイタ空爆のおかげだった。■

この記事は以下を再構成したものです。

How Israel Literally Blew up Saddam Hussein's Nuclear Weapons Program

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March 21, 2020  Topic: History  Region: Middle East  Blog Brand: The Buzz  Tags: IsraelIDFIraqIraqi Nuclear ProgramNuclear Proliferation