2018年1月2日火曜日

2018年の展望---日本の「空母」保有に向けた動きが正式に決まる

他国から憲法違反と言われる筋合いもないのですが、憲法改正が待ったなしにきているのかなと思います。2018年は「いずも」問題が政界の中心的話題になりそうですね。その場合、現実をベースにした議論を期待したいのですが、中国の発言をいいことにまた反対のための反対を言い出す議員が現れそうで不安になります。このほか、イージスアショアやオスプレイさらにはF-35の増備など2018年は安全保障問題でにぎやかになりそうです。ぜひ、メディアにはF35などというふざけた呼称は即刻辞めていただき正確に伝える努力をしていただきたい。また各装備の意義や能力を大まかでもいいので勉強してから報道してもらいたいものです。



Will Japan Become an Aircraft Superpower Again?

日本は再び空母運用で大国になるのか
December 29, 2017


本が再び空母運用国になろうとしているとロイターが伝えている。
今週ロイターは匿名の政府関係者三名の談として日本がいずも級ヘリコプター駆逐艦を米製ステルス戦闘機運用艦に転用しようとしていると報じている。別の新聞報道もこの記事を裏付けており、別の日本政府内筋の発言を引用した。
ロイター報道内容を受け小野寺五典防衛相は否定したものの歯切れが悪かった。「我が国の防衛姿勢についてはつねに各種検証を行っているが、具体的にF-35B導入あるいはいずも級護衛艦の改修を検討しているわけではない」としたが、「各種選択肢の必要はたえずある」と述べた。
生ぬるい否定の仕方だが両艦を空母に変換する日本の構想はとんでもない内容ではない。一号艦が登場した2013年の段階で多くの声が「皮をかぶった空母」だと表現していた。理由は想像に難くない。全長250メートルで排水量24,500トンだ。新型ヘリコプター「駆逐艦」はそれまでの日本最大の艦ひゅうが級より50%大きく、スペインやイタリアの短距離離陸垂直着陸(STOVL)空母よりも大きい事実を指摘する人も多かった。
ロイターの取材源は改装内容として「飛行甲板の末端部をカーブ付きランプとすること、飛行甲板の熱耐性を引き上げること、航空管制機能を引き上げること」があるという。これは専門家諸氏が一号艦の就航時に予測した内容と一致する。例えば、国際海事安全保障センター(CIMSEC)のマシュー・ギャンブル Matthew Gamble は2016年に「STOVL機を各艦で運用する可能性は大」と見ていた。F-35運用にはギャンプルはThermion加工でF-35排気のすざましい熱から防護が必要と指摘し、さらにスキージャンプが離陸に役立つとも述べていた。
ただし実際の改修に入る前に日本は航空機材を購入する必要がある。日本は共用打撃戦闘機の協力国の立場で42機の調達を2011年に発表していた。ただし全機がF-35A仕様でSTOVL性能はない。日本がF-35を追加調達するとの報道も出ていた。テッド・ヨーホ下院議員Rep. Ted Yoho(共、フロリダ)がワシントン・エクザミナー紙に9月日本からF-35追加調達の意向が文書で示されていると語ったが、機数までは述べていない。その対象がF-35Bの可能性がある。
いずも級ヘリコプター「駆逐艦」からステルス機を運用すれば、確実に中国等の地域内の国が警戒する。真珠湾攻撃の時点で帝国日本海軍は世界で最多の空母を優秀なパイロットともに保有していた。ただし終戦までに日本空母は一隻を残し全部沈み、戦後日本は平和憲法になじまないと空母は避けてきた。
そこでいずも級ヘリコプター駆逐艦の艦容に警戒心を示す向きが現れている。一号艦の進水時から中国国営メディアは「日本の軍事装備品の一貫した拡充に懸念を抱く。日本のアジアの隣国や国際社会はこの流れに警戒せざるを得ない。日本は歴史から学ぶべきで、自国防衛に徹し平和理に進むとの公約を守るべきだ」との中国国防省の発言を伝えていた。驚くに値しないが、中国関係者は今回のいずも級改装案についても即座に警告を発しており、外務省報道官がその動きでは平和憲法に反するとまで言明していた。
もちろん中国自身が軍事力を拡張しており、空母も国内建造中だが、これが日本に防衛能力の再編を検討させているのである。朝日新聞は防衛当局が改装いずも級は「尖閣諸島など遠隔島しょ部を」防衛する手段だと述べているのを伝えた。ロイターはいずも級改装は「ミサイル攻撃で滑走路が破壊されるシナリオに備える」狙いがあると述べていた。
朝日の記事では防衛省関係者は改装しても「防御的」空母であり、憲法に抵触しないと述べている。記事では改修を進める決定は2018年の中ごろには決まるともあった。■

