B-52 At Edwards AFB Sports Nose Art That Commemorates Its Past As “Mothership” In Top Secret D-21 Drone Test Program
エドワーズAFBのB-52についたノーズアートでトップシークレットD-21無人機テスト事業の母機であった履歴を誇示
- 第419フライトテスト飛行隊のB-52にこのたび新しいノーズアートが付き、同機がトップシークレットのテスト事業に関与してきたことを表している。
- エドワーズ空軍基地で活動する第412試験飛行隊のB-52 #60-0036 の新しいノーズアートは有名な航空画家マイク・マチャットによるもので同機がトップシークレットの「タグボード」に50年前に関係してきたことを示している。
- ソ連上空の有人機飛行はフランシス・ゲイリー・パウワーズのU-2が撃墜された1960年5月1日の事件を受けて、ドワイト・アイゼンハウアー大統領が全面禁止した。当時は衛星による情報収集がまだ実用化されておらず中央情報局は無人機で衛星実用化までの空白を埋める決定をした。
- タグボードではD-21ラムジェット推進偵察無人機を使い、マッハ3飛行を目指した。D-21は空中発射方式で母機が必要だった。
- 当初はM-21(SR-71改装機)をD-21無人機を機体上部に乗せて使われた。スパイ飛行の後無人機は機体ハッチを開け写真装備一式を空中で(パラシュートで減速してJC-130Bで)あるいは地上で回収する構想だった。
- ただし公式発表では「四回目の飛行テストではD-21はM-21の飛行軌跡の中で『非対称型非起動』になり、母機にピッチが加わりマッハ3.25でD-21がM-21が衝突した。乗員ビル・パークとレイ・トリックはM-21から射出脱出したがトリックの飛行服が破れ着水後に死亡した」とある。
- この際の様子は随行したブラックバードが撮影している。この下を見てほしい。https://www.youtube.com/watch?v=GMyC2urCl_4
- この事故でM-21発進は見直され、ロッキード・マーティンはB-52Hから発進することにした。その機体が#0036だ。D-21プロジェクトにはシニアボウルのコードネームがついた。
パームデール(カリフォーニア州)の米空軍第42プラントにあるブラックバードエアパークに陳列してあるD-21無人偵察機。D-21はマッハ3のラムジェット推進方式で母機から発射した。(Courtesy photo by Danny Bazzell/Flight Test Historical Foundation)
- 「最初のB-52からのD-21発進は1968年6月16日に成功した。無人機は高度9万フィートで3千マイル飛行した。その後数回の飛行テスト後にCIAと空軍は四回の発射を実施したが、すべて失敗した。二回は成功したが、画像はD-21から回収に失敗した。別の二回は一回は高度防空地で喪失しもう一回は発射後に行方不明となった」
- D-21は1971年7月15日に中止され、試験用B-52母機は空軍の一般任務に復帰した。
- その機体#60-0036は2001年以降エドワーズで第419飛行試験飛行隊に配属され、テストベッドを務めている。
第419フライトテスト飛行隊がエドワーズ空軍基地のフライトラインに休んでいる。10月16日撮影。同機# 60-0036はタグボードの名称で始まった極秘テストに使用されていた。これにはD-21ラムジェット推進偵察無人機が使われマッハ3飛行を目指した。D-21は母機の主翼下から発進する想定だった。 (U.S. Air Force photo by Kenji Thuloweit)
- D-21無人機のマッハ3飛行がM-21あるいはB-52で50年前に行われていたが現在はどんな秘密テストが実施されているのだろうか。■
この記事を読んで急いで自分のとった写真ファイルを探しました。ありました中国航空博物館(北京市)に陳列されていたD-21の残がいの写真が下の通りです。文中にある高度防空地とは中国のことだったのですね。ちょっとピントが甘い写真ですがご容赦ください。
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