2025年5月6日火曜日

フランスのFREMMフリゲート艦がフーシのドローンを主砲で撃墜した(The Aviationist)―これは確かに経済原理にかなった対応策ですね

 




French FREMM frigate counter drone

フリゲート艦の甲板(赤い印)とセンサーから見たドローンの爆発。 (画像出典:フランス統合参謀本部 - Xに関する軍事作戦)


タリア製のOTOメラーラ76ミリ超急速砲を使用しフーシ派のドローンを破壊したことで、フランス海軍はコストのかかるASTER地対空ミサイルを温存できた。

 フランス軍統合参謀本部は2025年4月18日、アキテーヌ級FREMMフリゲート艦のOTOメラーラ76ミリ主砲によって破壊されたフーシのドローンのアクション満載の交戦を示すビデオを公開した。この交戦の日時は不明である。

 フランスのセバスチャン・ルコルヌ国防相はまた、ドローンの爆発を示すEO/IR(電気光学/赤外線)システムからの画像を1日前に投稿した。統合幕僚監部は、この行動について、場所を紅海と特定し、「イエメンから飛来した空中ドローンを仏海軍フリゲート艦が迎撃し、海上交通への脅威を排除した」と説明した。


ビデオ

35秒のビデオの最後の部分は、砲術乗組員のコンソールで見たEO/IRシステムの映像で、艦のイタリア製OTOメラーラ・スーパーラピッドガンマウント(SRGM)からの砲弾を受けた後の固定翼UAS(無人航空機システム)と思われるものが映っている。

 映像はブリッジからの映像で始まり、監視クルーからの熱狂的な指示の中、OTOメラーラ砲が7発を発射する様子が映し出される。ブリッジの窓を通過する小さな物体は、砲身のゴムカバーであると確認されている。

EO/IRセンサーが捉えた赤い四角で示されたドローン。 (画像出典:フランス統合幕僚監部 - Xに関する軍事作戦)


 遠方の小さな空中爆発は、標的が排除され、炎に包まれて海に落下していることを示している。これは、EOシステムからの映像と、砲手のコンソールにある別のビデオフィードに対応しているように見える。


OTOメララ砲の弾丸が命中した後、爆発するフーシのドローンを示す砲手コンソールの赤外線画像と熱画像。(画像出典:フランス統合幕僚監部 - Xに関する軍事作戦)


当初は別のドローンか鳥と間違われたが、フランス統合参謀本部は窓の外を飛んでいた物体は「砲身を海水から保護し、なおかつ緊急発砲を可能にする」ゴムカバーであることを明らかにした。つまり、ゴムカバーは手動で取り外す必要はなく、弾丸はゴムカバー越しに発射できるということだ。

 FREMM(Frégate Européenne Multi-Mission) プログラムで、フランス海軍のFSアキテーヌ級フリゲートは、ASW(対潜水艦戦)能力を強化したサブクラスである。FSアルザス級の主力艦と姉妹艦のFSロレーヌは、対空能力に特化している。アキテーヌ級には他に、FSプロヴァンス、FSラングドック、FSオーヴェルニュ、FSブルターニュ、FSDノルマンディーがある。

 フランスは、EUNAVFOR(欧州海軍部隊)のアスピデス作戦EUNAVFOR ASPIDESを支援するために艦艇を配備している。アスピデス作戦は、紅海で米国が主導するプロスペリティ・ガーディアン作戦を「純粋に防御的」でありながら相互に支援する別の展開だ。アキテーヌ級FREMM艦は、ASTER 15防空ミサイルを発射するSYLVER A43 VLS(垂直発射サイロ)セル16基と、MdCN巡航ミサイルを搭載するA70 VLSセル16基を搭載している。

 対空兵器の空中目標探知、追跡、制御は、タレスの多目的電子スキャンレーダーHeraklesで行われる。主要な海上攻撃兵器は、エグゾセMM40ブロック3 AShM(対艦ミサイル)だ。

 フーシ派のドローンを破壊するためにイタリアのOTOメラーラ76ミリSRGMが採用されたことで、ASTER SAM(地対空ミサイル)を温存することができた。このような砲は通常、さまざまな効果をもたらすさまざまな対地、対空接触用の多様な弾薬を搭載している。

 今回の交戦では、断片化効果を狙って金属製ボールベアリングを放出する近接融合弾が採用された可能性がある。この砲は、インドの国営企業BHEL(バーラト・ヘビー・エレクトリカルズ社)がインド海軍の軍艦用にライセンス生産している。


フランス海軍のアキテーヌ級FREMMフリゲートFS Languedoc。 (画像出典:Naval Group)


フランスの紅海での行動

2023年後半から同地域に配備されたフランス海軍艦艇は、当初76 mm OTO Melara SRGMとともにAster-15/30 SAMを使用していた。FREMM アルザスは、アスピデス作戦の下、「約3ヶ月の洋上での活動後、2024年4月4日にフランスに帰還し、海洋安全保障の確保に貢献した」。 2024年3月20日、マリーン・ナショナルはまた、NH90カイマン海軍ヘリコプターに搭載された銃でフーシのドローンを撃墜した。

 2024年4月、アルザスのジェローム・アンリ艦長は、『フィガロ』紙のインタビューで、フーシ派に対する作戦について次のように語っている: 「これほどの脅威は予想していなかった。フーシ派は、海上を低空飛行するドローンの使用、商船への攻撃、弾道ミサイルの発射を躊躇しない」。


フーシ派の挑戦

本誌が過去に述べたように、フーシ派とイランは、安価で拡張性のある無人機、対艦巡航ミサイル、弾道ミサイルを投げつけることで、より大型で技術的に進歩した西側の軍艦や戦闘機に対し「非対称」戦の挑戦をしてきた。

 これに対し当初、米軍はRIM-162 ESSM(進化型シースパロー)、米海軍空母のF/A-18スーパーホーネット、CENTCOM(中央司令部)のAOR(責任領域)に配備されたF-15Eストライクイーグルのように、AIM-120 AMRAAM(先進中距離空対空ミサイル)やAIM-9サイドワインダー短距離AAMを発射する、よりコストの高いシステムを採用する必要があった。