Zachary Keck (@ZacharyKeck) is a former managing editor of The National Interest.

Image: Wikimedia Commons.

2018年1月1日月曜日

歴史に残る機体15 B-24リベレーター爆撃機

歴史に残る機体15 B-24リベレーター 味ながら驚異の大量生産で大戦の勝利に貢献したのが同機です。当時の爆撃は重力に任せての投下で良くて数パーセントの命中率しかなかったので大量の機体から大量の爆弾を投下する必要があったのですね。今日はスマート爆弾のような精密誘導兵器があるので空を覆うような大編隊は必要がなくなったことになっています。そのためこのような数千機数万機を生産し搭乗員を養成し運用をシステムで行う事態は想定していません。戦争の在り方がかわってしまっているのですが、人間の頭の方がついていっておらず、やれ徴兵復活だのイメージで騒ぐ手合いが多いことには閉口しますね。やれやれ、新年からぼやきですか。


78 years ago, the B-24 Liberator took its first flight — here's how it helped bring down the Nazis

B-24初飛行から78年、ナチ打倒にどんな貢献をしたのか



B-24 Liberator bomber aircraft World War IIB-24 Air Force on a mission in 1944.(AP Photo)
米軍はボーイングB-17の増産を1930年代末に計画する中で、コンソリデーテッドエアクラフト社にも生産参加の打診をした。だがボーイングのシアトル工場を視察した同社は別の機体を提案してきた。
コンソリデーテッドは設計検討では新型爆撃機としてB-17を超えた性能を期待された。同社はすばやく設計案をまとめ試作機XB-24の製作契約を1939年3月に交付された。
1939年12月29日、XB-24が初飛行したがナチドイツの電撃戦がポーランドで9月に始まった数か月後だった。1940年春にはアドルフ・ヒトラーの軍は西欧に進軍し、コンソリデーテッド新型爆撃機は英国に送られた。
B-24 Liberator bomber aircraft World War II
フランクリン・D・ロウズヴェルト大統領がB-24リベレーター爆撃機の部隊編入を視察した。機体は米国で訓練を受けたユーゴスラビア軍要員が運用した。ワシントンDC,1943年10月6日。(AP Photo)
1940年にナチドイツは勝利一歩手前だった。米国はまだ参戦していないもののフランクリン・ロウズヴェルト大統領は米産業界に生産を戦時体制に変えるよう強く求め、敗北寸前の連合国軍の状況を変える軍事装備の生産が始まった。
「銃を、航空機を、艦船を、さらに多くを米国内の工場で武器工廠で生産する必要がある。全国で数十万名の作業員の養成が必要だ」とロウズヴェルトは1940年12月29日に述べて。「民主主義の兵器工場にならなければならない」
B-24にはリベレーターの名称がつき、各戦線で活躍したが、特にヨーロッパでドイツ軍の打破に尽力した。
1941年初頭には他社もB-24生産に加わり、中でもフォード自動車が大胆にも一時間で一機完成させると公約したが、航空機産業界の嘲笑を買い、自動車産業に実現できるはずがないと見られていた。

By the beginning of 1941, other manufacturers had joined the effort to build B-24s. The Ford Motor Company made the audacious promise to build one bomber every hour — a claim that drew derision from the aircraft industry, which doubted an automobile company was capable of such a feat.
モデル32の制式名称がついたB-24がサンディエゴ沖合を試験飛行中。この後同機は英国に回航された。生産初期の26機が英国向けに確保されていた。写真の機体には迷彩塗装と英空軍標識がついている。 1940年12月3日。(AP Photo)

