North Korea Hwasong-17 ICBM. Image Credit: Creative Commons.
北朝鮮のICBM発射実験は、米国の政策の無益さを浮き彫りにした
平壌が2022年3月24日に行ったICBM発射実験は、ワシントンと東アジア各国の双方に動揺を与えている。ロシアとウクライナの戦争がなければ、今回の事態は米国外交当局の最大の関心事になったはずだ。今回のミサイルは、米国本土に到達可能なICBMだ。北朝鮮による前回の長距離ミサイル実験は2017年で、米国との関係が雪解けし、北朝鮮の金正恩委員長とドナルド・トランプ大統領による3回目首脳会談の直前だった。
ICBM実験は想定ずみだった
今回の平壌の行動は予測可能だった。北朝鮮はワシントンの政策姿勢への不満を2年前から再燃させていた。2022年1月、平壌はミサイル実験を1カ月で7回実施した。旧正月にはグアムまで届く中距離ミサイル「火星12型」発射で一連の実験を終えた。
ワシントンとの正常な二国間関係の確立への期待は、過去のものになったという金正恩の結論を一連の実験が象徴している。トランプ政権が北朝鮮孤立政策を放棄したように見えた2018年と2019年に、希望が劇的に高まっていた。金委員長との首脳会談は、従来より現実的かつ柔軟な米国のアプローチの表れだった。特に、3回目の首脳会談で一時的とはいえトランプが北朝鮮に足を踏み入れる映像は、建設的友好的な関係が生まれるとの象徴的意味合いが強かった。
だが国内で反発が強まり、ジョン・ボルトン国家安全保障顧問をはじめとする大統領外交チーム強硬派による妨害が重なり、建設的な変化を実現しようとする努力は絶望的となった。2019年2月のハノイ首脳会談が突然終了したのは、平壌が核兵器プログラムの放棄という、長年にわたる(かつ非現実的な)要求を拒否したためだった。
和解への期待が薄れ、金正恩政権は2019年後半に敵対的で闘争的な論調を復活させた。しかし、平壌から破壊的な行動がすぐ現れなかったのは注目すべき点だ。2020年の米国大統領選結果に関係なく、米国が今後、柔軟で融和的な姿勢を示すと平壌は期待していたようだ。
ジョー・バイデンが当選し、希望が見当違いと明らかになった。バイデンは2020年の選挙討論会でも、平壌を望ましからぬ国として扱うという、トランプ以前のワシントンの無益なゾンビ政策と同一だった。バイデンは、2022年1月のミサイル実験を受け、新たな制裁を発動し、北朝鮮を孤立させる不毛な手法を継続すると確認している。
ICBM実験の次は核実験か?
とはいえ、北朝鮮には自制心がまだ残っている。平壌は、トランプ政権による打開策の直前の2017年9月以降は核兵器実験を実施していない。また、金正恩政権は、短距離ミサイル含むすべてのミサイル実験を自粛していた。この政策は2022年1月まで変更されず、長距離ミサイルの停止措置は3月の実験で終了した。核実験の一時停止措置は、いまのところ有効である。しかし、バイデン政権の方針が変わらないと、金正恩の抑制は終わる可能性が高い。
トランプ構想は、政策的リアリズムと柔軟性を反映し期待させるものであった。 しかし、残念なことに、ワシントンは逆戻りしたようだ。 米国指導者層は、平壌を非核状態に戻すとの実のない要求に固執するのではなく、多面的かつ正常な二国間関係につながる道を模索すべきだ。数十年にわたる経済制裁を緩和し、最終的に撤廃することになる。また、朝鮮戦争を正式に終了する条約を交渉し、両国に完全な外交関係を確立することである。
別の選択肢は、北朝鮮がゆっくりと、しかし着実に核兵器と、アメリカを破壊可能なICBMを含む高性能ミサイルを整備するのを見守りながら、北朝鮮を除け者として扱い続けることだ。これでは誰も得をしない。米国は最新の核保有国となった北朝鮮と有意義な関係を築いていない。すべての当事者にとって危険な状況である。
今回のICBM実験は、米国が北朝鮮と正常かつ現実的な関係を築く必要があるのを示す最新の警告だ。しかしバイデン政権が重要な任務を果たしているとは思われない。■
Hawasong-17 ICBM Test Proves America's North Korea Policy Has Failed - 19FortyFive
Ted Galen Carpenter, a senior fellow in defense and foreign policy studies at the Cato Institute and a contributing editor at 19FortyFive, is the author of 12 books and more than 950 articles on international affairs. He is also a 1945 Contributing Editor.
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