 これらのミサイルの価格は、AMRAAMが1発100万ドル、サイドワインダーが50万ドルである。

 一方、フーシの発射体は1万5000ドルから2万ドル以下で、市販されている、娯楽用のドローンや航空部品で作られている。 PCB(プリント基板)、SoC(システム・オン・チップス)、マイクロエレクトロニクス、サーボモーター、組み込みシステム、そして一部のアナリストが見ているように、DIY(ドゥ・イット・ユアセルフ)ジェットエンジンやプッシュプロペラピストンエンジンなどだ。

 このようなOWA(一方向攻撃)投射砲の大規模な攻撃可能な武器庫を持つために、ほとんど目に見えない工業的フットプリントで組み立て、規模を拡大することが容易であることに加え、上記のシステムは既製品の民生品であるため、制裁の監視を逃れるのも容易である。エンドユーザーは、イランやイエメンとは関係のないさまざまな合法的な第二、第三の企業から調達できるため、販売流通を追跡するのは難しい。


適応への努力

F-4ファントムIIやF-14の部品をテヘランに送り、中小の航空サービス会社や仲介業者を通じて購入するという、北米を拠点とするイラン人による航空宇宙部品の密輸を取り締まれるようになるまでには、アメリカ政府は数十年を要した。イランの最前線の軍用機は現在、耐空性に最も劣るが、その間に独自の弾道ミサイルや巡航ミサイルを開発した。

 アメリカ空軍も2025年2月に本誌が報じたように、2024年以降、フーシの発射体に対する空対空ミサイルの役割としてAPKWS IIを採用したF-16を中米地域司令部(CENTCOM AOR)に配備している。レーザー誘導方式のAPKWS IIは、15,000ドルから20,000ドル以下のドローンに対して、より高価なAIM-9サイドワインダーとAIM-120 AMRAAMを使用する際のコスト比の偏りに対処するものである。

 防衛大手BAEシステムズも、赤外線シーカーを搭載したAPKWS IIの新型を開発した。


Watch this French FREMM Frigate Shoot Down a Houthi Drone with its Gun

Published on: April 23, 2025 at 8:03 PM

 Parth Satam

https://theaviationist.com/2025/04/23/french-fremm-frigate-shoots-drone-with-gun/


パース・サタムのキャリアは、日刊紙と防衛専門誌で10年半に及ぶ。人間の営みとしての戦争には、ミサイルやジェット機をはるかに超えた原因と結果があると信じている。そのため、外交政策、経済、テクノロジー、社会、歴史と交差する軍事問題を分析するのを好む。彼の仕事は、防衛航空宇宙、戦術、軍事ドクトリンと理論、人事問題、西アジア、ユーラシア問題、エネルギー分野、宇宙など、あらゆる分野に及んでいる。



F-15EXイーグルII戦闘機は台湾に必要な戦闘機か?(National Security Journal)


3月11日、フロリダ州エグリン空軍基地で、空軍の最新戦闘機F-15EXを操縦する第40飛行試験中隊長リチャード・ターナー中佐。同機は、開発試験と運用試験を組み合わせて試験され、実戦配備される最初の空軍機となる。第40FLTSと第85試験評価飛行隊がこの航空機の試験を担当している。 (米空軍写真/Samuel King Jr.)


湾がF-15EXイーグルIIを購入する可能性はあるのだろうか? 

 台湾は夜間訓練中の機体事故により、ミラージュ2000戦闘機の全機を飛行停止させたことがある。

 台北が米国製戦闘機の新しい飛行隊を必要とするかどうかの問題をこの事例が提起している。

 一つの選択肢は、F-15Eストライク・イーグルの改良型F-15EXイーグルIIの導入だろう。

 これによって台湾は、ほぼ毎週台湾の防空識別圏内を飛行する多数の中国戦闘機を阻止するための航空優勢と能力の素晴らしい組み合わせを得ることができるだろう。


中国は急いでいる

台湾には助けが必要だ。中国には新型ステルス爆撃機H-20があり、2020年代後半から2030年代初頭に連続生産が開始される予定だ。人民解放軍空軍(PLAAF)のJ-20、第5世代ステルス戦闘機、そしてJ-35Aとして知られるステルス特性を持つ新型戦闘機がある。PLAAFはしばしば、台湾防衛に挑む形の哨戒活動で、台湾を圧倒する空中戦力を繰り返し誇示している。


封鎖または全面的な水陸両用攻撃の可能性

米国がF-15EXを台湾に提供すれば、中国は憤慨するだろう。アメリカが台北に兵器システムを送るたびに、中国は不満の声を上げる。 しかし、大陸との状況はますます悪化している。

 海軍による隔離や封鎖の間、中国はすぐに航空優勢を確立し、台湾上空に飛行禁止区域を設けることができる。そして、友好的な空軍を屈服させている間に、中国は水陸両用攻撃を仕掛けることができる。台湾は、PLAAFが国境を越えた戦いに勝利しないようにするため戦闘機が必要なのだ。


F-15EXは殺しにくいウォーバードになる

 そこでF-15EXの登場だ。ステルス性はないものの、このバードは非常に印象的だ。敵戦闘機を簡単に迎撃できるマルチロール戦闘機で、うらやましいほどのペイロードサイズ、大きな航続距離、そして優れたスピードを持っている。

 F-15EXは、最新のレーダーやセンサー、パイロットに優しいコックピット、状況認識を向上させるためのユニークなイーグル・パッシブ・アクティブ・ウォーニング・サバイバビリティ・システムを備える。

 F-15EXの素晴らしいところは、その速度と推進力である。2基のF110-GE-129ターボファンエンジンが優れた加速力を生み出し、最小出力から最大出力まで4秒で到達でき、最高速度はマッハ2.5+に達する。