 1942年1月にフォード社長のエドセル・フォードEdsel Fordがコンソリデーテッドのサンディエゴ工場でB-24を初めて目にし「怪物のような大きさだ」と述べている。試作機はその一年前に完成していたが、全長66フィート4インチで全高17フィート11インチ、翼幅110フィートと当時の米国で最長の機体だった。

In January 1942, when Edsel Ford, then the president of the company named after his father, first saw the B-24 at the Consolidated Aircraft factory in San Diego, he said, "It appeared a monstrosity." A prototype had been completed a year earlier, and the finished product was 66 feet 4 inches long and 17 feet 11 inches tall, with a wingspan of 110 feet — the longest of any aircraft of any kind in the US.
コンソリデーテッドエアクラフトの新工場内の組立てラインの一部を望む。1942年5月21日。(AP Photo)
 主翼は「異常に長く細い、高アスペクト比で異例なほどの揚力を稼いだ」とA・J・ベイムA.J. Baime "The Arsenal of Democracyに書いている。主翼は「機体上部に乗っておりまるで両腕を伸ばしているようだった。エンジン四発がぶら下がっていた」
 フォード自動車は機体内配線は5マイルが部品3,000点をむすび、部品の大きさは8インチから32フィートまで分布していると解析した。部品は85%がアルミ合金で鋼鉄は13パーセントだった。残りはマグネシウム、黄銅、プラスチック、ゴム他だった。
 一機にリベットは合計360千個が必要で、一部は16分の一インチで0.0005ポンドと極小だが一方でその50倍の長さで重量0.05ポンドのものもあった。

 フォードの技術主任チャールズ・ソレンセンCharles Sorensenはコンソリデーテッドエアクラフトは「とんでもない兵器」を作ったものだと思いながら同社の生産方式では時間ばかりかかると批判していた。フォードはB-24を短時間で生産できる組立ラインでの大量生産方式を検討した。
Ford and his top engineer, Charles Sorensen, believed Consolidated Aircraft had "created a hell of a weapon," but they criticized the company's production method, which was time-consuming and done in the open air, exposing the plane to the heat and cold. The Ford team knew how to build a lot of B-24s quickly: mass production on an assembly line.
フォード自動車のウィローラン工場でB-24の主翼中央部の組立が進む。1942年7月11日。ここから各工場で加工されてから同工場で最終組み立てされた。(AP Photo)
 型式によるがB-24には7名から10名が搭乗した。爆撃士が腹部から爆弾倉を開閉した。航法士、機関士も機関銃座を担当していた。銃座は機首、尾部、背部、腹部に配置されていた。
 コックピットには計器27種類、レバー12個で飛行速度と燃料を制御した。エンジン四発で4,800馬力を引き出し当時のフォードV8エンジン56基に相当した。
 「フォードV8と四発リベレーターを比較すのは車庫と摩天楼を比べるようなものだ」とソレンセンは書いた。だがB-24生産契約がフォードに交付された。全長1マイルと世界最大の組立工場ウィロウランで同機を生産した。本当に毎時一機の爆撃機が完成した。

"To compare a Ford V8 with a four-engine Liberator bomber was like matching a garage with a skyscraper," Sorensen wrote. But he formulated a plan to build B-24s that won over Edsel Ford: Make them on an assembly line housed in the largest factory in the world, a mile long and a quarter-mile wide, churning out one heavy bomber an hour. The plan would lead to the construction of the massive Willow Run plant near Ypsilanti.
フォード自動車の巨大なウィローラン工場でB-24リベレーター爆撃の最終組み立てが進む。1943年3月3日。(AP Photo)

