毎日うっとうしいのが朝鮮半島を巡る情勢です。
そこで今回は頭の体操で「もしも」の世界を考えて
みましょう。「第一次」朝鮮戦争で北が勝っていたら...ですが、
「第二次」でそうなれば日本にとってもっと過酷な現実がのしかかるのは必至ですよね。お相撲さんのわけのわからない話やモリカケどころではないのです。
そこで今回は頭の体操で「もしも」の世界を考えて
みましょう。「第一次」朝鮮戦争で北が勝っていたら...ですが、
「第二次」でそうなれば日本にとってもっと過酷な現実がのしかかるのは必至ですよね。お相撲さんのわけのわからない話やモリカケどころではないのです。
A Scary Scenario: North Korea Wins the Korean War (And History Is Changed Forever)
恐ろしいシナリオ:朝鮮戦争が北朝鮮の勝利で終わっていたら(世界史は永久に変化していたはず)
December 5, 2017
http://nationalinterest.org/blog/the-buzz/scary-scanerio-north-korea-wins-the-korean-war-history-23498?page=show
Michael Peck is a contributing writer for the National Interest. He can be found on Twitter and Facebook.
Image: Missiles are driven past the stand with North Korean leader Kim Jong Un and other high ranking officials during a military parade marking the 105th birth anniversary of North Korea's founding father, Kim Il Sung, in Pyongyang, April 15, 2017. REUTERS/Sue-Lin Wong.
冷戦がここまで熱くなったことがあっただろうか。米軍50千名は生命を失うのか。米本土住民は北朝鮮製核兵器の飛来を心配することになるのか。
仮想史では想定や推定がばかげていることのが問題だ。だが朝鮮戦争で北朝鮮が勝利を収める可能性は想像以上に大きかった。金日成の軍は1950年8月、勝利一歩手前にあり、ソ連製戦車部隊が装備も劣り士気も下がった韓国軍を蹴散らしていた。韓国各地が占領され、急派された米軍部隊は釜山周辺の守備で精いっぱいだった
9月に米海兵隊部隊のインチョン上陸で国連軍の反抗が始まった。北朝鮮軍は撃退され38度線から北へ押し戻された。だがもし海兵隊が派遣されなかったらどうなっていたか。海兵隊を派遣できたのはソ連の国連大使が出席をボイコットしたためにすぎない。中国が台湾の代わりに国連に加盟すべきという主張が通らなかったためだった。もし大使が席を離れなければ国連初の武力行使決議に拒否権を行使していたはずだ。
国連の大義がなければトルーマン政権は部隊派遣を断念していたかもしれない。1941年に米軍はファシズムへの対抗を始めた。1950年には「警察行動」を侵攻勢力に対し行使した。
事実、米国は共産勢力の侵攻が発生するまで韓国など気にかけていなかった。1950年1月に国務長官ディーン・アチソンが韓国は米国のアジア防衛圏の圏外だと発言してしまった。トルーマン大統領は北朝鮮侵略は米国の兵力を西欧から引き抜くおとりだと心配していた。
そのため米国が韓国不介入を決意していてもおかしくない理由が多数あり、米介入がなければ韓国は占領されていただろう。
そこに中国問題が加わる。朝鮮戦争は二期にわかれ、第一期は北朝鮮が侵攻した1950年8月と同年11月の中国攻勢だ。30万強の中国軍が米軍国連軍を強襲し、北朝鮮から追い出し、再び38度線以南に戻した。中国軍は兵站補給能力の不足で韓国全土を席巻できなかったが、1950年から51年にかけてパニックに陥った冬に米軍・国連軍が朝鮮半島から全面撤退していてもおかしくなかったのだ。
その場合、南北朝鮮は共産党支配の下で統一されていたはずだ。南では統制が厳しく実施されていたはずだが戦勝とともに敵意を示す南の政府が消えたため政権側は過度に残酷になっていなかったはずだ。
北は中国式の経済改革に乗り出していたかもしれない。北朝鮮は核兵器やICBM開発の必要は今ほど強く感じなかったはずだ。それでも支配層は安眠しながら一般国民は生きるため草も食べる生活を迫られていただろう。
朝鮮半島で共産勢力が勝利して冷戦も共産側の勝利になるのかとの疑問が生まれる。現地で戦死した方には申し訳ないが、朝鮮戦争とは朝鮮のための戦争ではありえなかった。朝鮮の安全保障が問題ではなく、西欧、日本、共産中国の安全保障が重要だった。
朝鮮での敗北で米国は日本に焦点を当てていたはずだ。トルーマンは米保守派から中国を共産主義に明け渡したと非難されていた。北朝鮮の勝利で日本がソ連の侵攻をうけるとの恐れが強まり、米国としてはアジアの安全保障をさらに強めることになっていただろう。
北朝鮮の勝利から共産主義勢力が世界を支配するとの恐れが米国に強まっていたはずだ。事実、金日成はスターリンの承認で韓国へ侵攻しており、自らの意思で行動したのではない。朝鮮での勝利でスターリンなりフルシチョフが勇気づけられていただろうか。知る由もない。
米国はベルリンやスエズでもっと強硬に行動しただろうか。韓国を喪失し威信を傷つけられた超大国が次の機会で速攻で決定的に行動していただろうか。
北朝鮮の勝利でドミノ理論が早期に採択されていただろう。朝鮮戦争の勃発と同時にフランス領インドシナで共産勢力が反乱を開始した。フランスはヴィエトミン制圧に苦しみ、米国はフランスの要請で航空支援でデディエンビエンフーのフランス守備隊を助けていただろう。あるいは米国は南ヴィエトナム政府支援で史実の1965年より以前に戦闘部隊を派遣していたかもしれない。
朝鮮についてオマー・ブラドレイ大将が「間違った場所で間違った時に間違った相手との間違った戦争」と評したのは有名だが正しい戦争だったのではないか。朝鮮半島で共産勢力の勝利を実現させなかったことが第三次世界大戦を食い止める決定的な効果になったのではないか。■
Michael Peck is a contributing writer for the National Interest. He can be found on Twitter and Facebook.
Image: Missiles are driven past the stand with North Korean leader Kim Jong Un and other high ranking officials during a military parade marking the 105th birth anniversary of North Korea's founding father, Kim Il Sung, in Pyongyang, April 15, 2017. REUTERS/Sue-Lin Wong.
This first appeared earlier in the year
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