F-15EXの高価格

 しかし、F-15EXは1機あたり約9000万ドルから9700万ドルかかる。 台湾は空軍にいくら投資するかを決めなければならない。ドナルド・トランプの国家安全保障チームは、台湾が中国を阻止するために防衛費を増やし、戦力を向上させる方法を模索している。封鎖や水陸両用攻撃があった場合、米国が台湾を救出するかどうかは不明だ。

 台湾もF-35を購入する可能性があるとの憶測もある。その購入は習近平を激怒させるに違いない。F-15EXとF-35が台湾に譲渡された場合、中国は台湾を威嚇するために大規模な軍事演習を行うだろう。

 しかし、台湾には新しい戦闘機を切実に必要だ。F-15EXは、特にF-35との組み合わせで堅実な選択となる。イスラエルの最近のイラン攻撃の経験を見てみよう。イスラエルはF-16とF-15Iの部隊とともにF-35Iを使い、イランの奥深くを攻撃した。全機がかすり傷ひとつなく帰還した。F-35Iはイランの地対空ミサイルシステムを制圧し、非ステルス戦闘機は他の軍事目標への地上攻撃で流れ込んだ。

 台湾は中国の戦闘機から身を守り、F-15EXとF-35で中国に対して独自の「鼻血攻撃」を仕掛けることができる。


 台湾に両方のモデルを購入する資金があるかは不明だが、台北はF-15EXの少量バッチから始めて、F-35購入への道を歩むことができる。台湾がミラージュ2000からのアップグレードを必要としているのは明らかだ。

 今こそ台湾は防衛に真剣に取り組む時なのだ。■



Boeing’s F-15EX Eagle II Fighter: The Warplane Taiwan Needs?

By

Brent M. Eastwood


https://nationalsecurityjournal.org/boeings-f-15ex-eagle-ii-fighter-the-warplane-taiwan-needs/

著者について ブレント・M・イーストウッド博士

ブレント・M・イーストウッド博士は、『Don't Turn Your Back On the World: A Conservative Foreign Policy(世界に背を向けるな:保守的外交政策)』、『Humans, Machines, and Data(人間、機械、データ)』の著者である: Human, Machines, and Data: Future Trends in Warfare』のほか2冊の著書がある。 人工知能を使って世界の出来事を予測するハイテク企業の創業者兼CEO。 ティム・スコット上院議員の立法フェローを務め、国防と外交政策について同議員に助言。 アメリカン大学、ジョージ・ワシントン大学、ジョージ・メイソン大学で教鞭をとる。 元米陸軍歩兵将校。 X @BMEastwoodでフォロー可能。


日本がGCAP戦闘機の名称を第二次世界大戦時のA7Mにちなみ「烈風」とする検討中(The Aviationist)―『軍国主義」がなぜこの動きを止めるのかわかりませんし、防衛省がわざわざそう説明したのか理解不能です



GCAP Joint Venture

東京上空を飛行する未来のGCAPのレンダリング。 (画像クレジット:Leonardo): 


本からの報道によると、防衛省はGCAP(グローバル・コンバット・エア・プログラム)で開発中の第6世代戦闘機を、第二次世界大戦中の日本海軍の戦闘機にちなんで「烈風」と命名することを検討しているという。共同通信の独占記事は、「政府関係者数名へのインタビュー」に基づき、防衛省幹部が「秘密裏に検討がしている」と伝えた。

 A7M烈風は、伝説の海軍戦闘機A6M零戦シリーズの後継機として構想されたが、中止されたプロジェクトだった。試作機は完成せず、そアメリカの空襲で破壊された。神田外語大学のジェフリー・J・ホール講師はXで、新型ジェット機は「F-3烈風」と呼ばれる可能性があると述べている。

 この呼称は「軍国主義を呼び起こす」という批判を引き起こしている。日本の現行憲法は、物議を醸した第二次世界大戦の遺産から遠ざかるため軍備増強を抑制している。 航空自衛隊には、「F」は戦闘機、「C」は貨物機というように確立された命名規則があり、航空機の命名には「(既存の)規則はない」ため、政府の専権事項となっているが、それにもかかわらず、この計画は政治的な地雷原をかき回している。

 例えば、海上自衛隊の潜水艦そうりゅうは、日本海軍の空母「蒼龍」と同じ名前だ。同艦は、1942年6月のミッドウェー海戦で、空母ヨークタウンの急降下爆撃機の攻撃を受け、他の3隻の空母と沈没した。日本がこの前例に依拠するかは不明であり、今のところ公式発表はない。


第二次世界大戦終結時に横須賀海軍航空技術廠の格納庫にあった三菱A7M2烈風。 (画像出典:U.S. National Archives/U.S. Navy Naval Aviation News)。


GCAPプログラム

第6世代ジェット機は元々、イギリス・イタリア・スウェーデンの共同開発であり、ストックホルムの非公式な撤退後、2021年12月に日英協力に移行し、それぞれテンペストとF-X戦闘機プロジェクトとしてエンジンとレーダーのプロトタイプを開発した。日本は当初、国内の三菱F-X計画に取り組んでいた。

 その後の2022年12月の発表では、ロンドン、ローマ、東京が参加する現在のグローバル・コンバット・エア・プログラム(GCAP)が発表された。新型戦闘機は2035年以降、イギリスとイタリアのユーロファイター、日本のF-2(F-16の日本派生型)に取って代わることが期待されている。

 このプログラムは、日本がイタリアとイギリスと対等な財政的、産業的、政治的立場で直接協力し、対等な運用と技術的アクセスを行うという、外交的に初めてのことを意味する。3カ国は、プログラムを監督し、外交、科学、軍事的機能を相乗させるために、持ち回りで指導者を務める3カ国共同機関を設立した。

日本のマークが入ったGCAPモデル。 (画像出典:レオナルド)

2023年12月、運営委員会(SC)とGCAP機関によって構成されるGCAP国際政府機関(GIGO)条約が設立された。SCは監督と戦略的方向性を提供し、GCAPエージェンシーは英国レディングに本部を置き、産業活動の調整と規制遵守の監督を行う。GCAPエージェンシーは、2024年12月に設立される英国、イタリア、日本の企業で構成されるジョイント・ベンチャー(JV)と併設され、政治と産業の力学を相乗させることが期待されている。