 当初政府はフォード案を拒絶したが同社に480百万ドルで1,200機のB-24を「ノックダウン」生産する契約を公布し、同社はエンジンはじめすべての部品を組み立てた。1941年3月3日時点で800機が完成した。
 フォードは生産実施で数々の問題に遭遇した。青写真から再作成の必要が生まれた。新工場に専用生産設備が必要だった。また人員確保をし訓練も必要だった。
 戦時中のフォードは労使紛争や人種間緊張を同工場含むデトロイトでうまく収める必要があった。エドセルは父との関係も悪く、会社の将来の巡る確執も加わる。
 真珠湾攻撃により米指導層も航空兵力が必要不可欠な存在と理解した。陸軍長官ヘンリー・スティムソンは大統領に四発爆撃機で「世界規模の戦略変化」が生じると説いた。ロウズヴェルト自身は「勝利を得る唯一の手段が爆撃」と信じていたといわれるが、ドイツ軍が高性能機材を大量に保有しているとの報道からロウズヴェルトも米航空機生産の増強を戦時中通じ注視した。
 ウィローラン生産のB-24一号機は真珠湾攻撃の二日後に完成した。同機はウィローラン工場併設の飛行場で1942年5月15日に初飛行した。
 ウィンストン・チャーチルがカサブランカでの首脳会議への移動手段としてB-24を選んだのは1943年はじめのことだ。爆弾倉を乗客用の座席に変更した
 1942年のはじめにはB-24生産に四社が参加していた。コンソリデーテッド・エアクラフト、ダグラスノースアメリカン、フォードだった。このうちフォードのみが航空機生産とは縁がなかった。

 B-24は米軍の最速重爆撃機として構想され、最高速は300mph、航続距離は3,000マイルと他機の水準を超えていた。最大ペイロード8,000ポンドに匹敵する米爆撃機はなかった。三輪式の降着装置は爆撃機では初で最大離陸重量は60千ポンドだった。前輪タイヤも3フィートの大きさがあり、27千ポンドを支えた。

The B-24 was designed to be the US's fastest heavy bomber. Its top speed was 300 mph, and its range — 3,000 miles — was more than any other American airplane. Its maximum payload, 8,000 pounds, was more than any other US bomber could carry. When it rolled down the runway on its tricycle landing gear — a new design feature for bombers — its takeoff weight could be up to a colossal 60,000 pounds. The front tire, itself 3 feet tall, could carry 27,000 pounds on its own.
ニューギニアのサラマウを爆撃中のリベレーターの左翼下に爆弾の炸裂が見える。1943年。同地はその後連合軍が奪回した。(AP Photo/US Army Force)

 機体は薄いアルミ製で操縦士は鋳鉄製座席におさまり対空火砲等から守られた。機体には4千フィートに及ぶゴム、金属チューブで燃料や液漏れを防いだ。
 B-24にはゴム製燃料セル18基があり、うち12個を主翼中央、3個ずつを主翼外側に配置した。セル合計で16,320ポンド(2,720ガロン)の100-オクタンガソリンを搭載し、弾丸が命中すると自己修復する機構になっていた。爆弾倉には三種類の搭載方法があった。2千ポンド4発、1千ポンド8発、500ポンド12発および100ポンド20発だ。
 B-24は戦時中各方面で運用され、太平洋の遠距離移動や大西洋の通商航路をU-ボートから守る任務にまで投入された。連合国首脳部がカサブランカで会談した1943年1月に米司令部が米陸軍航空隊で最大に野心的な作戦を立案した。標的はナチ占領下のルーマニア都市プロエスチに広がる石油精製施設だった。攻撃が成功すればヒトラーの石油製造の三分の一が消える。同市はチャーチルが「ドイツ軍事力の源泉」とまで評していた。
B-24s would operate in every theater of the war. Its range allowed it to cover the long distances between targets in the Pacific and to shield Atlantic shipping lanes from roving U-boats. Before Allied leaders left their first meeting at Casablanca in January 1943, US commanders had an ambitious plan for the Army Air Corps' most important target in Nazi-occupied Europe: Ploesti, a Romanian city home to sprawling oil refineries. A successful strike there could take out one-third of Hitler's oil production. The city was "the taproot of German might," Churchill said.
米第8空軍所属のB-24編隊が占領下のヨーロッパ上空を飛行し爆撃に向かう。1943年8月12日。(AP Photo)
 ベンガジを離陸しリビア砂漠を横断し全行程2,400マイルになる。これだけ飛行してプロエスティを攻撃できるのはB-24のみだった。連合軍司令部は津波作戦と命名し1943年8月の決行とした。
 だがプロエスティこそ最大限に防空体制が強化された場所でレーダー警報から数多くの88ミリ対空砲陣地が展開していた。

