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ウラジーミル・プーチンとモスクワの中央権力は、エフゲニー・プリゴジンの反乱で弱体化を露呈した。プリゴジンの反乱軍が処罰されなかった事実で、プーチンの権威に挑戦する者をこれから増えるだろう。ロシアは、1991年のような内部混乱に陥るかもしれない。ワシントンはじめ自由世界の政策立案者は、この事態に備えなければならない。
プーチンはロシア国民に何もしてこなかった。プーチンによる統治が始まり24年、ロシアは自由と繁栄両面でヨーロッパに大きく遅れをとったままだ。さらに遅れをとっている。彼は今、平和的なスラブ人に対する戦争で戦死をロシア国民に求め、外国の経済制裁によってさらに多くの窮乏に苦しんでいる。
ロシアの安全保障、軍事、経済を支配する腐敗した徒党に対しても何もしていない。ウクライナ戦争でロシアは亡国の烙印を押され、彼らの多くは自由主義諸国による制裁と資産凍結に苦しんでいる。
プーチン自身も弱っているように見える。彼はウクライナで負けている。プーチンがウクライナに侵攻する前は、ロシアの軍事力はアメリカに次ぐ世界第2位と見られていた。今では、東ヨーロッパではウクライナに次ぐ2番目と見られている。国内では、プリゴジンの傭兵たちが発砲することなくロシアの重要な軍事拠点のひとつを占領した。ロシアの軍指導者の一部は様子を窺っていた。プーチンにプリゴジンと反乱軍を罰する力はなかった。
不満と弱さの環境が、さらなる権力への挑戦を促すだろう。もしかしたら、別の軍人かもしれない。あるいは、ロシアの各共和国で分離主義が再燃するかもしれない。
ロシアは多国籍帝国である。何世紀にもわたり、モスクワ大公国はヨーロッパとアジアの諸民族を征服して拡大してきた。しかし、かつてオーストリア・ハンガリーやユーゴスラビアの一部であった民族のように、各民族はアイデンティティーや自由への夢を忘れてはいない。
ロシアにおける分離主義運動は、ロシアが第一次世界大戦に敗れ、無能で腐敗したツァーリズム政権が民衆の支持を得られなかった1917年には、強力ではあったが結局は失敗に終わった。1991年、ソ連がアフガン戦争に敗れ、経済的に破綻すると、ウクライナ、バルト、カザフスタンを含む15の共和国が分離独立に成功した。
ロシアはウクライナ戦争で多くの生命と財宝を失い、自由世界から孤立と制裁を受け、モスクワの中央権力は弱体化している。特に、ウクライナではロシア人よりもロシア系少数民族の戦死率が30倍も高い。
ロシアの21の共和国は、すでに分離独立に必要な法的構成を持っている。それぞれが独自の憲法、立法府、大統領または首相、裁判制度、国旗、国歌を持っている。歴史、地理、天然資源に関してはもちろん違いがある。
チェチェンやその他のコーカサス共和国、ティヴァ、カレリア、サハのように、ロシア国境にあり、資源が豊富な国もある。また、タタールスタン、カルムキヤ、モルドヴィアのように、内陸にありながら戦略的地位と天然資源を持ち、イスラム教徒や仏教徒が多く住むヴォルガ地方にあるものもある。
ロシア各共和国による新たな離脱の波は、1991年の最初の波のように平和的なものになるかもしれない。あるいは、ユーゴスラビアのように長期内戦に発展するかもしれない。
モスクワの陰謀論者たちの主張とは裏腹に、ロシアの現在の問題は外国資本の邪悪な陰謀の結果ではない。国内では腐敗し抑圧的で、国外では修正主義的で拡張主義的なプーチンの政策の結果なのだ。
それでも、米国と自由世界の政策立案者は3つの茨の道に取り組まなければならない。
第一に、自決を求めるロシアの共和国からの承認要求にどう対応するか。
第二に、ロシアが保有する6,000発の核兵器が騒乱時に使用されないようにする方法だ。マシュー・クローニグは、ロシアが世界初の核内戦を経験する可能性を提起している。
第三に、資源豊富なシベリアにおける中国の土地強奪をいかに抑止するかである。現在の国境線は、わずか160年前、弱小国だった中国が強国ロシアにシベリアの35万平方マイル(テキサス州より広く、エジプトより小さい)を割譲させられ確立されたものだ。今日、パワーバランスは逆転している。国境地帯では、600万人のロシア人が9000万人の中国人と対峙している。
ロシア各共和国による新たな分離独立は、今は奇想天外に思えるかもしれない。しかし、当時の第一ラウンドもそうだった。このような事態を想定した政策オプションを準備しておくことは重要といえよう。■
Will Russia Break Up Again? | The National Interest
July 7, 2023
by Dan Negrea
Dan Negrea is the Senior Director of the Freedom and Prosperity Center at the Atlantic Council. He served at the U.S. Department of State as a member of the Secretary’s Policy Planning Office and as the Special Representative for Commercial and Business Affairs.
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