A7M烈風

A7M烈風は、日本の空母を飛び立った伝説の三菱A6M零戦の後継機として開発された。零戦は圧倒的な航続距離、旋回速度、上昇速度、ドッグファイターとしての比類なき機動性、そして重武装で知られたが、貧弱な装甲に悩まされていた。零戦にはA6M2からA6M8までのバリエーションがあり、エンジンと武装が異なった。

 三菱が開発したA7M1は1944年5月6日初飛行したが、日本海軍の計画者たちは、良好な運動性を示す一方で、中島誉22エンジンの出力の低さに不満を抱いていたという。その後、三菱は2,200馬力のハ-43エンジンを搭載した改良型A7M2を飛行させ、最高速度628km/hを記録したと伝えられている。

 しかし、名古屋への地震で工場が破壊され、訓練を受けた乗組員や経験豊富なパイロットを失い、日本の産業基盤が全般的に破壊されたことなどが、A7M烈風計画は停滞を余儀なくされた。連合軍の戦術の改善や、P-40ウォーホーク、P-38ライトニング、P-47サンダーボルト、P-51マスタング、空母艦載機のF-4Uコルセア、高空を飛ぶB-29スーパーフォートレス戦略爆撃機など優れた航空機と相まって、日本の航空優勢は全般的に失われ、A7M計画は失敗に終わった。


1945年後半、第二次世界大戦終結後の日本の格納庫にあったA7M2烈風。(画像クレジット:Wikimedia Commons via US National Archives/US Navy Naval Aviation News)


 アメリカの爆撃によってさらに3機のA7Mが失われ、1945年8月15日の日本の降伏によってプロジェクトは正式に終了した。したがって、A7Mが戦闘に参加することはなかった。1947年6月の米国爆撃調査機部門(USBS)の報告書によると、三菱は2機のA7M1試作機と7機のA7M2試作機、合計9機を生産していた。

 第2次世界大戦終結後の1945年末に横須賀海軍航空技術廠で撮影された公式画像が海軍歴史遺産司令部のウェブサイトに掲載されており、この烈風は、ウィキメディア・コモンズではA7M2とされている。 一方、NHHCはA7M3としている。尾翼にはJ-A7-3のマーキングがある。


課題

 本誌が報じたように、英国下院委員会のプロジェクトに関する報告書によれば、GCAPプログラムは課題に直面し、ユーロファイター・タイフーン・プロジェクトの失敗を回避する必要がある。これには主に、相手国間のダイナミックな外交関係、国際的な産業パートナーシップ、貿易、タイムリーな納品とコスト超過を避けるワークシェア契約への期待など、複雑な方程式のバランスが含まれる。これは、新たなパートナー国のプログラムへの参加が「極めて重要な2035年の目標」をオーバーシュートしないようにすることにも及ぶ。

 第二に、英国議会の報告書は、期限を変更することなく、資金力だけでなく技術産業能力も考慮してパートナー国を選ぶよう助言している。 これは同時に、プラットフォームの輸出可能性を確保し、ユーロファイター・タイフーン計画で見られた海外販売での紛争を避けるためでもある。海外販売の確保にはより広範な経済的要請があり、その欠如は生産ラインに打撃を与え、労働力の "採用と維持"が "大きな課題 "になる。

 英国議会はまた、軍備増強をめぐる日本と国内政治情勢が、輸出という厄介な問題に与える影響にも言及している。 GCAPの海外販売は、第二次世界大戦後に根ざした東京の「文化的反軍国主義」によって妨げられる可能性がある一方で、報告書は日本の世論と防衛姿勢での変化も認めており、GCAPへの日本の参加を支援し続けることが重要であるとしている。

 さらに委員会は、日本とイタリアの「コミットメントと能力に対する大きな信頼」を指摘しており、「日本の提案の深さとこれまでの技術的進歩に感銘を受けた」と述べた。イタリアの国際問題研究所(Istituto Affari Internazionali)も2025年3月の調査で同プロジェクトを政治的、産業的、技術的に円滑に遂行するため一連の方策を提言している。■


Japan Considering Naming its GCAP Fighter After the WW2-Era A7M ‘Reppu’: Reports

Published on: May 3, 2025 at 6:11 PM

 Parth Satam

https://theaviationist.com/2025/05/03/japan-gcap-fighter-reppu-reports/



By パース・サタム

パース・サタムのキャリアは、2つの日刊紙と2つの防衛専門誌の間で10年半に及ぶ。人間の営みとしての戦争には、どのミサイルやジェット機が最も速く飛ぶかをはるかに超えた原因と結果があると信じている。 そのため、外交政策、経済、テクノロジー、社会、歴史と交差する軍事問題を分析するのが好き。 彼の仕事は、防衛航空宇宙、戦術、軍事ドクトリンと理論、人事問題、西アジア、ユーラシア問題、エネルギー分野、宇宙など、あらゆる分野に及んでいる



2025年5月5日月曜日

ジャック・ノースロップの「フライング・ウィング」がB-2スピリットへとつながった – 第2部(The Aviationist)


カリフォーニア州エドワーズ空軍基地のノースロップ・グラマン施設で展示されたB-21レイダー。B-21はジャック・ノースロップの全翼機コンセプトの最新の形態。アメリカ空軍が保有するB-1とB-2爆撃機を置き換えるB-21は敵空域を突破できる長距離爆撃機で、通常弾頭と核弾頭の両方を搭載可能。(画像提供:アメリカ空軍)


実験機を含む機体の試験で得られた研究データは、現在のB-2 スピリット爆撃機およびその先の機体の開発に結びついた


プロジェクトMX-140とN-9

第二次世界大戦中、イギリスが軸勢力に陥落する可能性があり、その結果、イギリス領土から占領されたヨーロッパへの爆撃任務を実行できなくなると懸念したアメリカは、1941年4月に10,000ポンドの搭載量と10,000マイルの航続距離を有する爆撃機の提案を募集た。ノースロップはN-9設計の改修型を提案し、モデルN-9の1/3スケール試験機と実物大モックアップの契約を獲得した。このプロジェクトはプロジェクトMX-140と命名され、新爆撃機はXB-35の制式名称がついた。