 プロエスティ石油施設攻撃の試みは被害多く失敗に終わった。津波作戦は1943年8月1日に実行されB-24計178機に1,763名の陸軍航空隊隊員が搭乗しリビアから13時間の飛行を開始した。全機搭載の兵装は「ゲティスバーグ陸戦二回分を上回る火力」と陸軍航空隊所属の記者が書いた。だが大編隊はギリシアでドイツ軍前哨に探知されてしまう。さらに厚い雲に苦しむ。混乱し位置が分からくなった米機編隊はナチの対空装備で一番密度の高い地点に飛び込んでしまった。

The first Allied effort to knock out the refineries at Ploesti was costly and unsuccessful. Operation Tidal Wave kicked off on August 1, 1943, with 178 B-24s manned by 1,763 Army airmen leaving Libya laden with extra fuel for the 13-hour flight. They carried "more killing power than two Gettysburgs," an Air Corps journalist said. But the armada was detected by German sentries in Greece. The mission was further complicated by dense cloud cover north of Greece. Confused and disorganized, the US crews flew into a dense thicket of Nazi anti-air defenses.
第9空軍所属のB-24がルーマニアのプロエスティで燃え盛る石油精製工場上空を飛行する。被害の9割はこの写真が撮影された後で遅延信管爆弾によるものだった。1943年8月16日。(AP Photo)
 プロエスティ空襲は27分続き、対空砲火を生き残った機体は離脱したが、ドイツ戦闘機の追尾でさらに数機を喪失した。
 ベンガジに戻ったのは88機のみで446名が戦死行方不明になったが、プロエスティ石油精製施設の被害は半数のみでしかも生産はまもなく再開した。
 カサブランカ会談(1943年1月)で連合軍作戦部門は爆撃機活用の戦略方針で合意形成した。米爆撃部隊は戦略目標といて工場、港湾、軍事基地等ドイツの戦闘遂行に不可欠な目標を昼間攻撃する。
 英空軍爆撃機は夜間攻撃を受け持ちドイツ都市を狙う。多くがこれをドイツ空軍の電撃作戦や英国の戦いで残酷な攻撃への反撃と位置付けた。
 このトップシークレットの作戦は「合同爆撃機攻勢」と呼ばれた。

 1944年4月に連合軍爆撃機部隊は再びプロエスティを襲った。初回攻撃ではB-24爆撃機9個集団とB-17の4個集団でTNT換算1.2百万トンを投下していた。爆撃で立ち上る煙は数十マイル先からも視認できたほどだ。空襲はその数週間続き5月31日のB-24編隊428機投入でクライマックスを迎えた。ナチの戦争継続能力は大きな打撃を受けた。ドイツ機は離陸できなくなり、戦車部隊も動きを止めた。

In April 1944, Allied bombers returned to Ploesti. On the first mission alone, nine groups of B-24s and four groups of B-17s dropped almost 1.2 million tons of TNT on the city. The columns of smoke they left behind could be seen tens of miles away. "We really clobbered them that day," said Bill Harvey, a bombardier on a Liberator. Airstrikes continued over the next few weeks, bookended by a May 31 bombardment carried out by 428 B-24s. The strikes dealt serious blows to the Nazi war machine. German planes were grounded and panzers stopped in their tracks.
第八空軍所属のB-24がフランスのバスティア・コルシカを爆撃中。停泊中の大型商船一隻と小型船3隻に命中している。1943年10月2日。(AP Photo)

 本国では続々と機体が完成していた。1944年6月6日のDデイの数時間前にロウズヴェルト大統領に通算1万機のB-24が生産された事実が教示されていた。ノルマンジー上陸までにリベレーターは歴史上最大規模で生産された機体になっていた。

