104 to 0: The F-15 Eagle Is The Fighter No Air Force Can Beat
104対0 F-15イーグルにはどの国の空軍もかなわない (前編)
December 29, 2017
ボーイングおよび米空軍の公式発表ではF-15イーグルの空戦実績は104対0で一機も喪失していない。だが敵側勢力から同機を撃墜したとの主張が数例出ている。
だがその内容には撃墜の証拠がないことが共通している。
最初の事例は1978年でイラク第39戦闘機隊所属のMiG-23MSがイスラエルのF-15をイラク西部で撃墜したとするがいまだに何の物証が示されていない。
次のF-15撃墜とされる1981年春の事例はよく知られている。話は多少異なるがすべてロシア側報道機関が伝えている。
一番広く流れている内容では1981年2月13日にイスラエルF-15編隊がシリアのMiG-25P編隊を待ち伏せし一機を撃墜したが、シリアが今度は待ち伏せをかけ同年1月29日にMiG-25PがR-40/AA-6エイクリッド空対空ミサイルを25マイル先から発射しF-15一機を撃墜したことになっている。
ただこの話には難がある。シリアもロシアも共にレーダー記録や残骸の物証を示していない。またシリア空軍はMiG-25Pは受領していない。シリアが入手したのはMiG-25PDS迎撃型二機だけでMiG-25Pではない。
MiG-25PDSは輸出用劣化型フォックスバットと評されることが多いが、実は初期型より装備が充実していた。スメルチ2AレーダーがMiG-25Pに搭載されていたが、PDSでは赤外線探知追尾装備、レーダー警告受信機、チャフ・フレアディスペンサーも搭載していた。
そこで「シリアのMiG-25P」との表記そのものに記事の信ぴょう性を疑わせるものがある。
さらにイスラエルが1981年2月にフォックスバットを撃墜したがMiG-25R偵察型でレバノン上空を単機飛行中だった。この撃墜が重要なのはロシア側の説明と対照的にシリアがMiG-25PDSが単機飛行中にF-15を返り討ちにしたと発表していることだ。
シリア側の発表ではMiG-25PDSがMiG-25Rのふりをしてベイルート方向へ航空高速飛行をしていた。イスラエルF-15の8機編隊が迎撃に向かうとシリア機はR-40ミサイル二発を編隊長に向け発射した。それぞれ37マイル、31マイル離れた地点からとAIM-7Fスパローミサイルの射程外で、イスラエル装備でこれが当時最大射程の空対空ミサイルだった。
シリア軍によればミサイルが命中したF-15は海中に墜落。パイロットは射出したようだ。この同じ出来事をイスラエルはF-15がスパローミサイルでMiG-25を撃墜したとしている。
1982年6月9日午後の事例はよく知られれている。シリアのMiG-21がF-15DにR-60/AA-8ミサイル一発を命中させた。イスラエルパイロットは損傷を受けた機体を基地に緊急着陸した。機体はその後修復された。
当時流布された事例には再考の余地がある。1982年7月3日、シリアMiG-21の8機編隊がイスラエルF-15、ミラージュIIICJあるいはクフィール各4機とベイルート上空で対決した。シリア側は自軍4機喪失を認めつつ、イーグル一機の撃墜を主
張した。
イスラエル側に当日の空戦を伝えるものがないのだが、この交戦には地上で目撃者十数名がレバノン報道も広く伝えていた。
ロシア文献ではイスラエルF-15撃墜事例が少なくとも3例ありすべて1983年発生とある。シリアのMiG-23MLが10月4日に二機のF-15を、12月4日にも1機を撃墜したと主張している。ロシア側の説明にシリア側パイロットの名前はおろか、三事例をうらづける証拠は示されていない。
(後半に続く)
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