爆撃機への回帰:夢の実現

N-9M(モックアップ)は、60フィートの翼幅を持つ全翼機で、2基のメナスコ C6S-4 269エンジン(各269馬力)を搭載した。最大速度は257マイル/時、運用高度限度は19,500フィート、重量は6,235ポンドだった。最終的に2機の原型機が追加され、N-9M-1、N-9M-2、N-9MAの 名称が付いた。

 N-9Mはノースロップの以前のN-1Mと類似した構造を採用し、木材を多用した鋼鉄とアルミニウムのチューブ構造だった。単座コクピットにはバブルキャノピーが装備され、パイロット後部から燃料タンクを撤去すれば、パイロット横に観察員が横座りで搭乗可能だった。この姿勢は不快とされ、ジャック・ノースロップはテスト飛行後にこれを認めた。

 N-9M-1の試験飛行は1942年12月27日に開始された。ノースロップの宿命ともいえるエンジン信頼性の問題が再び浮上し、飛行時間が制限された。1943年5月19日、テストパイロットのマックス・コンスタントがロザモンド・ドライレイク上空で機首下がりのスピンに巻き込まれ、悲劇が発生した。機体にはスピン防止パラシュートが装備されていたが、コンスタントは左側パラシュートを展開したものの効果はなかった。コンスタントは脱出を試み、キャノピーを投棄した。機体にはパイロットの脱出時にプロペラを固定するプロペラロックが装備されていたが、コンスタントは操縦桿に挟まれ、機体が墜落した際に死亡した。このような緊急事態が発生した場合、操縦柱を前方に押し出すための操縦逆転用油圧シリンダーが後付けされた。N-9M-1の後継機として、N-9MBと指定された4機目の機体が製造された。

 N-9MBは最後のN-9となり、前縁スロット、エレボン、分割式ラダーを採用した。この機体は、空速に敏感なフィードバックを備えた完全な油圧式飛行制御システムを採用した。動力は、各300馬力を発生する2基のフランクリン XO-540-7エンジンで強化された。残るN-9モデルで試験は継続され、制御システムの変化、風洞試験、XB-35に活用されるドラッグデータ収集試験が行われた。アメリカ空軍と航空材料司令部(AMC)による複数回の飛行試験後、プログラムは完了とされた。この期間中、自動操縦システムの完成と、XB-35プログラムの追加データの収集も行われた。

 N-9は1947年に退役し、解体されたが、1機のみが残り、最後のN-9として建造されたN-9MBがカリフォーニア州チノの「Planes of Fame Air Museum」のエド・マロニーが取得した。1981年に飛行可能な状態に復元され、1996年に飛行試験が完了した。博物館で展示され、航空ショーで飛行を続けた後、2019年4月22日にパイロットと事故で失われた。


ノースロップの最初の試験用全翼機で多くは全体が黄色塗装されていたが、これだと地上から見た際に機体が逆さ飛行しているかどうかを判別するのが困難だったため、塗装を上部が黄色、下部が青に変更された。しかし、N-9MA はこれを逆転させ、上部が青、下部が黄色となっている。N-9M の塗装が逆転した理由は不明。(画像提供:アメリカ空軍)


XB-35/YB-35  

ノースロップは、P-61ブラックウィドウのような戦時中の開発やB-17のエンジンカウリング生産に注力していた上、イギリスでの基地喪失がなかったため、アメリカ本土からヨーロッパまで到達可能な爆撃機の計画は後回しにされた。この期間中、コンベアも長距離爆撃機の計画を策定しており、自社開発の6発エンジン搭載フライングウィング設計や、10,000マイルの航続距離を誇る大型の従来型設計XB-36が含まれていた。ジャック・ノースロップは、自身の全翼機設計を採用し、ドラッグの低減による航続距離の延長を期待して、よりシンプルで小型の機体で初期仕様を達成できると確信していた。XB-36との競争が、ノースロップを全翼機型爆撃機の現実化を急がせることになった。

 完成したXB-35の翼幅は172フィート、全長53フィート1インチ、全高20フィート3インチだった。爆弾は6つの爆弾ベイに収納され、各翼のエンジン内側のセクションに3つずつ配置されていた。爆弾倉にはロールアウェイドアが採用され、爆弾倉のサイズから、当時の原子爆弾を含む大型爆弾の搭載は不可能だった。乗員配置は非対称で、パイロットはコパイロット左側に位置する高所コクピットに搭乗し、固定式のバブルキャノピーが良好な視界を確保していたが、砂漠の太陽の下での試験では「温室」と形容された。副操縦士は機体の前縁部から前方と下方向のみを視認できる広範な透明なガラス越しに操縦した。パイロットと副操縦士は操縦装置と計器を操作できたが、着陸や離陸の視認性はパイロットのみに確保されていた。乗員にはその他航空機関士、無線操縦士、銃手、爆撃手が含まれていた。長期任務時には交代要員用のベッドが用意されていた。

 4基のプラットアンドホイットニーR-4360エンジンが翼の前部エリアに配置され、長いシャフトを介しギアボックスに接続され、後縁に装着された4組の逆回転式プッシャープロペラに動力伝達した。最大速度は約390mphで、高度限界は40,000フィートに迫った。航続距離は約7,500マイルだった。埋め込み式エンジンを冷却する複雑な冷却システムが設計された。4基のエンジンそれぞれに独立したスロットルが装備されており、飛行エンジニアが各エンジンを個別に制御することができた。重装の三輪式着陸装置は、前方へ格納される2基のツインホイール式メインユニットと、左側へ格納される単一の大型ノーズギアで構成されていた。