 B-24乗員は機体を「空飛ぶ貨車」「空のスパム缶詰」等と命名し、乗員には有名人やその後有名人になったものが多く、ジミー・スチュワート、クラーク・ゲイブル、ウォルター・クロンカイト、アンディ・ルーニーがいた。フォードのウィローラン工場では1912年オリンピックの金メダリスト、ジム・ソ―プ、1936年の金メダリストのジェシー・オーウェンスが働いていた。


B-24 crews called their plane the "Flying Box Car," "Spam Can in the Sky," and "Old Agony Wagon." Among those crews were airmen who would become famous after the war, like Jimmy Stewart, Clark Gable, Walter Cronkite, and Andy Rooney. At Ford's Willow Run plant, 1912 Olympic gold medalist Jim Thorpe and 1936 Olympic gold medalist Jesse Owens both found work.
オーストリア、ウィーナー・ノイシュタット航空機工場空爆で着弾したB-24 リベレーターには5フィートx13フィートの大穴が開いた。同機はこの後墜落した。1943年11月2日。(AP Photo)

 「B-24のボール銃座で銃手だった。最初の交戦で気分は高揚したが恐ろしい経験だった」とある乗員が語っている。「高射砲でたくさんの乗員を失った。地獄だよ。爆弾落下の様子は目にした。もっとたくさん爆弾を落とすべきだった。地上の人たちのことなど構う暇がなかった。とにかくこっちに弾が飛んでくる中で早く逃げることしか考えていなかった」

 第二次大戦の米国戦死者合計416,800名のうち陸軍航空隊の犠牲者は79,265名だった。

Of the 416,800 Americans killed in combat during World War II, 79,265 of them were airmen.
第15空軍のB-24リベレーター編隊がウィーン南部のウィーナー・ノイシュタット航空機工場空襲に向かう。1944年4月12日。(AP Photo)

 終戦までフォード自動車含む米産業界は空前の規模で軍需生産をし、米国の航空機生産は合計324,750機でトップ、二位三位の英国、ソ連の合計数を上回っていた。このうち、リベレーターは18,482機で、さらにそのうち8,685機をフォードのウィローラン工場が生産した。


By the end of the war, the Ford company, other manufacturers in Detroit, and the whole of the American war industry had produced a staggering amount of material. The US built 324,750 airplanes during the war, more than Britain and the Soviet Union, the second- and third-biggest producers, combined. Of those planes, 18,482 were Liberators, and 8,685 of them were built at Ford's Willow Run plant.
第15空軍のB-24が105回の出撃を完了した。同機はアフリカ、地中海、欧州北部、バルカン地方を転戦し、英国内の基地で乗員が誇らしく回数を機に記入している。1944年5月31日。

 「生産に携わった人々、運用支援した人々、実際にB-24を飛ばした人々の合計規模を上回る機体はどこにもない。これまでもなかった」とスティーブン・E・アンブローズStephen E. Ambrose が"The Wild Blue"に書いている。「B-24で連合軍が勝利をつかんだというのは誇張だが同機がなかったら戦争に勝てたかわからない」

"The number of people involved in making it, in servicing it, and in flying the B-24 outnumbered those involved with any other airplane, in any country, in any time," Stephen E. Ambrose wrote in "The Wild Blue." "It would be an exaggeration to say that the B-24 won the war for the Allies. But don't ask how they could have won the war without it."
カリフォーニア州ロサンジェルス出身のアルヴァ・H・アレン曹長が「テキサス・ケイト」の仕上げ中。同機は太平洋で日本相手に戦闘に投入されていた。1945年6月11日。(AP Photo/Charles P. Gorry)

 B-24は終戦までに技術、性能で旧式化していた。陸軍は「超重爆」のB-29スーパーフォートレスのテストを1943年夏に始めていた。B-29は航続距離でもペイロードでもB-24を上回り与圧式機体によりさらに高高度飛行が可能だった。1945年8月6日にB-29が「リトルボーイ」原子爆弾を広島に投下し、その三日後に別のB-29が「ファットマン」原爆を長崎に投下した。日本は9月2日に降伏した。■