 計画された防御武装には、翼の上下とパイロットのキャノピー後方に設置する浅い突起状の砲塔に搭載された.50口径マシンガンが含まれていた。これらのマシンガンは、中央エンジン位置の間に配置されたバブルキャノピーから銃手が操作してた。追加の4門の.50口径マシンガンは、尾部に設置された円錐形の「スティンガー」型砲塔に搭載され、後部に取り付けられたプッシャープロペラを回避しつつ広角の射撃範囲を確保できた。これらの銃は遠隔操作され、潜望鏡式照準器を使用し発射される予定だった。生産型機には、合計20門の.50口径マシンガンまたは20mm砲が計画されていた。

 最初の原型機XB-35(42-13603)は1946年6月25日に初飛行した。カリフォーニア州ホーソーンの5,000フィート滑走路から離陸する際、着陸装置の格納にほぼ1分かかった。45分間の飛行後、XB-35はムルドック・ドライ・レイクまで問題なく飛行した。その後の試験で、軍がGFE(政府提供装備品)として提供したエンジンとプロペラが互換性試験を受けていなかったことが判明した。3~4回の飛行後、振動が増加し、逆回転プロペラが故障し始めた。問題解決は困難で、責任を取る者がいない状況に加え、軍は高高度/高速度試験飛行に必要なオルタネーターをノースロップに供給しなかった。1948年3月10日までに実施されたテスト飛行の大多数で、振動、ギアボックス、プロペラの問題が継続した。18回のテスト飛行のうち、「非常に満足」と評価されたのは一回のみだった。2号機(42-38323)は8回の飛行を実施し、1946年9月11日に終了した。この時点で両機は単回転プロペラに改造されており、これにより速度低下、離陸距離の延長、安定性問題が発生した。

 1942年12月に、YB-35と指定された13機の量産前モデルが注文され、合計200機の量産型B-35を製造する計画だった。主に政府供給品(GFE)の課題が制御不能だったため、ジャック・ノースロップは政府に動力プラントで改善を求め、飛行試験を一時停止した。単回転プロペラを搭載し、一部の防御武装を装備したYB-35 42-102366は、1948年5月15日に初飛行した。この最初のYB-35のみが飛行した。その後、1年以上保管された後、1949年7月に解体され、2号機も約1ヶ月後に解体された。XB-35の2機も同時に解体された。別の機体(ERB-35B、後にEB-35Bと改称)は、ノースロップ・ターボディーン XT-37 ターボプロップを動力プラントとして採用する試みだったが、飛行実現には至らなかった。実際、XB-35/YB-35に採用されたピストンエンジンはメンテナンスが困難で、動力プラントの設計は限界に近づいていた。


XB-35の底部ビュー。エンジンがプッシャープロペラから離れた位置にあることを示す排気口とオイルの汚れ、およびエンジン内側の6つの兵装庫扉に注意。(画像提供:Wikimedia Commons)


YB-49

残る11機のYB-35は他の動力装置への改造が決定された。そのうち2機は8基のアリソンJ35ジェットエンジン(各エンジン約4,000ポンドの推力)を搭載し、YB-49と命名された。ジェット動力への改造は比較的単純で、新しいエンジンマウント、監視装置、燃料配管の交換が主な作業だった。後縁の上下部に小さなフィンが追加され、翼のフェンスがこれらの4つのフィンを前方へ延長した。フィンは安定性を補い、翼のフェンスは翼幅方向の気流を防止した。

 ジェットエンジンは、XB-35が抱えていた恒常的な振動問題をほぼ解消した。翼に搭載された銃塔と尾部銃塔を削除することで、ドラッグが減少し、乗員数も削減できた。YB-49は最高速度428mph、高度42,000フィートに達した。最初のYB-49は1947年10月21日にホーソーンからミューロック空軍基地(AFB)へ飛行し、パイロットのマックス・スタンリーは「飛行する喜びそのものだった」と述べています。


YB-49の尾部縁と8基のジェットエンジン配置の眺め。尾部縁の上下にある小さなフィン、大型の着陸装置、後部バブルキャノピーも確認できます。(画像提供:Wikimedia Commons)


 スタンリーによる太平洋上空での試験飛行中、全翼機設計の意外な特性が発見された。ハーフムーンベイの早期警戒レーダー基地が、機体がほぼ真上に来るまで航空機を検知できなかったのだ。全翼機の断面がレーダーに検知されなかったためで、当時その事実は十分に理解されていなかったが、30年後、別のノースロップの全翼機にとって貴重な情報となった。

 ジェットエンジンは振動問題をほとんど解決したものの、新たな問題が発生した。燃料消費量の多いジェットエンジンは、10,000ポンドの積載量で航続距離が4,000マイル未満へと大幅に短縮された。プロペラ駆動のB-29とB-50爆撃機の一部には空中給油機能が搭載されていたが、実用化は1949年末まで待たれ、YB-49には採用されなかった。ノースロップは仕様を下回る航続距離と、当時の原子爆弾を搭載できない機体を抱えることになった。YB-49の航続距離は、ボーイングXB-47ストラトジェット中距離爆撃機と同等だったが、翼断面の厚みが最大高速性能を妨げていた。

 YB-49は2機が完成し、42-102367と42-102368が製造された。2機目は1948年5月に米空軍に引き渡され、慣熟飛行が行われた。20回の試験飛行が行われ、結果はまちまちだった。着陸装置の問題が発生し、1回の飛行では後部バブルキャノピーが機体から分離し、機内が減圧した。爆撃任務は成功し、4月26日には6,000ポンドの積載量で3,007マイルの飛行を9.5時間で平均時速330マイルで達成した。これは当時ジェット機としての記録でした。しかし、安定性問題を抱えるYB-49では自動安定化システムが独自の全翼機空力特性に対応できないため、航空機材司令部は迅速に同機に冷淡となった。2機目には試験仕様が搭載されていた。

ノースロップのYB-49が試験飛行中。(画像提供:Wikimedia Commons)


悲劇、希望、放棄

マックス・スタンリーが1948年5月27日に最後の飛行を行った後、グレン・エドワーズ大尉とダニー・フォーブス少佐が2機目のYB-49の操縦を開始した。エドワーズは機体安定性が不良であることを発見し、特に失速状態に陥ると「時折完全に操縦不能になる」と指摘した。6月5日、YB-49 42-102368はミューロック空軍基地を0635に出発した。搭乗者はパイロットのダニー・フォーブス少佐、副操縦士のグレン・エドワーズ大尉、飛行エンジニアのエドワード・スウィンデル中尉だった。スウィンデルは、チャック・イエガーがベルX-1で音速突破に成功した際のB-29母機の乗組員でもあり、YB-49での任務の一つはエンジン管理と、重心問題を防ぐため燃料を機体のタンクからバランスよく消費させることだった。機内には、米空軍と契約した民間飛行エンジニアのクレア・レサーとチャールズ・ラフォンテンも搭乗していた。

 フォーブス大佐が操縦する中でストール試験を実施中、機体は横転し大型部品が剥離し、地面に平らな状態のまま逆さになり衝突した。9,000ガロンの燃料が燃え上がり、500フィートの煙の柱を伴う巨大な火球が発生した。燃え盛る炎は残骸を完全に破壊し、生存者はなかった。YB-49は射出座席や投棄可能なキャノピーを備えておらず、機体から脱出するためには座席を回転させ、4フィート下げてジャッキで下ろし、ハッチまで後退し、パラシュートを装着して脱出する必要があった。失われたパイロットを偲び、乗員の出身州の基地名が改名された。カンザスのトピカ空軍基地はフォーブス空軍基地に、カリフォルニアのミューロク空軍基地はエドワーズ空軍基地に改名された。

 残るYB-49には産業スパイ活動に関する一連の疑いが浮上し、給油時に必要なオイル補給が不足したため、4基のエンジンでオイル不足によるエンジン火災が発生する事故が発生した。この機体はカリフォーニア州のミューロック空軍基地からワシントンD.C.近郊のアンドリュース空軍基地へ飛行し、帰還途中、アリゾナ州でエンジン交換のため緊急着陸を余儀なくされた。この機体は、ワシントン滞在中にトルーマン大統領の指示でペンシルベニア大通り上空の屋上飛行に参加した。この最後のYB-49は、1950年3月15日にミューロックで高速タクシー試験中に、前輪が極端な振動を起こし崩壊し、機首が砂に埋まり左翼が分離する事故で破壊された。火災が発生し、機体は破壊された。燃料タンクが完全に満タンになっていたことが判明し、このような試験では異例だったため、再び破壊工作の疑いが浮上した。3月15日は、飛行プログラムが正式に終了し、B-35とB-49の契約がすべてのキャンセルされた日にもなった。

 ノースロップとYB-49に残された最後の希望は、1948年に開始された戦略偵察型の開発だった。1948年5月3日、ノースロップはRB-49の開発を開始する許可を得て、29機の注文が約束され、その後合計100機を超える機体が生産される予定だった。しかし、ホーソーンで既存の機体から製造された試作機1機のみが生産され、YRB-49Aと指定された。12月の高級将校会議で、RB-49の運命は不透明になった。数機のプロジェクトのキャンセルが決定された中で、RB-49もその一つに挙げられたが、競合するB-36の契約は95機から384機に拡大され、偵察型含む全機種が対象となった。

 1949年1月、生産仕様のRB-49ですべての作業が中止されたが、唯一のYRB-49Aの作業は継続された。11月、米空軍は残るすべての全翼機を解体するよう命じ、唯一のYRB-49Aのみが残された。溶解炉がノースロップ施設に搬入され、機体は解体され溶解された。ジャック・ノースロップは自身の夢が破壊されるのを目の当たりにした。スミソニアン博物館への1機保存の要請も却下された。

 YRB-49Aは1950年5月4日に初飛行した。6基のアリソン J35-A-19エンジンを搭載し、そのうち2基は機体下にポッドで吊り下げられ、以前のエンジン位置に追加された燃料タンクのスペースを確保していた。YRB-49Aは13回で合計17時間40分の飛行を行い、主に良好な結果を残した。8月10日の事故では、米空軍の要請で投棄可能に改造されたパイロットのキャノピーが飛行中に誤って投棄された。機内が減圧し、パイロットは空気流でマスクを失ったため、緊急酸素が供給された。試験終了後、機体はジャック・ノースロップの要請により、1951年4月26日にノースロップのオンタリオ空港基地へ移送された。その後、屋外に放置され、1953年末に解体された。ジャック・ノースロップは1952年11月、57歳で自身の会社を退社し、全翼機ボマーの夢は放棄された。


XB-35の機体フレームからの最後の希望であった偵察型YRB-49Aは、計画されたJ40エンジンの大型化と航続距離延長のための追加燃料スペースを確保するため、機体下にポッドに搭載された2基のジェットエンジンを採用した。しかし、ポッドは抗力を増加させた。YRB-49Aは5つのカメラステーションを備え、夜間作戦用に6発の188ポンドのフラッシュ爆弾を搭載していた。(画像提供:Wikimedia Commons)


小さな機体

XP-79およびXB-35/YB49の開発中に、ノースロップはジェット推進式の無尾翼で全翼機型式の「X-4『バンタム』」2機を製造した。この小型機は、全長23フィート3インチ、翼幅26フィート10インチ、全高14フィート10インチ、空虚重量わずか5,507ポンドで、史上最小のジェット機だった。X-4の主翼にはマグネシウムが再び外板材として使用され、重量を軽減した。ウェスティングハウス XJ30 ターボジェットエンジン2基を搭載したX-4は、最高速度625マイル/時、実用上昇限度42,300フィートを記録した。2基のエンジンは合計推力3,200ポンドしか発揮しなかったが、小型軽量機としては十分な推力を提供し、活発な飛行性能を発揮した。

 白色に塗装され、超音速飛行時の気流挙動を研究するために設計されたX-4は、チャック・イェーガー大尉をはじめ、米空軍/NACA(国家航空諮問委員会)のテストパイロットおよびノースロップのパイロットにより操縦された。一号機はすぐに部品取りに回され、2号機を運用するために解体されたが、両機は現在も現存し展示されています:X-4 46-676はカリフォルニア州エドワーズ空軍基地のフライトテスト博物館に、X-4 46-677はオハイオ州デイトンにあるアメリカ空軍博物館に展示されている。