Despite its capabilities and performance, the B-24 was already technologically obsolete by the end of the war. The Army had started testing its "superbomber," the B-29 Superfortress, in summer 1943. The B-29 had a better range and could carry a bigger payload than the B-24, and its pressurized cabin let it fly at higher altitudes. On August 6, 1945, a B-29 dropped the "Little Boy" atomic bomb on Hiroshima. Three days later, another B-29 dropped the "Fat Man" atomic bomb on Nagasaki. Japan surrendered on September 2.
第15空軍所属のB-24の機体が炎上している。オーストリアのウィーンの合成燃料工場を狙う空襲でMe-109戦闘機による被害を受けた。1944年7月7日。同機はその後空中で二つに分解し、乗員全員は無事脱出した。(AP Photo)

イラン国内の反政府デモが止まらない。米国がデモ参加者に共感を示す

2018年の展望---日本では中東や西アジアへ関心が低いのですが、実はイランの方が北朝鮮より脅威と認識されています。とくにイスラム世界の混乱を裏で操るのがイランと言う見方があり、イランの動向に注意を向けている国は多いです。そのおひざ元で反対勢力が動き始めたのはイラン体制にひびが入る一歩となるでしょう。デモは制圧されるでしょうが、いったん広がった火はくすぶりつづけるでしょう。イランが世俗国家に復帰すればホメイニ革命以後の40年近くを克服することになりますが、米国も声明以上の支援は出せず(反米プロパガンダに手は貸せない)しばらくは様子見でしょうか。しかし、事態は予想外に向かう可能性もあり、目が離せませんね。


U.S. Sides With Anti-Iranian Regime Protesters Amid Crackdown

イラン反政府デモに米国が共感を示すが弾圧が強まる

Protests stretch into fourth day across Iran

イラン全土でデモは4日目に突入

Iranian students protest at the University of Tehran during a demonstration driven by anger over economic problems
イラン学生がテヘラン大で経済問題への怒りを表明I / Getty Images

December 31, 2017 11:55 am


ランプ政権と米議会がイランの反政府デモ参加者に連帯感を表明した。デモ活動は4日間連続でイラン各地で広がっている。
イラン市民は生活費必需品の物価急騰に忍耐力の限界を感じテヘランはじめ主要都市でデモを始めた。核合意の結果巨額の収入を受けながら国内の経済悪化にほとんど手を打っていない政府への抗議の意味もある。
イラン政府は軍備増強に大々的な資金投入をしながら、経済再建に失敗している。
デモ参加者が全国規模になっているのはソーシャルメディアでわかり、「改革者」と呼ばれるハッサン・ロウハニ大統領と政権要職に抗議が向けられている。
経済不振に我慢できなくなったデモ参加者は最高指導者アリ・ハメネイ率いる聖職者上位体制へも標的を合わせ、強硬派イスラム政権支持者からの反発を招いている。
「国民は乞食同然の生活を強いられている。最高指導者は神のようにふるまっている」とデモ参加者がファルシ語で述べるのがツイッターで確認できた。
その他の映像でもイラン軍がデモ隊に催涙弾を無差別に発射する光景が確認できる。イラン革命防衛隊と連携する志願兵バシジ部隊がデモ参加者を投打しているとの報道がある。
「ハメネイに死を」との掛け声も聞こえ、2009年に当時のオバマ政権がデモ支援表明を拒みデモ隊が制圧されたのが思い起こさせられる。
トランプ政権は全く違う反応を示しており、声明文で「世界が注視している」とイラン市民とイラン政府のデモ対応に言及している。
「イラン市民が政権腐敗と海外テロ活動支援への国富投入に嫌気がさし平和的に抗議しているとの報道が多く入っている」とホワイトハウスは述べ、「イラン政府は自国民の権利を尊重すべきで、表現の自由もその一部だ。世界は注視している」。
米議会内部にデモ隊への支援を早々と表明する動きがあり反政府勢力へ理解を示している。
「イラン国民が不正で好戦的なイスラム暴政に反抗する人々を米国は評価すべきだ」とロン・デサンティス下院議員Rep. Ron DeSantis(共、フロリダ)は外交委員会所属でワシントン・フリービーコンに語っている。「1979年以来、イラン国民はホメイニ主義の人質となり同国の経済文化面での進展は阻害されたままだ」「トランプ大統領には専制主義へ戦う人々への支援を表明してもらいたい」
デヴィン・ヌネス下院議員 Rep. Devin Nunes(共、カリフォーニア)は有力な下院情報常設委員会の委員長でイランの反対勢力を弾圧し改革勢力を封じる専制的な政権に堂々と意見を表明するデモ参加者の勇気をほめたたえた。