小型のノースロップ X-4。超音速や高超音速速度での尾翼なし設計が適していないことが判明した、超音速気流挙動の研究用に設計された機体です。X-4はコクピットからの視界が良好で、射出座席を搭載した最初のX-プレーンの一つでした。(画像提供:Wikimedia Commons)


爆撃機への復帰:夢の実現

1980年4月の春の日、パーキンソン病と闘う老いたジャック・ノースロップは、秘密の新爆撃機モデル——全翼機設計のATB(Advanced Technology Bomber)またはノースロップB-2ステルス爆撃機——に驚嘆の眼差しを向けた。85歳の老人は、1952年以来初めてホーソーン施設に戻り、秘密の爆撃機の開発現場を見学した際、モデルを眺めながら「神様が私を長く生き延びさせた理由がいまわかった」と涙を浮かべた。彼の全翼機構想はついに現実となり、数十年前から温めてきた設計に追いついた技術が、必要なエンジンと電子機器を提供し、夢を叶えたのだ。ジャックの全翼機はついに正当化された。ジャック・ノースロップは1981年2月18日に死去した。


ジャック・ノースロップの全翼機の夢は、B-2スピリットステルス爆撃機として実現した。ジャック・ノースロップが設計・建造した過去の全翼機から収集されたデータがB-2設計に活用され、YB-49で発見された小さなレーダー断面積も含まれていた。XB-35/YB-49とB-2の翼幅は同一で、埋め込み式エンジンも共通している。ノースロップの全翼機は、利用可能な動力プラントと設計の安定化技術に常に課題を抱えていたが、B-2は全翼機の夢を現代技術と融合させ、これらの問題を解決した。(画像提供:Wikimedia Commons

 ノースロップ B-2 スピリットは、2人乗りの亜音速全翼機戦略爆撃機で1987年から2000年まで生産され、合計21機が製造された。B-2の無給油航続距離は6,000海里を超えるが、空中給油能力を備え、航続距離を大幅に延長できる。ジャック・ノースロップの全翼機コンセプトを採用した本機は、レーダー断面積が非常に小さい特徴を有し、これは以前のYB-49で発見された現象だ。複雑なコンピュータ制御のフライ・バイ・ワイヤ飛行制御システムは、全翼機設計固有の飛行不安定性を克服した。ジャック・ノースロップの初期設計と同様に、B-2のエンジンは機体構造内に埋め込まれており、エンジンファンを隠蔽し排気痕跡を最小化することでステルス性能を向上させています。ノースロップの初期設計と同様に、B-2は軽量化とレーダー波の吸収を目的とした非伝統的な材料を採用している。

 B-2の翼幅は、XB-35/YB-49の前身機と同じ172フィートで全長は69フィート、全高は17フィート。空虚重量は158,000ポンドだ。4基のジェネラル・エレクトリック F118-GE-100 非アフターバーナー式ターボファンエンジンが、最大速度630マイル/時を達成する推力を提供している。運用上昇限度は50,000フィートだ。B-2は、2つの内部爆弾倉に多様な通常兵器と核兵器を搭載可能で、AGM-154 ジョイント・スタンドオフ・ウェポン(JSOW)、AGM-158 ジョイント・エア・トゥ・サーフェス・スタンドオフ・ミサイル(JASSM)、GBU-57 マッシブ・オードナンス・ペネトレーター(MOP)を搭載可能。B-2は1999年のコソボ戦争を皮切りに、複数の通常戦争と空爆作戦に成功裏に展開されしたB-2が関与した最新の作戦は、イエメンのフーシ派目標に対する攻撃と報じられている。

 1994年、ノースロップ・コーポレーションとグラマン・エアロスペースが合併し、ノースロップ・グラマンが設立された。2015年、同社は長距離攻撃爆撃機(LSR-B)の契約を獲得し、これはB-21レイダーとして知られるようになった。B-21はステルス能力を備えたもうひとつの全翼機コンセプトです。報道によると、100機のB-21が発注されており、最初の機体は2020年代半ばに納入される見込みで、総生産数は最大145機に達する可能性がある。空軍はB-21をB-1ランサーとB-2スピリットの後継機として計画している。後者は現役機がわずか19機という極めて少ない。B-21はサウスダコタ州のエルスワース空軍基地、ミズーリ州のホワイトマン空軍基地、テキサス州のダイエス空軍基地に配備される予定だ。ジャック・ノースロップの翼は健在であり、未来へ飛翔しています。


ミューロックで全翼機のXB-35の前に立つジョン「ジャック」ノースロップ。大きな前輪と、左上部のガラス張りの部分は副操縦士席で、パイロットのバブルキャノピーがわずかに確認できる。(画像提供:Wikimedia Commons)


この記事の第一部はここにあります。https://aviation-space-business.blogspot.com/2025/05/b-2-1the-aviationist.html



The Flying Wings of Jack Northrop that Led to the B-2 Spirit – Part Two

Published on: May 1, 2025

 Darrick Leiker

https://theaviationist.com/2025/05/01/flying-wings-of-jack-northrop-part-two/


ダリック・ライカー  

ダリック・ライカーはカンザス州グッドランドを拠点とし、TheAviationistの寄稿者です。アメリカ空軍での軍事/法執行機関の背景を持ち、ノースウェスト・カンザス・テクニカル・カレッジで電子技術学科を卒業。アマチュア天文学者、熱心なスケールモデル製作者であり、クラシックカーの収集家でもある。暗号通貨、サイバーセキュリティ研究/インテリジェンスの分野で経験を有し、自身のビジネスを設立・運営した経験もある。熱心な読書家であり歴史愛好家であるダリックの情熱は、先人たちが忘れ去られることのないよう、現在も奉仕する人々を記憶に留めことにある。ダリックは、ワインとスピリッツ業界で働きながら、スケールモデル、遺物、記念品からなる小さなプライベートミュージアムを運営しています。