「イラン国民が強圧的な政府に対し神から与えられた自由に生活を送る権利を再び要求している。自らの危険を顧みない男女は世界に対して聖職者の国でも政権が正しくないことを示している」「勇気あふれるその態度に米国は万全の支援を与え、イランが自由の国になる動きを助けるべきだ」■

USSワスプが佐世保へ回航中、F-35B運用能力が注目される

ワスプは排水量41千トンといずもより大型艦ですが、全長はそんなにかわらないのですね。佐世保に来ればいずもの改装前に大いに参考になる点をつぶさに見られるのでしょうか。先代のワスプ級空母には日本は散々な目にあいましたが今度は一緒に抑止効果を狙うことになるとは歴史の皮肉というやつでしょうか。ボンノムリチャードはフランス人の名前なのでリシャ―ルと無理な表記をしていることが多いのですが、米人はリチャードと呼ぶはずですのでこう表記しました。

 

USS Wasp with stealthy F-35B makes stopover on way to Japan 

F-35運用可能なUSSワスプが日本へ回航中


US Navy 071004-N-1189B-012 U.S. Marine Corps MV-22 Ospreys, assigned to Marine Medium Tiltrotor Squadron (VMM) 263, Marine Aircraft Group 29, prepare for flight on the deck of the multipurpose amphibious assault ship USS Wasp (
By U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 2nd Class Zachary L. Borden [Public domain], via Wikimedia Commons
December 28, 2017
Updated December 28, 2017 2:03pm

襲揚陸艦USSワスプ(LHD-1)がパールハーバーに本日到着した。同艦は日本への回航の途中でF-35B艦載能力を有し、北朝鮮や中国が控える緊張の高い地区に配属される。
全長843フィート(257メートル)の同艦はUSSボンノムリチャードと交替し前方配備揚陸部隊旗艦として佐世保を母港とし西太平洋の守りにつく。
ステルスF-35Bは海兵隊仕様の共用打撃戦闘機で短距離発艦垂直着艦が可能だ。
「最先端の航空戦力が前方配備される意義は大きい」とワスプ艦長アンドリュー・スミス大佐がノーフォーク(ヴァージニア州)で昨年述べていた。「F-35Bと組み合わせ第七艦隊の精密打撃能力が増強される。ワスプはインドアジア太平洋地区の海上安全保障と安定に責任を果たす米国の努力の一助となる」
海軍によればワスプは「戦力増強した遠征打撃群」の中心となり、三隻で構成する揚陸即応部隊の戦力が増強されるという。
打撃群には揚陸輸送ドック型艦USSグリーンベイもあり、第31海兵遠征部隊の2,200名強が展開できる。
打撃群と海兵遠征部隊の組み合わせは「危機対応で最高の部隊となり西太平洋で対応できる。プレゼンスと抑止効果による安全の確保に加えてワスプESGはあらゆる種類の緊急事態に直ちに対応可能で人命救難災害援助活動もここに含む」と海軍は述べる。
今年1月に海兵隊第121戦闘攻撃飛行隊がF-35B飛行隊としてアリゾナ州ユマの海兵隊航空基地から岩国海兵隊航空基地へ移動していた。
F-35BライトニングIIはF/A-18ホーネット、AV-8Bハリヤー、EA-6Bプラウラーの後継機種として開発されている。海兵隊はF-35Bを「戦力増強手段」と見る。

「この機種にしかないステルス、先端レーダー・センサー技術、電子戦装備を搭載した最新鋭戦闘機であり、爆撃機であり全天候運用可能な支援機材のいずれにもなる」と言うのが海兵隊の見解だ。■